「ディーセントワーク」の解像度を上げ、組織エンゲージメントを高めるには
所得格差や労働時間の長さなどさまざまな働き方の問題が台頭する現代日本において、『人間らしい働きがいのある仕事』として定義される「ディーセントワーク」。SDGs関連の文脈からも注目を集めているワードです。
今回は、社会保険労務士の水口 洋輔さんに「ディーセントワーク」を取り巻く近年の流れや、いかに働きがいを創出するかの方法論などについてお聞きしました。
<プロフィール>
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水口 洋輔(みずぐち ようすけ)/人事コンサルタント・社会保険労務士
芸術大学のキャリアセンター課長として勤めながら、人事コンサルタントとしても活躍。人事制度設計(賃金、等級、評価、教育等)、人材育成(主に管理職研修)、採用支援を得意分野とする。東証上場メーカーの人事課長を経て、現職。
目次
「ディーセントワーク」とは
──「ディーセントワーク」の概要について、この言葉が生まれた背景と合わせて教えてください。
「ディーセントワーク(Decent work)」を直訳すると『まともな仕事』となり、日本においては『働きがいのある人間らしい仕事』と意訳されています。1999年に国際労働機関(ILO)のフアン・ソマビア元事務局長がILOの理念・活動の主目標として掲げた言葉です。
この言葉が生まれた背景には、グローバル化が急速に進んでいた当時の世界的な労働環境があります。先進国の企業がコスト競争力を維持するために生産拠点を発展途上国に移し、その国の人々を過酷な労働環境かつ低賃金で働かせたことで労働者の権利が侵害されている実態がありました。そうした状況を受け、ILOは世界中の労働者の権利が守られた上で、仕事によって十分な収入を得ることができて安心して働ける社会の実現を目指すべく「ディーセントワーク」の推進を掲げたのです。
また、2015年の国連サミットではSDGs(持続可能な開発目標)が採択されました。ここで掲げられた17の目標のうち、目標8において『包摂的かつ持続可能な経済成長及び生産的な完全雇用とディーセントワークをすべての人に推進する』ことが目指されています。日本でもSDGsに取り組む企業は多く、SDGsをきっかけに「ディーセントワーク」のワードを初めて目にした方も多いのではないでしょうか。
「ディーセントワーク」の基準
──実際にはどのようなものが「ディーセントワーク」に該当するのでしょうか。
一口に『働きがいのある人間らしい仕事』と言っても、各国の経済水準や労働市場の状況によって意味合いが変わってきます。貧困国においては『働きがい』以前に、人々が食べることに困らず人間らしい生活を送れる状態が目指されるべきであって、基本的人権を保障するための社会システム確立が求められます。一方、先進国においては正社員と非正規社員の格差が是正され、すべての労働者が仕事を通じて自己実現できるような、より積極的な意味での「ディーセントワーク」が期待されます。
日本では、「ディーセントワーク」の要件として厚生労働省が以下の4つを挙げています。
(1) 働く機会があり、持続可能な生計に足る収入が得られること
(2) 労働三権などの働く上での権利が確保され、職場で発言が行いやすく、それが認められること
(3) 家庭生活と職業生活が両立でき、安全な職場環境や雇用保険、医療・年金制度などのセーフティネットが確保され、自己の鍛錬もできること
(4) 公正な扱い、男女平等な扱いを受けること
生計に足る充分な賃金水準の維持や職場環境の整備など、雇用主である企業に求められる責任と、社会保障政策を担う国に求められる責任があることがわかります。
日本の労働市場における「ディーセントワーク」の実情
──現在の日本の労働市場における「ディーセントワーク」の浸透状況をどのように捉えていますか。
日本においては「ディーセントワーク」よりも『働き方改革』や『ワークライフバランス』などの関連ワードの方が馴染み深いのではないでしょうか。昔から指摘されている働き過ぎ問題に加え、バブル崩壊以降30年にも及ぶ経済の低成長時代が続いたことによるワーキングプアなどの社会問題──これらが背景となって進められている『働き方改革』は労働時間の削減と非正規雇用者の処遇改善を主な柱として進められており、「ディーセントワーク」の実現を担う政策です。
日本における「ディーセントワーク」は、上図にある2つの視点から捉えると人事施策の面からも理解がしやすいと考えています。
