「セルフ・キャリアドック」で従業員のキャリア自律を促進し、組織成長につなげるには

従業員が主体的にキャリア形成できるよう企業がサポートする「セルフ・キャリアドック」。2016年の職業能力開発促進法の改正・施行により、従業員には自らのキャリアプランと能力開発について責任を持つように促され、企業には従業員に対するキャリアコンサルティングの提供と能力開発支援が求められるようになりました。
そこで今回は、組織・人事コンサルタントとして「セルフ・キャリアドック」制度の構築・導入支援に携わってこられた川﨑 純弥さんに、導入における具体的な進め方などをお聞きしました。
<プロフィール>
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川﨑 純弥(かわさき じゅんや)/法人代表
複数の事業会社にて人事部門マネージャー、経営企画室長等経験後、人事系コンサルティングファームにて企業支援に従事。これまでの経験と実践的専門性を活かし、評価・賃金制度の設計・導入・運用支援、人事部門立上げ・戦略的活用支援、人事マネージャー代行、採用戦略コンサルティングサービス等、人的課題解決に関するコンサルティングサービスを提供。「国家資格キャリアコンサルタント」ライセンス保有。企業の採用支援を行う傍ら、現役就活生へのキャリア面談等、就職活動支援も行っている。
目次
「セルフ・キャリアドック」とは
──「セルフ・キャリアドック」の概要と、近年の流れについて教えてください。
「セルフ・キャリアドック」とは、従業員がキャリア開発・構築を主体的に実践していくための支援を、企業が促進する取組みのことを指します。ちなみに、厚生労働省が発表している『「セルフ・キャリアドック」導入の方針と展開』では、以下のように定義されています。
『企業がその人材育成ビジョン・方針に基づき、キャリアコンサルティング面談と多様なキャリア研修などを組み合わせて、体系的・定期的に従業員の支援を実施し、従業員の主体的なキャリア形成を促進・支援する総合的な取組み、また、そのための企業内の仕組みのこと』
引用:「セルフ・キャリアドック」導入の方針と展開 2ページ/厚生労働省
従来の育成制度・仕組みが『組織視点』に立ったものであるのに対し、「セルフ・キャリアドック」は従業員1人ひとりが主体性を発揮してキャリア開発を実践する『個人視点』に重きを置いたものになっています。同資料ではその意義・必要性について以下のように言及しています。
『平成28年4月1日に施行された改正職業能力開発促進法では、労働者は自ら職業生活設計(キャリアデザイン)を行い、これに即して自発的に職業能力開発に努める立場にあることが規定されました。同時に、この労働者の取組を促進するために、事業主が講ずる措置として、キャリアコンサルティングの機会を確保することが規定されています。』
引用:「セルフ・キャリアドック」導入の方針と展開 4ページ/厚生労働省
新型コロナウィルスによるパンデミックなど先が見えない世界情勢の中で、リモートワークや副業解禁など選択肢は増える一方であることから、自身の将来が見えづらく感じている方も多いはずです。そんな世界情勢が「セルフ・キャリアドック」への期待を高めているように感じます。
「セルフ・キャリアドック」導入・運用におけるポイント・メリット
──「セルフ・キャリアドック」を導入・運用する上で考えるべきポイントはありますか?
