「人事ポリシー」の策定ステップと必要性の考え方
自社の人材や人事戦略など全ての考え方や方針のベースとなる「人事ポリシー」。近年では企業のHPなどでも開示されることが増えてきましたが、「人事ポリシー」を確立できている企業はまだ多くなく、その策定方法などに悩まれている企業も多いと思います。
今回は、幅広い規模の企業に対して人事戦略・制度設計の経験を持つStudio LOGICA代表の山本 遼さんに、「人事ポリシー」の概要から策定タイミング、方法に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
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山本 遼(やまもと りょう)/Studio LOGICA 代表
上場建設業界企業で経営企画に携わり、人の確保と育成が欠かせないと感じて人事へキャリアチェンジ。京都の大手製造業企業にて人事制度設計・運用を経験するとともに、販売子会社の人事責任者(HRBP)を経験。その後、上場企業の総務人事部長、組織人事コンサルティングファームなどを経てStudio LOGICAを立ち上げ。中堅〜超大手企業を中心に人事戦略・制度設計や研修サービスを提供し、企業の成功と成長を支援している。
目次
「人事ポリシー」とは
──「人事ポリシー」について、どういったものなのか教えてください。
「人事ポリシー」とは、その会社や経営者の人に対する考え方・価値観を示した人事制度の核となるベースのようなものです。これに基づきすべての人事施策が検討・施行されていきます。この「人事ポリシー」があることにより、人事施策に事業内容や経営戦略との一貫性が生まれ、施策実行のための合意形成もスムーズになるといった効果もあります。『人事領域におけるミッション・ビジョン・バリュー(以下、MVV)のようなもの』とお伝えすると理解しやすいかもしれません。
企業のMVVの人事版が人事ポリシー、企業の戦略の人事版が人事戦略、そして人事戦略に基づいた具体的な施策が人事施策とイメージいただけると良いでしょう。
具体的な「人事ポリシー」の例を挙げると、以下図のようなものがあります。
この「人事ポリシー」の内容・記載方法は各社さまざまです。そもそも、策定しなければいけない法的な義務はないので、この「人事ポリシー」を策定するかどうかも各社の裁量に委ねられています。私としては『会社が従業員に期待すること』と『会社が従業員に提供できること』の2つは全ての企業が何らかの形で策定しておさえておくことをおすすめします。
例えば、『会社が従業員に期待すること』は最先端の課題への挑戦・自律的な業務遂行・学習とネットワーキングなどで、そのために『会社が従業員に提供できること』は業界トップランナー企業との協働の場の提供、高い専門性を持つ集団から刺激を受ける機会、市場水準より高い報酬などが該当します。
この「人事ポリシー」があることにより人事施策に事業内容や経営戦略との一貫性が生まれ、施策実行のための合意形成もスムーズになります。それにより以下のような効果が期待できます。
・短期・中期的には、戦略・目標達成に向けた行動を促進する
・中期・長期的には、継続した行動発揮を促し、希少・模倣困難な組織を作る(≒長期的競争優位構築)
人事領域は個々の価値観が介入しやすく、経験則や個別事例に引きずられやすいものです。新たに制度を作ったり施策を実施したりしようとしても、以下のような『議論未満とも言えるような議論』に終始してしまい、見送りや空中分解となってしまうことはよく起きます。
『私はその考えが嫌いだから反対』
『業界リーダーである他社がジョブ型を導入しているらしいので当社もそうした方がいい』
『前職でジョブ型人事制度を導入しようとしたがうまく行かなかったので反対』
など
なぜこのようなことが生じてしまう理由は、人事領域における人事メンバー間で共通理解・言語がないためです。例えば、営業であれば売上や顧客満足度などのわかりやすく納得感のある定量指標が存在します。
一方、人事領域では『従業員への期待』と『従業員からの期待』の双方に答える必要がある上に、さまざまな価値観や成功・失敗事例があります。すると、個々の施策に対して定量ではなく定性(≒想い)をベースに話す傾向になってしまい、結果的に適切な判断ができないことが多いように思います。
また、人事領域は高度化・複雑化が進んでいます。採用の課題を採用チームだけで解決できない、育成の課題を育成チームだけで解決できないなど、物事が複雑に絡み合っている領域とも言えます。
例えば、採用によって従業員数を増やそうとしても、報酬水準が競合他社と比較して顕著に見劣りするようであれば、どれだけ採用活動に力を入れても一向に採用が進みません。同じように、社内研修で従業員のスキル向上を実現しようとしても、その研修で開発したスキル・能力を評価・活用できる人事制度がなければただの『お勉強』で終わってしまいます。
