「信頼」をベースにイノベーションを推進する組織体質をつくる方法とは
今の時代、イノベーションの重要性に異論と唱える方はいないでしょう。しかし、『イノベーションを生み出す組織づくりに必要な要因・体質』について明確に答えられる方はそう多くないように感じます。
こうした問いに、認知神経科学やピープルアナリティクスといった科学的見地から答えを見出した方がいます。科学のチカラで働く組織のために貢献するスタートアップ 株式会社シンギュレイト 代表 鹿内 学さんです。
鹿内さん曰く、『イノベーション(新結合)を生み出す組織体質に欠かせないのは「信頼」である』とのこと。そう話す理由や根拠について、インタビューにお応えいただきました。
<プロフィール>
鹿内 学(しかうち まなぶ)/株式会社シンギュレイト 代表取締役, 博士(理学)
京都大学などの研究機関で、博士学生の時を含め約10年、ヒトの脳科学(認知神経科学)の基礎研究に従事。その後、大手人材企業に在籍中に株式会社シンギュレイトを設立。現在、話し方・コーチングを可視化して1on1マネジメントを支援する「Ando-san」や、イノベーション体質へと組織を導く組織診断サーベイ『イノベーション・サーベイ by Cingulate』 を提供中。
目次
イノベーションの実情・定義
──日本におけるイノベーションの実情について、鹿内さんはどう捉えていますか?
今はVUCAと呼ばれる不安定な時代。経済成長に合わせて勝手に事業が伸びていたバブル期とは違い、変化をし続けなければ現状維持すらままなりません。つまり、世の中の動きに合わせてちゃんとリアクションをする必要があるわけですが、大企業になればなるほど反射神経が鈍くなりがちです。さらに、少子高齢化・人口減による働き手の減少などの影響もあって生産性向上が喫緊の課題となっています。そうした背景を踏まえて重要性を増しているのがイノベーションです。
日本でもスタートアップを含めて新しいサービスは日々生まれてはいますが、グローバルで中心になる(スケールする)サービスが生まれているわけではないのが現状です。また、日本企業の生産性の低さはGDPを見ても明らか。その要因は大きく2つあると考えています。
1つは、『テクノロジーやサイエンスがまだまだ企業内で活用されていない』こと。特に、ヒトにまつわる分野においては3つK(勘・経験・根性)で対処されることも未だに多く、データを存分に活用できている企業は少数派でしょう。ただ、世界的な人的資本情報開示の流れを受けて、日本でも今後データ活用は進んでいくはずです。
もう1つは、『イノベーションの捉え方が狭い』こと。100年以上前に新結合(=イノベーション)の概念を生み出したオーストリアの経済学者 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターによると、イノベーションには以下5つの種類があります。
(1)新しい財貨(製品)の生産
(2)新しい生産方式の導入
(3)新しい販路の開拓
(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
(5)新しい組織の実現
日本におけるイノベーションの捉え方は、研究開発や新規事業などの『(1)新しい財貨(製品)の生産』のみに留まっていることが多いようです。むしろ、この種類だけを指してイノベーションだと言っている方が大半かもしれません。しかし、本来イノベーションにはそれ以外にも4つの種類があり、取り組むべき領域は多岐に渡ります。組織開発も例外ではありません。『(5)新しい組織の実現』のために、新人事制度の導入や、新しい働き方の推進、DX化などの取り組みもイノベーションに該当します。
──つまり、組織に属する誰もが『イノベーション創出は他人ゴトではなく自分ゴト』として捉える必要があるということですね。ちなみに、何を持ってイノベーションと定義すれば良いのでしょうか。
『改善で改善できなくなったときに必要なもの』と定義すると、より身近にイノベーションを捉えやすくなると思います。