「セルフ・キャリアドック」は文字通り自身のキャリアについて考える機会となります。しかし、『将来のキャリアを自由に考えてください』と唐突に言われても簡単には行きません。なぜなら多くの方は今働いている企業でのキャリアをベースに考える傾向があるためです。
さらに、実際のキャリア研修や面談時も、現状の人事制度が上手く機能していないことによる課題が浮き彫りになることも多々あります。たとえば自社のキャリアステップが明確でない、評価制度が機能していないといったものです。そんな状況下では、自分の上司・同僚・部下の働き方やキャリアをベースにした考え方しかできなくても仕方がありません。
つまり従業員がキャリア自律(※1)するためには、まず会社側がキャリアステップや育成計画、求める人物像を明らかにしなければなりません。今の会社で働き続けるのか、他社へ転職すべきなのか、あるいは独立やフリーランスなどの形がいいのか──制約を外して考えるためには、それぞれの選択肢について適切に理解していることが前提条件となります。
※1:キャリア自律とは、従業員が自らのキャリアについて主体的に考え、自らキャリア形成に取り組んでいる状態のこと。
参考:「キャリア自律」が求められる時代背景と、具体的な推進方法
こうした理由から、「セルフ・キャリアドック」制度を導入・運用する上では、まず以下のような点をチェックしましょう。
・自社のキャリアステップや教育制度・計画、人事制度が適切に機能しているか?
・社内の機能不全が従業員の不満や離職に繋がっていないか?
課題が残ったまま導入を進めた場合、手を付ける順番が違う、あるいはどうすれば評価されるか等が明らかでないため、社内における特定のメンバーだけが望むキャリアを歩めるようになるのでは…などと考える従業員の発生は避けられません。

「セルフ・キャリアドック」導入時に浮き彫りになりやすい問題は、制度・教育・コミュニケーション・風土・文化と多岐に渡ります。一朝一夕では解決できないこれらの人的課題と正面から向き合うチャンスとなることも、導入するメリットの1つと言えます。
また従業員側のメリットとしては、定期的に自身のキャリア・スキルの棚卸を行い、将来のことを真剣に考える機会を設定してもらえることも挙げられます。
ただし、これらのメリットによるより良い変化は短期的には得られません。他の人事施策と同じく、時間を掛けて少しずつ従業員の考えや行動に変化が現れるものです。人事側はもちろん、従業員側にも制度の目的や意義を伝え続け、根気強く運用を続ける姿勢が成功のカギとなるでしょう。

「セルフ・キャリアドック」導入の4ステップ
──「セルフ・キャリアドック」を導入する上で、人事が踏むべきステップを教えてください。
「セルフ・キャリアドック」導入の目的は、人材育成上の方針や、直面している課題によっても異なります。しかし、どのようなパターンであっても以下2つの側面における効果を期待して導入することになるでしょう。
・従業員側……自らのキャリア意識や仕事に対するモチベーションの向上とキャリア充実
・企業側……人的課題の顕在化と、課題解決への取り組みによる人材定着と活性化
これらの効果を得るためには、以下4つのステップがあります。
(1)人材育成ビジョン・方針の明確化
(2)「セルフ・キャリアドック」実施計画の策定・準備
(3)「セルフ・キャリアドック」の実施
(4)フォローアップ
それぞれを具体的に解説していきましょう。
(1)人材育成ビジョン・方針の明確化
職業能力開発促進法で規定された『従業員に対するキャリアコンサルティングの機会確保』を、「セルフ・キャリアドック」の仕組みを具体化する形で明確にし、全従業員に対して明示・宣言することからスタートします。
あくまで『法律で決められたからやるのではなく、従業員のキャリア自律を支援するために行う』という意識で取り組まなければなりません。目的意識がないまま進めれば、結局制度は形骸化してしまうでしょう。これは「セルフ・キャリアドック」に限らず、人事制度全般にも同様のことが言えるはずです。
加えて、従業員に期待する人物像を明確にすることもこのフェーズで行います。これなしでは、従業員がこの先もこの会社で働き続けることが最善なのかそうでないのかが判断ができないからです。さらにこの人物像は採用・評価・教育などの人事施策にも活用できるため、会社の人事方針の見直しにも繋がります。
