年功序列からパフォーマンス重視へ、人事制度の再構築から評価者の意識改革
長年にわたり日本経済を牽引してきた製造業。その長い歴史の中で、グローバル化やIT化など産業構造の変化に対応するために、多くの製造業が人材開発・人事制度の改革を実施しています。
こうした改革を実行してきた人事の一人として、「人材開発・人事制度の改革と浸透を成功させるには、ハード面・ソフト面での工夫が必要」と話すのが、AGC株式会社の人事にて活躍されている酒井 大地さんです。
酒井さんは、新卒入社した自動車部品メーカーの人事部にて、教育、採用、評価、昇格、制度改革などを幅広く経験された後、現在はAGC株式会社の人事として活躍されているほか、経験を活かして人材開発や人事制度設計などに困っている企業の力になりたいと考え、パラレルワーカーとしても活動されております。今回は、酒井さん自身の経験をもとに、人材開発・人事制度の改革や浸透を成功させるポイントについて語っていただきました。
<プロフィール>
酒井 大地(さかい だいち)/AGC株式会社 相模工場 事務グループ 人事労務マネージャー
2011年に新卒でトヨタ系の自動車部品会社に入社。人事として約10年にわたり、工場の総務人事業務から本社の人事業務までを幅広く担当し、採用、教育、評価、昇格、制度改革などを経験する。人材開発センターの立ち上げプロジェクトや人事制度の改革プロジェクトでは中心メンバーとして活躍した。2021年、AGC株式会社に転職。最初の半年は本社人事に携わり、その後は工場の人事リーダーとして採用・教育・評価・労務・組織開発など人事全般に携わっている。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
答えがない「教育」だからこそ大事にしたいこと
──前職の自動車部品メーカーで、酒井さんは新人研修やマネージャー研修、海外の次世代リーダー育成など幅広く人材開発に携わった後、150億円規模の人材開発センターの立ち上げプロジェクトに携わられました。どういった経緯から人材開発センターを立ち上げることになったのでしょうか。
このプロジェクトは、もともとあった人材開発センターが約40年の時を経て老朽化し、新たに建て直そうとしたことが始まりのきっかけでした。同時に、将来の予測が難しいVUCAの時代に入り、答えが分からない中でも新しいものを生み出していくには、今までの育成を見直す必要があるという経営的な課題も生じていました。
こうした背景から、学んで終わり、研修して終わりではなく、価値観の異なるメンバーが意見を出し合って新しい価値を生み出すような場にしていく方針を出しました。これまでは事務系、技術系、技能系と職種毎に独立して研修施設を持っていましたが、そういった垣根をなくして横の繋がりも生み出していこうとしました。そうやって立ち上げられたプロジェクトのリーダーを任されました。
──今までにないタイプの人材開発センターを立ち上げることになったわけですが、プロジェクトを進める上でどういった点を工夫したのでしょうか?
まず大事にしたのが、「ありたい姿から考える」ということです。古い制度や仕組みを変更するとき、どうしても現状の不満や不都合を解消することだけを考えたり、今の状態からできることを提案しがちです。しかしこのプロジェクトでは、「10~20年後にこの会社はどうあるべきか?そこに向かってどんな人材を育てていくべきか?」という問いを、経営陣を巻き込んでとことん議論するところからスタートしました。その結果、「時代が急速に変化している中で人材育成のあり方も変わっていく必要がある」という方向性を合意できたことが大きかったです。
私が在籍していた自動車部品メーカーは、エンジン開発のような伝統的な事業に加え、自動運転のように最先端を学びながら進めていく事業など、様々な事業部がありました。同じ会社でも事業部によって考え方が違ったのですが、最初に共通認識を持ったことで、意見が異なる事業部も同じ方向を向いて議論できるようになりました。研修施設や教育プログラムのあり方など、具体的な内容についてもスムーズに決めていけました。
人事領域でも「教育」は特に答えのない世界。だからこそ、「何のためにやるのか?」「何を目指すのか?」をとことん議論して考えることが大事だと感じました。また、プロジェクトを推進していくリーダーとしても、自身の想いをしっかり持つことを心がけました。関係部署からの意見を聞いて集約するだけでは、「○○さんに言われたので変更します」など、方向性がブレやすくなってしまいます。現場の話を聞くことはもちろん大切ですが、目的とゴールを忘れずに当事者としての想いを持って推進していくのがリーダーの役割だと感じました。
人事制度を現場に浸透させるために取り組んだこと
──人材開発センターの立ち上げに続いて、人事制度の改革プロジェクトにも携わったと伺いました。このプロジェクトはどういった経緯からスタートしたのでしょうか?