例えば、iPhoneの歴史について世間に『2007年6月に発売された初代iPhoneはイノベーションと言えるか』と尋ねたら、おそらく100%に近い方がYesと答えるでしょう。しかし、その後に発売されたiPhone3G、iPhone4、iPad……などについては、Yesと答える方の割合も右肩下がりになっていくはず。これらはあくまで改善をベースにした新商品であり、これまでの延長線上にあるものだからです。
もし今の業務の中でルーティンワークになっているものがあるならば、そこにはイノベーションのチャンスが必ずあります。むしろ、去年と同じことをやっていたら衰退の始まりだと捉えても良いくらいです。『これまで通り問題なくできる』をOKとするのではなく、そこにイノベーションのチャンスを見出す姿勢がこれからの日本には特に必要だと考えています。
イノベーションの『推進要因』と『阻害要因』
──組織でイノベーションを生み出す上で、それを推進する要因と、反対に阻害してしまう要因について教えてください。
イノベーションの推進には、異なる専門性や経験を持った人と人の新しく多様な関係性が必要です。まさに、人と人との『新結合』です。アイデアだけのインベンション(発明)であれば、一人で成し遂げられるかもしれません。しかし、アイデアを市場に問いかけて、試行錯誤を繰り返すために、さまざまな才能が必要です。そうしてつながった人たちが、率直に躊躇せず、意見やアイデアを表明しあえる状態・組織ことが、イノベーションを生み出す組織体質を有していると言えます。
『阻害要因』は、これらの裏側にあるものです。例えば、組織が縦割りだったり、部署同士の争いや利害関係が発生したりしやすい大企業では、『新結合』できないことが多々あります。また、自由な意見やアイデアを沈黙させてしまう組織体質には、以下4つの危険があると言われています。
(1)無知/こんな簡単なことを聞いたら無知だと思われるかも……
(2)無能/チャレンジして失敗したら無能だと思われるかも……
(3)否定/下手に口出しすると邪魔だと思われるかも……
(4)邪魔/下手に手出しすると邪魔だと思われるかも……
なお、これら4つの危険があること自体は問題ではありません。こうした危険を乗り越えられず発言を躊躇してしまうことが大きな問題であり、イノベーションにつながる行動を沈黙させてしまうのです。
度々ニュースなどでも話題になる組織ぐるみの不正などもそれに該当します。社会心理学における概念の1つに『認知的不協和』がありますが、不協和の結果、『適切ではない行為をしてしまった時に、「認知を補正して、行為を正当化してしまうような心理」があります』というものです。卑近な例では、長い時間並んで食べたラーメンが不味かったとして、「不味かった」とは思いにくい心理です。「長い時間並んだ」という行為は否定しにくい事実だからこそ、「不味かった」という認知を「美味しかった」と無自覚に変えてしまうのです。会社の中においても、時間をかけておこなった開発に不具合があったとして、些細な事と思いたくなります。そのほかにも、集団の中では、皆さんもよく知る「同調圧力」もあります。一般に、同調圧力は、誰か個人の意図したものではありません。たまたま、同じ意見が続けば、その後に、それを否定するのは難しくなるというだけの心理です。
組織ぐるみの不正も、誰も意図しない、この認知的不協和や同調圧力が重なった結果に起こっていることが報告書などからも読み取ることができます。無自覚に起きやすいことだからこそ、敏感に早い段階でこの危険に気づいて声をあげられていれば不正も防げたはずであり、その際に足りなかったのは組織内の『心理的安全性』です。
ちなみに、前述したような4つの危険を乗り越えられていない組織ではイノベーションを推進できないどころか、イノベーションを目指す行動自体が『逆効果』を生み出してしまうことも研究結果からわかっています。イノベーションの『推進要素』だけでなく、『阻害要因』もちゃんと理解した上でイノベーション体質のある組織を先に作っておかないと、各種取り組みが徒労に終わるどころか逆効果になりかねないことも理解しておきたいポイントです。
心理的安全性だけではイノベーションは生まれない
──心理的安全性さえ確保できていたらイノベーションは推進されると考えて良いのでしょうか?
