「つながらない権利」を守る組織体制を作るには
勤務時間外や休日に仕事関連の連絡や対応を拒否することができる「つながらない権利」。昨今のリモートワーク台頭や、SNSなどコミュニケーションツールの発展により、こうした「つながらない権利」を意識する機会が増えてきました。
今回は、複数企業における組織戦略・人事制度・労務管理などのコンサルティング経験をお持ちの人事パラレルワーカー 吉田 智之さんに、「つながらない権利」を取り巻く近年の流れや、権利を守る重要性とその体制設計方法などをお聞きしました。
<プロフィール>
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吉田 智之(よしだ ともゆき)/株式会社D3management Partner
外資系総合商社へ入社し、富裕層をメインとした高級車の販売及び管理業務に従事。また、人材紹介会社にて事業部再建及び新規事業の立ち上げに参画。その後、経営資源である『ヒト』の最大化を追求したく人事コンサルティング会社へ転職。上場企業から個人商店まで、業種を問わず経営全般や組織戦略・組織再編・人事制度・採用・労務管理など幅広く携わる。その中で後継者不足による事業承継問題に直面し、社会課題を解決したく事業承継を支援する投資法人セレンディップ・コンサルティング株式会社(現:セレンディップ・ホールディング株式会社)へ入社。企業投資及びPMI(Post Merger Integration)業務を行いつつ、投資先企業の取締役として会社経営の執行も担当。現在は、人事・経営企画・IRを主体としたコンサルティング会社D3managementのパートナーとして上場企業から中堅中小企業が抱える様々な課題に対して、外様ではなく、情熱とコミットメントをもって事業運営に深く入り込み「良い会社」になるための支援を行っている。
目次
「つながらない権利」とは
──「つながらない権利」について、海外での浸透状況や事例も含めて教えてください。
「つながらない権利」とは、勤務時間外や休日に仕事上のメールや電話などのデジタルツールから来る連絡に対して、業務的なコミュニケーション対応を拒否する権利のことです。重要なのは、この権利は従業員の拒否を保証するものであり、企業に対して連絡を禁止するものではないということです。
海外では以下のような形で各国が取り組みを進めています。
フランス
2016年に労働法の中で「つながらない権利」を行使するための条件を労使交渉で取り決めることなどが規定。
イタリア
2016年にスマートワーキングに関する法律に関連した法整備の実施。
カナダ
2020年に法制化の議論が開始。
メキシコ
2021年1月に「つながらない権利」の尊重をテレワーク法で使用者に義務化。
イギリス
2021年7月、ポスト・コロナの働き方に関心が高まる中、野党・労働党が新政策『ニューディール・フォー・ワーキング・ピープル』を発表。この中で、私生活とのバランスをとれる在宅勤務を実現するために、テレワークを標準のワークスタイルとすることを謳い、「つながらない権利」の確立を盛り込んだ。
こうした諸外国の流れを受け、日本でも勤務時間外のメール・電話対応を禁止する企業が出始めましたが、法制化にまでは至っていません。しかし、こうした勤務時間外の対応はそもそも時間外労働であり、企業には残業手当の支払い義務が生じます。また、従業員にこれらの対応をさせるのであれば前提として36協定を締結しておく必要もあります。
勤務時間外に『つながり』を許容する危険性
──いつでもどこでも『つながる』ことができる状況は、会社や従業員にどのような悪影響やリスクを及ぼすのでしょうか。
「つながらない権利」を無視していると、労使トラブルを引き起こしてしまうリスクがあります。例えば、会社側が『勤務時間外も電話に出ること』『勤務時間外も、チャット・メールに1時間以内に返信すること』などのルールを定め、つながり続けることを求めた場合、その時間がすべて『労働時間』と見なされる可能性があります。
『労働時間』とは、会社の指揮命令下にある時間のことです。また、何らかの対応が求められ労働からの解放が保障されていない待機時間を『手待ち時間』と言い、これも『労働時間』と評価される典型例です。『労働時間』が1日8時間・1週40時間を超えると、会社は労働者に対して残業代(割増賃金)を支払わなければなりません。さらに、明確な社内ルールや指示によって『つながる』ことを強要しなくても、『つながり続けている』ことを理解しながら放置した場合、やはり黙認したものとして『労働時間』と評価されます。
『労働時間』が長くなり過ぎることによる人件費増大を避けるためにも、「つながらない権利」を尊重する方針を会社として明確に表明することが有効です。ただし、公に表明していたとしても水面下で『つながる』ことを要求していた場合、上記同様に残業代を支払うことになりますのでご留意下さい。
なお、雇用しているからといって労働者のプライベート時間を蔑ろにしていいわけではありません。会社経営者の中には「仕事だけが人生」と考える人もいますが、すべての従業員がそうとは限らないからです。終業時刻後や休日・休暇など、プライベートの時間に干渉をしすぎた場合にはパワハラと評価され慰謝料を請求される危険もあります。また、先ほど解説した長時間労働とパワハラが重なってうつ病などの精神疾患(メンタルヘルス)にり患してしまった場合、会社は労災や安全配慮義務違反の責任も負います。労災かどうかを決めるのは労基署の認定によりますが、『労働時間』と評価される時間が長いと労災認定されやすい傾向があります。
日本における「つながらない権利」の浸透状況
──先ほど諸外国の状況をお伺いしましたが、日本における「つながらない権利」の浸透度合いは現状どのようなものでしょうか。