人事評価制度は10年以上同じものが運用されていたのですが、職能ベースで年功序列になりがちということもあり、不満の声が上がっていました。そこで現場にヒアリングを重ねた上で、最終的に階層毎に評価制度を見直すことになり、私は管理職向けと一般社員向けの2つの人事制度のうち、管理職の評価制度の再構築を担当することになりました。
管理職の評価制度で起こっていたのが、例えば同じ課長職という等級でも、部下を持っている課長と、部下がいない担当課長の間で給与がほとんど変わらないという問題でした。そういった状況に対し、特に若いながらも部下を持つ管理職からは不満の声が上がっていました。
──そういった課題に対し、どういった打ち手をとったのでしょうか?
会社が今後も成長していくには、どういった社員に対して真に報いていくべきなのか、その点を議論しながら、他社事例などもリサーチし、従来の年功序列的な制度ではなく、各自の役割や成果に合った等級を適用できる制度を構築していきました。
具体的には、役割等級という新しい仕組みを導入したのがポイントです。職能資格は一般的に、一旦上がったら下がりにくいです。そこで、役割等級を導入することでその時々の役割を設定し、前年より難易度の高い役割を担ったら給与が上がり、低い役割になったら下がる仕組みに変えました。その上で、それぞれの役割に応じて年度末に成果を評価することとしました。
とはいえ、役割と成果のみで評価する制度にしてしまうと、生活面の不安から目先の成果だけ求めるようになったり、自分さえ良ければいいと現場のチームワークが薄れてしまったりする懸念がありました。その辺りは報酬設計の面でうまくバランスを取れるようテクニカルな工夫をしました。経営陣や部長などと何度も何度も議論を重ね、軌道修正をしながら進めていきました。
こうした制度変更によって、会社に貢献した分が直接的に収入に反映されるようになりました。パフォーマンスに対してもらい過ぎだった人には危機感が生まれましたし、若いうちから会社に貢献している人には期待感が生まれました。管理職の中では比較的若い30~40代の社員が報われるようになったことで、やりがいを感じられるようになったという声ももらいました。「時代に合った制度にしてくれてありがとう」という社員からの声も嬉しかったです。
──評価制度を現場に浸透させていく運用フェーズはうまく進んだのでしょうか?
運用フェーズは、制度構築フェーズ以上に苦労しました。制度構築は人事部が主体で進められますが、運用は各現場の管理職が進めるからです。
制度改定により、年功的、一律的な評価から、個々の成果をしっかり評価に反映させる必要がありました。「なぜこの人はA評価ではなくてB評価なのか」と理由もきちんと言語化し、それを本人にもフィードバックして個人の成長につなげていく必要がありますが、評価者自身が正しく評価やフィードバックをできるようにするにはどうすればいいか、という点から考えていきました。
前職の会社では課長以上の管理職だけでも2万人以上いる組織だったので、小分けにして教育を実施していきました。1回だけではうまくいかないので、社内向けに発生しそうなケースを想定して何度も啓発活動を実施しました。例えば、評価を下げる場合のネガティブフィードバックはこう伝えると納得してもらいやすいと説明したり、それをチームで分担して進めていきました。
こうした取り組みによって、各部署の評価が適正かを判断する評価会議の場でも変化がありました。管理職が部下一人ひとりの成果に目を向け、年齢や経験に関わらず評価する意識が芽生え始め、管理職の想いが伝わる会議になりました。各個人のパフォーマンスを見た議論ができるようになりましたし、何より管理職がちゃんと部下を見て評価してくれるようになったと感じましたね。
──このプロジェクトを通じての気づきはありましたか?