このように、共通認識・言語の無さによる合意形成の難しさや、人事の各機能間の齟齬といった、人事のよくある失敗事例を解消するヒントとなるのが「人事ポリシー」です。
「人事ポリシー」の影響範囲や必要性
──この「人事ポリシー」の影響範囲や必要性について、もう少し詳しく教えてください。
前述したとおり、「人事ポリシー」は従業員と経営や事業を繋ぐ施策のベースとなるものです。そのため、基本的には従業員・経営層に対する指針としての役割を担いますが、その周囲の方々にも影響を及ぼします。具体的には、従業員・管理職・求職者・顧客・株主がその対象となります。
従業員に対して
人事施策を行うことで変化する対象は従業員です。従業員にとっても自分がどのように処遇されるのかが決まるため、人事施策は一番の関心事だとも言えます。しかしながら、従業員は人事制度の詳細まで理解できない(しきれない)ことがほとんどです。だからこそ、「人事ポリシー」によって個別の人事施策全体像の把握を促します。個別施策の詳細までわからなかったとしても、「人事ポリシー」さえ理解していればおおよその方向性が理解できるようになります。
管理職に対して
もちろん管理職も従業員の1人であるので、前述の従業員に対しての影響もあります。それに付随して管理職はユーザーとしての影響もあります。管理職は目標設定や人事評価、報酬決定、従業員育成などさまざまなタスクを部下に対して遂行する必要があるため、どのように人事施策を使いこなせば良いか、情報をキャッチして自身の中で更新していく必要があります。
求職者に対して
自社への応募や選考を希望してくれている求職者に対しても影響があります。求職者としては当然入社後のミスマッチは防ぎたいと考えます。その不安を解消するべく、企業は自社の情報をできるかぎり公開することが求められます。しかし、就業規則をはじめとした諸規定まで公開することには抵抗がある場合も多いのではないでしょうか。そうした場合に「人事ポリシー」を示すことで、自社の大枠の方針や考え方を理解してもらい、カルチャーにマッチした方を惹きつけることができます。
顧客に対して
この「人事ポリシー」の存在が顧客へのブランディングに繋がることもあります。企業で扱っているサービスや製品、商品だけでなく、従業員もその企業の貴重な『資産』であるためです。例えば、リッツカールトンでは顧客感動体験を提供することを「人事ポリシー」で謳っています。多くの企業が顧客へ感動体験を提供することを目指しているかと思いますが、リッツカールトンの特異性が見えるのは『1日あたり2,000ドルの決裁権を従業員に与えている』という具体的で実用的な点です。これにより、リッツカールトンの高いサービス実現が「人事ポリシー」観点からも裏付けられていると顧客は感じることができます。
株主に対して
「人事ポリシー」は株主に対するメッセージにもなります。従業員の能力開発・モチベートをどのような人事施策で行うかを伝えることで、会社の成長戦略を裏付けることになるからです。人的資本開示に向け各社が取り組みを進めていますが、まだまだ本質的なものではなく、法定数値を半ばアリバイ作り的に開示している企業が少なくない印象です。自社の数値目標を何に置き・どの程度にするべきか、そのために何をするか、というストーリーができていないからです。数値目標と合わせて人事ポリシーを開示することで経営戦略に納得感を持たせられるだけでなく、株主からの投資を呼び込むことが期待できます。
「人事ポリシー」策定時の考え方・ステップ
──「人事ポリシー」を策定しようと考えた時に、どのような考え方やステップで進めていくと良いでしょうか。
策定における考え方を理解する上で「人事ポリシー」の構成要素について知っておく必要があります。「人事ポリシー」を構成する要素は大きく以下3つです。
(1)MVVやクレド(行動規範)など ※長期的な未来視点
会社としての存在意義・大義名分・提供したい価値であるMVVなどを参考に『それらを実現するためにはどのような行動が必要だろうか』と考えることで、従業員への期待要素を明確にすることができます。その上で、『従業員に求めることは求めるだけで実現するかどうか』と自ら問い掛けてみることが大切です。到達することが難しいのであれば、『会社から従業員に提供すること』を追加する必要があります。
(2)実現したい経営戦略や目標など ※中長期的な未来視点
前述した長期的な未来視点(MVV)に基づいて設定された「人事ポリシー」の要素は、最も大切なものであると同時に『あるべき論』でもあります。そのため、直近の経営戦略や事業目標を実現するために自社従業員が実現することや会社が提供できることを加味しなければ、「人事ポリシー」として設定した内容が実現されず絵にかいた餅となってしまう可能性もあります。