いえ、実は心理的安全性だけではイノベーションは生まれません。なぜなら、イノベーションを生み出す環境は必ずしも心理的安全性が高いとは限らないからです。
確かに、心理的安全性の高いチームは4つの危険という無用なハードルを低くする効果があり、チーム内の生産性は向上するかもしれません。しかし、低いハードルに慣れてしまった結果、心理的安全性が高くない関係における高いハードルを乗り越えられなくなってしまうリスクが発生します。
前述した通り、イノベーションは新しい人と人の関係を通じて生まれるものです。別の部署、社外の方など、心理的安全性のない相手、知らない相手とのコミュニケーションが求められるケースも多々あります。
そこで必要になるのが「信頼」です。これこそが4つの危険を乗り越えた先にあるもう1つのイノベーションを生み出す組織体質でもあります。
──心理的安全性と「信頼」は、具体的にどう違うのですか?
心理的安全性は、チームの中にある不安や危険を取り除こうとする取り組みであり、ビジネスの世界で冒険をするためのセーフティネット的な役割を果たします。しかし、こうした安全に依存して冒険にふみだせなくなってしまっては本末転倒。それを打破し、不安や危険と“共存”しながら仕事を進めていくための勇気となるのが「信頼」です。
シンギュレイトではもう少し分かりやすく言い換えて、『不安のある状況でも相手に任せようと思える期待』のことを「信頼」と呼んでいます。はじめて仕事をする相手に意見やアイデアを表明するのは、「信頼」がなければできません。つまり「信頼」は、イノベーションの源泉となる新しい・多様な関係性を生み出すときに生じる不安や危険に挑むために必要不可欠なものなのです。
なお、「信頼」がイノベーションにつながることを示す根拠として研究があります。「高信頼者」は「低信頼者」と比べて、新しい方と積極的に取引できるため機会損失が少なく(図1)、また相手の協力的・非協力的な行動を予測する正確さも高いため(図2)、失敗が少なくなります。また、相手が非協力だった時に、すぐに撤退する敏感性もあります。失敗した際の“損切り”がうまいとされています。
信頼は、世界価値観調査でも利用されていて、治安の良さや福利厚生の充実度など国・地域のさまざまな指標と関連することが知られています。
イノベーションのために新しい関係性をつくるために「信頼」が必要です。一方で、新しいことをするイノベーションに失敗はつきものです。失敗を恐れないことに加え、仮に失敗しても早期に損切りして軽傷で済ませることができれば、さらに新たなチャレンジを重ねることができるようになります。その土台となるのがまさに「信頼」であり、これこそがイノベーションを生む力であり組織体質なのです。
「信頼」に基づいて企業と個人の関係性をデザインする
──ここまでの話を整理すると、『心理的安全性』があるのは前提として、その上に「信頼」があって初めてイノベーションが生まれやすい組織になるということですね。
その通りです。関係性を図に表すと上のようになります。よくあるのが、組織内の安全性を高めるためにルールを各種定めた結果としてイノベーションが起きにくい・環境変化に対応できない組織になってしまったという失敗例です。
ルールは安全を醸成する上では効果的なものであり、その方策も簡単に取ることができるため多くの組織で選択されがちです。しかし、そこばかりに注力してしまうと組織からは主体性や自律性が失われ、イノベーションを生み出す力がどんどん減少していきます。そもそも、ルールを新設して運用しなければいけない時点で組織が硬直化していると考えた方が良いかもしれません。
ルールを作る上では前提があるはずで、その前提は日々変わり続けていきます。しかし、一度決めたルールを変えることは相当なパワーが必要であり、盲目的に守り続ける方が楽なもの。だからこそルールは簡単に変わらないし、その監視を通じて強化されていくことでイノベーションが生まれにくい組織体質になっていきます。
こうした関係性を正しく理解した上で、本当にルールが必要なのか、今あるルールをどうするべきかは考えていく必要があるでしょう。
──そうはいっても、心理的安全性が足りてない組織はルールなどで安心を醸成する必要もあるのではないでしょうか。
製造業などの工場の現場では、身体的な危険があります。時に、命に関わることがあるので、ルールや規則は必要です。もちろん、意図的に組織の足を引っ張ろうとしたり、同僚に精神的な危害を加えようとしたりする人がいないともかぎりません。だからこそ、自分達の企業に向かい入れるための採用基準のルールや公平な運用が大事になります。
そういった基盤となる制度やルールづくりで安心・安全をつくっていくとともに、発展的なイノベーションでは、人が不安や危険を感じ取りながら運用していく「信頼」の組織文化が大事になります。そう考えると、イノベーションに向けて人事やマネジメントメンバーが考えるべきは「信頼」しあう組織をどう作るかの1点に絞られると思います。
イノベーションに必要な「信頼」をどう醸成するか
──イノベーションを生む力となる「信頼」は、どうやって組織内で醸成すれば良いでしょうか?