ハーズバーグの二要因理論を例として考えてみましょう。ハーズバーグの二要因理論とは、アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが提唱した、職務満足と職務不満足を引き起こす要因に関する理論のことです。この理論は人間の「満足」に関わる要因(動機付け要因)と「不満足」に関わる要因(衛生要因)は別にあるという考え方です。
維持されなければ不満を招く衛生要因と、実現されることでさらなる能動性を引き出す動機付け要因の面から「ディーセントワーク」を捉えてみましょう。前者が実現されている前提で後者が推進されていけば、より豊かな労働社会に近づいていくことと思います。
この伸びしろは、中小企業にこそあると考えています。今後は日本においても上場企業に対して人的資本の情報開示が求められるようになっていきます。経営資源である『ヒト』を単なるコストと捉えるのではなく、組織に収益をもたらす資本と捉え、人材育成のための投資をもっと行うべきという世界的な流れがあるためです。大企業ではこのような考え方が比較的昔から根付いていますが、中小企業でも人的資本経営の取り組みが増えることで産業社会の底上げにつながっていくことが期待されます。
働きがいの創出を目指すケーススタディ
──「働きがいのある人間らしい仕事」を創出するためには、まず社員の不満を招く衛生要因をクリアした上で取り組む必要があると理解できました。その上で、水口さんがこれまでに経験された『働きがいの創出』事例について教えてください。
“やらされ感のあるつまらない仕事”を“やりがいのある仕事”に変えるための手法として近年注目されているものに『ジョブ・クラフティング理論(※)』があります。これは、イェール大学経営大学院のエイミー・レズネスキー准教授とミシガン大学のジェーン・E・ダットン教授が提唱した考え方です。
※参考記事:「ジョブ・クラフティングを企業で実践し、社員の働きがいを高める方法とは」
ジョブ・クラフティングには、次の3種類があります。
(1) プロセスのクラフティング
業務の進め方や解決方法に工夫を加える。
(2) 関係のクラフティング
仕事の遂行に関連する他者(同僚、上司、顧客等)との関係性・関わり方を変える。
(3) 意味のクラフティング
個々の業務や仕事全体の意味・目的のとらえ方を変える。
私の顧問先企業では、評価制度の中に『ボーナス目標』という評価項目を取り入れたことで、働きがいの創出につながった事例があります。
この企業では、これまで業績評価を目標管理制度と結び付けて運用していました。半期ごとに目標設定によりその達成度合いを評価するものでしたが、個人目標は組織目標の影響を大きく受けるためどこかでやらされ感が漂っており、従業員の主体性をうまく引き出すことができていなかったのです。そこで、以下特徴がある『ボーナス目標』を取り入れることで、従業員が自ら考えて積極的に業務遂行を行う風土が生まれました。
『ボーナス目標』の特徴
・設定するかどうかは本人の自由
・従来の業務を改善する目標であること
・目標は数字で評価できること
・業務改善のアイデア(方法)と共に提示されること
・目標が達成された場合、賞与が加算される
・未達に終わっても、評価には影響しない
ここで大切なのは、以下3点です。
・目標設定について本人に決定権がある
・目標達成までのプロセスを自分で考える必要がある
・失敗に寛容である
これらの条件は、『仕事が楽しくて熱中している状態』であるワーク・エンゲージメントを高める際に配慮すべきことでもあります。動機付け要因的ディーセントワークの一種であるワーク・エンゲージメントを高めることで、働きがいの創出につながりました。
これまでご紹介してきた通り、「ディーセントワーク」の実現は、社会保障制度、職場環境、従業員のワーク・エンゲージメントなど、複合的な要素によって成り立つものです。「ディーセントワーク」の理念を雇用主である企業側の立場から言い換えれば『人を大切にする経営の実現』といった意味合いになるでしょう。人事施策の観点からは「衛生要因的ディーセントワーク」を提供するための職場環境整備を行った上で、人材の育成・活用を念頭に置いた「動機付け要因的ディーセントワーク」の実現へと向かうことが求められていると言えます。
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編集後記
『働きがい』という言葉は多方面で使用されていますが、そのままでは抽象度が高いため人によって捉え方が異なり扱いづらいワードでもあります。「ディーセントワーク」の理念や基準、水口さんから説明いただいた2つの視点などを活用して理解を進めることができれば、より地に足をつけた取り組みを検討できるのではないでしょうか。