日本では2021年に厚生労働省が「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」を改定し、業務時間外における業務指示や報告の在り方についてルールを設けるのが望ましい旨が記載されました。また、業務時間外の連絡に応じなかったことを理由に不利益な人事評価を下すことは不適切であるとの注意喚起も明記されましたが、いずれもまだ強制力はありません。
「つながらない権利」の議論が日本で活性化されない要因は、日本人の仕事に対する姿勢や社会的背景が関係していると考えています。特に着目しているのが、年間労働時間の長さです。仕事とプライベートの境目が曖昧で、かつ長時間働くことが美徳と考える高度成長期に顕著だった日本人の働き方における考えや姿勢がその根底にあるような気がしています。
日本はその労働時間の長さにより、労働生産性は主要先進国では最下位となっています。国際的には短時間で業務をこなす意識改革の重要性が叫ばれており、ドイツでは所定時間内に業務を終わらせる文化が高い労働生産性につながっていると考えられています。
また、労働生産性の向上にはICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)への投資も欠かせません。アメリカは欧州など他の地域に比べてICT関連の投資額が高いだけでなく、その技術を使いこなすための情報環境や人材育成など無形資産にも積極的な投資を行っています。そうした無形資産投資が労働者のスキル向上や組織改革を促進し、ICT活用の効果を高めているのです。
ICTをはじめとしたIT技術は、生産性向上に大きな役割を果たします。その効果をより高めるためには、IT技術を活用するための環境整備やスキル向上への取り組みも欠かせません。今後の日本においては、これまでに培った労働文化の見直しや無形資産投資が労働生産性改善へのポイントになりそうです。
「つながらない権利」を守る体制の設計方法
──「つながらない権利」を守る組織体制の設計はどのように行えばいいのでしょうか。組織設計の手法や、現状把握~設計~導入までの流れについてお教えください。
大きく以下4つの流れで設計を行っていくと良いでしょう。
(1)会社全体の意識改革
(2)業務の棚卸
(3)取引先への対応
(4)社内のルール作り
(1)会社全体の意識改革
まず行うべきは、会社全体の意識改革です。そもそも、経営層や管理職が「つながらない権利」について興味や関心を示さない限りは、どれだけ制度や仕組みを構築しても形骸化されます。制度を生きたものにするためには、経営層や管理職の意識を変えていくことから始めなければなりません。
(2)業務の棚卸
次に、現状の把握を行います。業務時間外に対応が必要になってしまう要因(業務量が多すぎる・取引先とのやりとりが特定の時間に必要など)を分析し、場合によっては増員や業務量のバランス調整などの対策を行っていきます。
(3)取引先への対応
「〇時以降の連絡は翌日対応」など、取引先とのルールを組織として明文化します。また、どうしても業務時間外の対応が必要になる職種(医師のオンコール対応など)については当番制を組むなどの対策を講じつつ、それに合わせて手当などの制度も整えていきます。
(4)社内のルール作り
『〇時から〇時までのチャット送信は禁止』『受信したメッセージには翌就業時間まで対応しない』などのシンプルなルールを設けます。その際、明確な社内ルールや指示によって『つながる』ことを強要していなくても結果的に『つながり続けている』かもしれないことに注意しましょう。前述した通り、これらを企業として放置すると黙認とみなされ、待機時間を労働時間と判断される可能性があります。つまり、決められたルールは守らせるという運用面が非常に重要になるということです。経営層や管理職も例外ではありません。組織全体で遵守することが求められます。
ただ、杓子定規でガチガチのルールを決めても、結局は誰も守れず形骸化していくものです。まずはスモールスタートとして、誰もが守れるルールから導入をおすすめします。
──上記の手順を進めていく上で、考えられる弊害にはどのようなものがありますでしょうか。
前提として、「つながらない権利」は企業から一方的なつながりを要求するものを拒否できる権利のことです。しかしながら、そもそも双方がつながる事を許容しているのであれば問題にはなりません。双方がつながる事を許容しているにもかかわらず、人事が杓子定規で禁止してしまうと、社内からの反発が出る可能性が考えられます。こうした場合、人事としては就業環境の改善を企画・実行・運用していく事が求められますが、変革は各部門/部署の業務実態をじゅうぶん理解した上で進めていくことが必要です。
「つながらない権利」に関わるものだけでなく、何らかの社内ルールを設計する際に重要なのは、人事として各部門や部署の業務実態や実務を知ることです。私が実際に設計を行う際も「現地現物」の基本を守るよう心掛けています。
上司が「つながること」を強要し、やむを得ず許容している部下がいる可能性もあります。こうした場合はハラスメントになり得ますので、人事は常にパワーバランスを勘案しながら制度を構築していく必要があるでしょう。
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編集後記
海外では法制化される動きが広まりつつある「つながらない権利」。日本でも近い将来に法制化される可能性は十分にあるはずです。『労働時間外に仕事をしてはいけない』の一言で改善できるものでもなく、従業員を守るための取り組みでもあるため、今のうちから対応を進めておくことが必要なのだと感じました。