(3)今まで採ってきた人事施策
これまでに採ってきた人事施策を踏まえて「人事ポリシー」を作ってしまうと、後ろ向き・現状肯定型(≒変化の否定)に繋がりやすくなってしまうため、これだけを打ち出すのはあまり良い方法だとは言えません。ただし、これまでの人事施策が経営層の本音や期待を表しているのも事実です。過去の施策から『本来の狙い』を見つけ出すことができれば、前向き・未来肯定型の「人事ポリシー」を策定することができるようになります。
ここまでの「人事ポリシー」の構成要素を踏まえた上で、大きくは以下3つのステップで「人事ポリシー」を策定していきます。
STEP1:構成要素を細かく分解
構成要素それぞれについて情報を集めた上で、どのような条件があれば実現できるかを考えていきます。例えば『顧客の成功のため、企画から実行まで支援する』といったものを掲げている場合は『顧客の成功のために必要な企画力』を持った従業員が必要になるでしょう。企画のためには顧客理解や豊富なソリューション・ノウハウの保有が求められるかと思いますので、『学習』や『専門家との関係性構築』といった要素やキーワードがあげられそうです。『実行まで支援する』のならば、業務フローへの習熟や、実際にタスクを実行するための方確保が必要になるかもしれません。
STEP2:グルーピング
すべての分解が終わったら、次はグルーピングです。類似した要素をまとめていきましょう。重複の多いものはそれだけ必要性が高いと言えます。MVVから出された示唆・戦略から出された示唆・これまでの人事施策など、それぞれについて分解した上で要素がだされたら、恐らく似ている要素がたくさんあるはずです。『学習』と『自己研鑽』や『高い専門性を保有した人材の確保』などは個人の能力に起因する要素なので、まとめても良いかも知れません。
STEP3:過不足の確認
主だったものを3〜5個程度までまとめられたら、それらだけを見て『本当にこれだけで過不足はないか』と問い直してみましょう。もし過不足があれば追加・削除していきます。グルーピングの結果、『高い専門性の保有』『自律的な業務遂行』『豊富な事例情報の保有』などになったとします。一見問題なさそうに見えますが、『高い専門性の保有』と『豊富な事例情報の保有』は一つにまとめられそうです。また、『入社時点で既に高い専門性を持った人々を採用する』ことと『学習意欲が高い人を採用しておいて、あとから育成で対応する』のとではスタンスが大きく異なりそうです。また、事業環境の変動が大きそうな事業であれば、一度獲得した専門性に固執してしまったりそれ以上の挑戦をしなくなってしまう人よりは、挑戦を好む人の方が長期的に好ましいかもしれません。このように過不足を確認しながら追記・削除を繰り返していき最終化するのです。
「人事ポリシー」の策定・改定タイミング
──創業時から「人事ポリシー」が策定されている企業は多くないと思います。一般的にはどんなタイミングで策定を進めて行くと良いものでしょうか?
『人事施策も決定や合意を得ることに時間が掛かるようになってきた』と感じたら、「人事ポリシー」を策定するタイミングだと考えています。トップのリーダーシップやメンバーのレベル、ビジネスの複雑さなどにもよりますが、概ね従業員数が100名を超えようとする頃から、『100人の壁』と一般的に言われるように、組織の意志決定が難航し始めることが多い印象です。
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なお、すでに「人事ポリシー」がある企業がそれを改定した方が良いタイミングは、『人事施策の効果がうまく得られなくなったと感じたとき』や『MVVや事業戦略・経営戦略の変化があったとき』などです。特に、人事施策の効果が得られなくなってきたと感じられる場合、従業員のニーズから外れていたり、相反する施策を行ってしまっていたりする可能性があります(例:従業員には挑戦を求めているのに、達成度で評価してしまっているために挑戦が避けられてしまう など)。
このように「人事ポリシー」を策定するタイミングは企業の状況によってさまざまですが、いづれにしても前述したようにMVVやクレド、経営戦略などの方向性を鑑みて、実施が必要かどうかを判断するとよいでしょう。
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編集後記
『「人事ポリシー」は人事領域におけるMVVのようなもの』という冒頭の言葉で、その重要性がよりイメージしやすくなりました。少子高齢化による労働力不足や採用難が叫ばれる日本において、従業員の可能性を最大限引き出すこと、求職者を惹きつけることはどの企業にとっても課題となっているはずです。また、顧客や株主に対しても影響を及ぼすものであるため、早いうちから策定に向けて動いていけると良いのではないでしょうか。