私が感じたことは三点あります。一点目が、「伝える」ではなく「伝わる」を重視すること。従来の制度変更では、「制度が変わりました」「ルールはこうです」と連絡し、マニュアルを配布して終わりというのが慣例でした。しかし、それでは伝わりづらいし、何より会社が実現したいことを叶えられない。そこでこのプロジェクトでは、何度も繰り返して伝える、説明動画を作成する、相談窓口を設ける、細かいQ&A集をつくる、など現場の社員に「伝わったかどうか」にとことんこだわりました。さらに対象となる管理職を数十名毎のグループに分け、「こういったケースではどう評価すべきか?どう評価を伝えるといいか?」といったケーススタディで学ぶ場を何回も開催しました。
二点目は、各事業部のキーパーソンの力を借りること。社員数が多い組織では、人事部だけで全体をカバーすることができません。そこで各事業部のキーパーソンを巻き込みながら、彼らに制度変更の背景などをしっかり理解してもらい、各現場で人事の代わりに制度の浸透に協力してもらうことにしました。そのためにも普段から各事業部とコミュニケーションを取り、役職に関係なく「この人が言えば、みんな協力してくれるだろうな」という社員を見つけておくことも重要だと思っています。
三点目が、制度変更によって「どんなメリットがあるのか」まで説明すること。今回の制度変更では、社員によっては年収が下がるケースもあったため、抵抗感を持つ人もいました。そこで大事にしたのが、制度変更の目的や内容だけでなく、変更によるメリットを伝えるようにしたことです。経験年数によらず成果をあげた社員が報われるようにすることで、優秀な社員が辞めてしまうことが減りますし、組織も健全な状態になっていく。管理職としても組織運営がしやすくなる。そう伝えることで、実現できる未来に向けての協力者になってもらうことが重要だと感じました。
あるべき姿を描き、ブレずに進んでいけるよう先手を打つ
──規模が大きく、歴史のある企業において、人材育成や人事制度の改革・浸透を進めていくのは難しいことも多いと思います。こうした過程で注意すべきポイントは何でしょうか?
まず大切なのが、不満を解消するだけでなく、10年、20年後のあるべき姿を実現するための制度をつくること。出発点は“負”の解消でも構わないのですが、マイナスをゼロにするだけでは組織は成長しません。「制度変更によって現場はどう変わっていくのか?会社はどう良くなっていくのか?」そこを常に意識しながら進めることで、プロジェクトとしてもブレずに推進していけると思います。
また、制度を企画したときのプロジェクトメンバーの想いを言語化しておくことも大切です。規模が大きい組織の場合、運用フェーズに入ると担当者が変わることも少なくありません。運用フロー自体はマニュアルに記録されていても、「なぜこの制度になったのか?なぜこの運用にしたのか?」という背景の部分などが残っていないと、運用を微調整するうちに本来の目的から離れていってしまうこともあります。そうならないよう、制度に表れない想いの部分もきちんと言語化しておくことが大事だと感じました。
プロジェクトリーダーを経験し、最初にトップとすり合わせておくことも重要だと感じました。規模が大きな組織の場合、トップまでの承認者が多く、最初は尖った案でも次第に丸くなっていってしまうことがあります。しかしトップと話すと、実は最初の案が良かったということもよくあります。そんな事態にならないよう、まずはトップとあるべき姿について話し合っておくことが有効だと思います。
製造業の現場でイキイキ働く人を増やしていきたい
──2021年にAGCに転職するなど、酒井さんは製造業の人事としてキャリアを重ねています。長年にわたり製造業の人事として活躍する中で、大切にしていることはありますか?
工場を持っていることがメーカーの特徴であり、メーカーの利益は現場が生み出しています。だからこそ、現場にいる人たちがいかに働きやすい環境で仕事ができているかを常に見るようにしています。今の時代、製造業界の人気は決して高いとは言えません。工場で働くのは大変そうというイメージがあるかもしれませんが、それでも働きたいと思う人を増やすにはどうすればいいか、働きがいを持ってもらうにはどうすればいいかを日々考えています。
制度や仕組みだけで組織を変えようとするのではなく、大切なのは現場に足を運び、そこで働いている人の声に耳を傾け、それを制度に反映させていくことではないでしょうか。
──最後に酒井さん自身が今後注力していきたいことは何でしょうか?
現在は工場の人事労務マネージャーとして、数百人規模の組織の採用・教育・評価・労務・組織開発など人事全般を任せてもらっています。現場との距離も近いので、現場が本当に困っている人事課題を捉え、現場と一緒に解決していくことにやりがいを感じています。
人事には、採用や教育、評価などいろいろな機能がありますが、どこか一つを変えるだけでは組織が劇的に良くなることは少ないです。全てが繋がっているので、全体をうまくコーディネートしながら、活力のある組織づくり、働き甲斐のある職場づくりをしていきたいです。
編集後記
「採用や教育、評価はすべて連動していて、どれか一つを変えたからといって組織が良くなるわけじゃない。全体のバランスを見ながら動かしていくことが大事」と酒井さんにお話を伺って印象に残った言葉です。現場の不満や困っていることに耳を傾けるのはもちろん、トップとは組織のあるべき姿を一緒に描いていく。その両者をつなぐ存在として、採用や教育、評価などの各機能を使いながら、組織をより良い状態へと変えていく。人事としての一番の役割であり、一番の醍醐味ではないかと感じました。