【対談インタビュー】人的資本の情報開示を契機に人事データ基盤を構築。多角的な視点で自社の人材戦略を再考する
コーナーへのご依頼やお問い合わせはこちら。
有価証券報告書に人的資本情報を記載することが義務化されるなど、人的資本経営が大きな注目を浴びています。しかし、まだ人的資本経営の内容を把握できていなかったり、どこまで対応すべきか悩んでいる企業も多いのではないでしょうか。
人材を資本として捉える人的資本経営は単なる義務ではなく、自社にはどんな人材がマッチしているのか、高いパフォーマンスを発揮してもらうためには何をすべきなのかを見直し、自社の人材戦略を再考する機会でもあります。今回は、コーナーやパラレルワーカーとともに、人的資本経営を見据えた人事データ基盤の構築に取り組んでいる株式会社シノプスの武谷さん、木村さんにお話を伺いました。
■この事例のポイント
・人的資本情報開示に向けてデータ分析の取り組み方。
・分析したデータから見えてきた意識とのギャップとこれからの進め方。
<プロフィール>
■武谷 克裕(たけや かつひろ)/株式会社シノプス 執行役員 管理部担当
新卒で日系の大手鉄鋼メーカーに就職し、約12年にわたって経理財務領域を担当。経理財務の専門性をさらに高めるべく、複数社の外資系企業で経験を積む。その後、経営企画に軸足を移し、経営再建が必要な日系企業の経営企画を担当。2023年3月に株式会社シノプスに転職し、現在は管理部門を統括している。
■木村 有希(きむら ゆうき)/株式会社シノプス 管理部 経営企画室 リーダー
2016年に株式会社シノプス(当時は株式会社リンク)に新卒で入社する。入社後は上場準備室に所属し、株式上場準備に尽力。2018年12月の株式上場から現在に至るまで経営企画室に所属し、主にIRを担当している。
目次
データは揃っていても、何をすべきかは分からなかった
――シノプス様はコーナー、パラレルワーカーの分析チームと共同で人事データの分析に取り組んできました。まずはこのプロジェクトが始まった背景から教えてください。
武谷:きっかけは有価証券報告書等への人的資本の情報開示への対応です。世の中で人的資本経営が大きな話題になる中、当社でも情報開示に向けた検討を開始しました。
木村:はい。ですが、人的資本経営が本質的にはどのようなものなのか、情報開示に向けて何をすべきなのか、社内で十分に理解が深まっていたわけではありませんでした。そこで、どのような情報開示を行うにしても、まずはその基盤となる人事データベースを情報開示に対応しうる形で構築することにしました。
武谷:他の企業もそうだと思いますが、当社にも人的資本経営に関する知見はまったくなかったといえます。一方で、当社には優秀な人材に活躍してもらい、十分な報酬を与えようというスタンスがもともと存在していました。その点では人的資本経営に通じる部分はあったと考えています。
――人的資本の情報開示という文脈の上で人事データ基盤の構築が始まったわけですね。コーナーとパラレルワーカーが参加する以前の取り組み状況はいかがでしたか?
木村:当社では2022年から男女間での賃金格差、残業時間の推移といった人事データの収集を実施していました。ですが、本来はどんなデータを集めるべきなのか、どういうストーリーで情報を開示すればいいのか確証もないまま、とりあえずデータの収集と整理をしていたというのが正直なところです。
武谷:そうですね。シノプスはIT企業ということもあり、データに関しては比較的集まっていた方だと思います。それでもなお、収集したデータを使って何をすべきか、どう活用すればいいのかまでは踏み込めませんでした。
木村:はい。データ分析まで手を出せず困っていたところ、コーナーさんとご縁があり、プロジェクトが始まりました。自社だけであれば、そのまま延々とデータを集めたり、議論の材料もないまま経営層との壁打ちを続けていたかもしれません。
退職要因の固定概念が覆された分析結果も
――そこからコーナーやパラレルワーカーが参加し、プロジェクトが本格的に動き出しました。どのようなプロセスでプロジェクトを進めていったのでしょうか。
木村:当社からは経営企画、人事・総務のメンバーがプロジェクトに参加し、既に実施していた人事施策の分析から始めました。従来から当社では多様な人材が高いパフォーマンスを発揮するにはどうすべきかを考えて人事施策を打っており、それらのデータを用いて分析を行いました。
――具体的にはどのような分析を実施しましたか?