「信頼」とは『不安のある状況でも相手に任せようと思える期待』であると先ほど説明しました。では、上司が部下を「信頼」しようと思ったとき、どんなことを不安に感じていると思いますか?
いろんな要素が考えられますが、多くは『部下の主体性』を不安要素だと感じているのではないでしょうか。まるで猫のようにメンバーは“気まぐれ”で、ご機嫌をとらなければどこに行ってしまうかもわからない──でも、この“気まぐれ”こそがポイントであり、気まぐれが組織にとって良い方向に突き抜けたときに起きるものがイノベーションというわけです。
ただ、組織が何も伝えなければ、メンバーは組織が期待した行動を取ってくれません。だからこそ組織のミッション・ビジョン・バリュー(以後MVV)を丁寧に伝え、常に方向性を示し、メンバーの主体性が自組織の中で発揮されるように「信頼」することが重要になるのです。
さきほど、主体性を“気まぐれ”と呼びましたが、はたから見ると気まぐれに見えても、そこには一貫した強い動機・こだわりがあるかもしれません。近年は人々の職場選びの基準も変化し、お金だけではなくMVVへの共感もマストになってきています。労働と報酬といった経済的な「利害の一致」は安心・安全のためですが、さらに、信頼するためには「価値観の共感」が必要です。そして、お互いの価値観に共感するために、まずは、企業・個人の双方が“自己開示”する必要があり、それを行う場として効果的なのが1on1です。互いの理念を理解しあい、重なる部分(ゴール)を見つけ、そこに到達するまでの道のりはメンバーの主体性に任せつつ、必要な裁量はすべて渡す──これが働くにおける「信頼」することなのだと考えています。
──「信頼」しあう組織をつくる上で、人事ができることには何があるでしょうか。
最も手っ取り早い・効果的な取り組みは、『1on1の内容が適切なものになっているかをチェックし改善する』ことだと考えています。いろんな観点がありますが、特に『マネジャー・メンバーの話す割合』を見ていくことが効果的です。
マネジャーが『ちゃんと1on1しています。メンバーの考えるキャリアについてもヒアリング済みです』と言っていても、蓋を開けてみたらメンバーの考えをちゃんと聞けていないどころか、マネジャーがしゃべり続けて自身の価値観を押し付けてしまっていることも多々あるものです。マネジャーは問いに徹するくらいがちょうど良く、話す割合をチェックすることで改善につなげやすくなります。
編集後記
鹿内さんへの取材を通じて、イノベーションに対する解像度がどんどん高まっていくことを実感しました。「信頼」がイノベーションを生む力になるという話もこれまでにない視点であり、人事としてすぐに取り入れられる考えや施策も多かったと思います。『「信頼」をもっと科学し、日本をイノベーション溢れる国にしたい。ピープルアナリティクスでノーベル経済学賞をとりたい』そう話す鹿内さんの今後の動向から目が離せません。