木村:まずは採用基準と退職者の2点に絞って分析を行いました。パラレルワーカーのデータ分析チームには、当社の方で収集していた残業時間の推移、入社年数、アンケート結果などの人事データをベースにSPSS による共分散構造分析の実施をしていただきました。
武谷:データをお渡しするだけでなく、ミーティングの中では「こんな人が退職しやすいのでは」といった仮説を当社から提案し、色々な分析手法を検討していってもらいました。その結果、当社の想定とはまったく異なる分析結果が出ることもありましたね。
――退職者分析については、既にシノプス様の方でも深い分析を行っており、パラレルワーカーの分析チームの方でも驚きの声があがるほどでした。それでもなお、新たな発見があったのでしょうか?
木村:はい。当社でも本気で取り組もうと過去のデータから分析を行っていたのですが、退職者の予測や傾向が見れたらと思い、分析を行ってもらった結果、多くの発見がありました。特に驚いた例としては、「残業時間が多い人が退職しやすいだろう」という仮説を立てていたのですが、分析の結果、当社ではまったく相関が見られなかったのです。
武谷:従業員の属性別で退職者分析を実施してもらったところ、退職3ヶ月前からの残業時間推移は新卒/中途で逆転したり、中途社員は残業時間が一定程度であるのに対して新卒社員はブレ幅が大きかったりといった違いは見られましたが、統計的な数値から判断すると大きな差異はない、ということでした。
木村:それまでも当社では残業時間を削減するために、業務の生産性を高める取り組みは行ってきたのですが、残業時間と退職には相関が見られないという分析結果を受けて、「むしろマネジメントの力を高めるべきではないか」という議論にもつながりました。意義のあった分析だと思います。
人事評価と思考行動特性を結びつけた分析
――その他にも印象的だった分析はありましたか?
武谷:人事評価データを人材戦略に生かすことができないかと考え、従業員アンケートや当社で導入している人材の特性を分析するフレームワークなどを結びつけた分析です。当社が保有していたデータを用いてどのような分析が可能であるかを分析チームと議論した結果、人事評価結果と、社員の個性・特性を理解するために行っていた、人の思考行動特性を5因子に分類・整理する分析を結びつけて検討を行うことにより、何かしらの傾向が見て取れるのではないかと考え、分析を行うことになりました。
木村:そのなかで印象的だったのは、人事評価で高い評価を受けている人の特性としてイメージしやすいものがあった一方で、「協力体制」「従業員エンゲージメント」のような、人事評価の高い人が持っていると思われる特性が低く出ていたという結果があったことです。
武谷:そのような意外な点があったものの、人事評価で高く評価されている人には何らかの傾向があることも見えてきましたが、全てすっきりと整理できたというところまでは到達できていないため、今後も別の角度から分析を続けていくべきだと考えています。そもそも、意外な点があったということは、会社が社員に求めているものが、現状の人事制度できちんと評価できる仕組みになっているのか、という新たな疑問が湧いてきます。
今後こうしたデータをどのように活用して具体的な制度・施策に落とし込んでいくことができるかを真剣に検討する必要があると感じました。
木村:そうですね、また、さらに別の視点としては、人事評価で高く評価されていない人でも、非常に重要な役割を担っているのではないかという議論もありました。1人でバリバリ進めていくタイプではなくても、その人がいることで組織が円滑に動く、という人もいます。採用や評価の基準に落とし込むのは非常に難しいのですが、今後の評価制度を考えるうえで大きな収穫になったと思います。
多角的な視点で、自社の人材戦略を見つめ直す契機に
――人的資本の情報開示においては、必要最低限の情報開示に留める企業もある一方、シノプス様では独自指標の検討も進めていらっしゃいます。人的資本情報における独自指標の重要性について、どんなお考えをお持ちでしょうか。
武谷:人材の重要性を経営戦略に紐づけて定義し、モニタリングすべき指標を設定できれば、質の高い情報開示ができると思います。例えば、当社では各ステークホルダーがいる中で最優先は社員だということを明確に打ち出しており、利益は賞与で社員に還元しています。もし何かしらの独自指標と昇給率パフォーマンスの相関が取れれば、当社らしい指標として打ち出せるかもしれません。
木村:具体的な指標に紐付けるかどうかはまだ分かりませんが、当社では「Focus & Impact」「Think ZERO」「Integrity」という3つのバリューがあります。これらのバリューを評価基準にも導入しているのですが、データの分析結果と照らして、バリューのあり方を再考することも必要になるかもしれません。
――独自指標を設定する上でも、人事データの分析は大きな意義を持ちそうですね。今回の事例のように、自社だけでなく外部人材を交えて分析を行うことの重要性についてはどうお感じでしょうか。
武谷:退職者分析がまさにそうでしたが、自分たちの推測が必ずしも正しいとは限りませんし、自分たちだけではなかなか気づけないことも多々あります。データを分析して新しい発見を得るには、外部の客観的な目線がきわめて重要だと感じました。
木村:分析の客観性という点でもそうですし、自社人材だけではこれだけ専門性の高いデータ分析を実行することは難しかったと思います。課題に対する分析手法など、多くの提案をいただきながらプロジェクトを進めることができたのは本当にありがたかったです。私自身、もともとデータ分析に関心があったので、個人的にも勉強になりました(笑)。また、コーナーさんに対しては、パラレルワーカーとの間に立ってプロジェクトの推進を支援していただきました。いわば通訳のような役割を担っていただいたことも大きかったです。
――ありがとうございます。プロジェクトの今後の展望について教えてください。
木村:2024年3月に予定している人的資本情報の開示に向け、データの分析と開示情報の検討を進めていきたいです。具体的な取り組みはこれからという状況ですが、経営層とも議論しながら、納得のいく情報開示を行いたいです。
武谷:人的資本経営は、経営レベルでの納得感が得られないと部分的な施策になってしまいます。自分たちのスタンスや理念をしっかりと定義した上で、人的資本経営に取り組んでいきたいです。そのためには、データ分析の結果をもとにしながら、全体の絵を描くことが大切だと考えています。
木村:そうですね。特に当社の経営層は目的と費用対効果にシビアで、上辺だけ取り繕ったことをやるのを嫌います。その意味でも、経営レベルでの納得感を醸成し、当社らしい独自指標を設定することは必要です。
――最後に、これから人的資本経営に取り組もうとしている企業に対してアドバイスをいただけますか。
武谷:目標を見失わないようにすることが大切です。人的資本経営の対応においては、つい人的資本の情報開示という目先のテーマに引っ張られてしまいがちですが。しかし、開示すること自体が目的になってしまうと、人的資本経営が持つ本質的な価値を逃してしまいます。この取り組みを通じて、自分たちが何を得ようとしているのか、どうなろうとしているのかを明確にしておかないと、期待するような効果は出ないと思います。
木村:そうですね。アドバイスという点でいうと、多角的な視点でバランスを取ることが大切だと感じました。今回のプロジェクトのように第三者がいるということの意味は大きいと思います。これから本格的な分析がはじまるので、ますます大変になっていくと思いますが、今回の分析をきっかけにして情報開示に向けて取り組んでいきます。
編集後記
「人的資本情報の開示が目的になってしまってはいけない」という武谷さんの言葉の通り、人的資本経営に関する一連の取り組みは、単なる情報開示以上の価値を持ちうるのだと感じました。自社にはどのような人材がマッチしているのか、人材が十二分に活躍できる環境をどのように整えるか。こうしたテーマを改めて突きつけられる人的資本の情報開示は、自社の人材戦略を包括的に再考する良い機会となりそうです。その上で、多角的な視点を備え、データが持つ真価をいかに引き出せるかは、人的資本経営の成否を分けることになるかもしれません。