(2)「セルフ・キャリアドック」実施計画の策定・準備
「セルフ・キャリアドック」のドックは、人間ドックと同じく『定期健診』の意味を持ちます。このフェーズでは、従業員がキャリアカウンセリングという人生や仕事に関する検診を受けるタイミングや内容を設定します。
■対象者と実施時期
選定方法はさまざまですが、一般的には以下のようなタイミングや層で設定している場合が多い印象です。
・入社後の経過年数(5年、10年など)
・一定年齢到達時(30歳、45歳、55歳など)
・育児・介護休業復帰時
・昇降格など、職位の変化
・中堅社員(キャリア再構築、活性化のタイミング)
・シニア社員(職務・責任の変化や新たな環境への適応) など
設定が決まった後は、キャリアプランや職業能力をまとめた『ジョブ・カード』などのツールを用いて、キャリアコンサルタントとの面談を行います。これらを人事評価面談と併せて実施する場合もありますが、その際は日常の業務に関する内容とは異なり、キャリア形成の観点のもと実施することを心がけましょう。
■ツール・プロセス設計
・面談対応者の選定
・面談時間や場所
・面談時に使用した資料の保管方法や閲覧権限者・責任者の設定
・面談実施者からの報告フォーマット・アンケート作成 など
上記に加え、必要に応じて社内規程の整備も行います。
■面談対応者の確保
公的資格であるキャリアコンサルタント国家資格、キャリアコンサルティング技能検定1級または2級の保有者を確保します。組織内に有資格者がいない場合は、人事として従業員との相談経験が豊富で信頼が厚い方がキャリアコンサルタントに代わる役割を果たすことも可能ですが、その場合は研修が必要です。
キャリア面談で得られた情報の扱い方・共有方法についてもルールを整備する必要があります。今後の人事施策に活かすことも視野に入れ、扱い方を決めていきましょう。
■現場管理職の理解促進
「セルフ・キャリアドック」の対象となる従業員の上司に、その目的や内容を知ってもらい、ともに支援へ関わってもらわなければなりません。
・キャリア開発は個人が自己啓発の一環として実施すれば十分ではないのか
・企業が個人のキャリアを考える機会をお膳立てする必要があるのか
・「セルフ・キャリアドック」を導入すると、転職・離職を促進してしまうのではないか
上記のような意見が管理職から頻出しがちですので、あらかじめこれらの質問に対する回答を準備しておきましょう。
■従業員の理解促進
前提として、昨今の変化が激しい時代においては、単に企業が示すキャリアパスに従ったり、個人の技量や専門性を維持するだけでは限界があることを理解してもらう必要があります。世代や立場によっては自分ゴトとして捉えられない方も一定数いますが、皆が自分のキャリアと真摯に向き合うためのきっかけであることを繰り返して周知しましょう。
(3)セルフ・キャリアドックの実施
■従業員向け説明会の実施
対象従業員に向けて「セルフ・キャリアドック」の趣旨・目的、スケジュール、研修や具体的面談内容、情報の取扱いなどを事前に説明しておきます。ただし、実際に面談を受けてみるまでは先入観や思い込みでネガティブな発言・発想をされる方も一定数いらっしゃいます。それらを想定した上で、会社・従業員双方にとって意味のあることをやるんだと信念を持って進めて行くことが肝要です。
こうした説明会は、職場の実情に応じて他の研修などと合わせて実施しても構いません。ただし、その場合には『組織視点での能力開発』と、『個人視点での「セルフ・キャリアドック」』の目的が異なることを説明した上で実施するようにしましょう。
■キャリア面談の実施
キャリア面談を通じて知り得た情報は、対象従業員の同意なしに第三者へ開示しないことを伝えます。また、キャリア面談では以下を実施することを事前に説明しておきましょう。
・これまでの仕事を通した経験や成長
・キャリアや働き方で大切にしているポイントなどの気づきや棚卸し
・仕事に対する認識や理解、期待や不安などの確認
・現在~将来に渡って企業から求められる仕事の役割や責任の説明
(例)職務分析、仕事上の期待・要請・責任の理解、企業の方針や戦略から求められる仕事内容の理解、昇進、雇用条件、見通し、経験、教育機会 など
まずは、対象従業員がそれぞれの立場から主観的に理解している内容を受けとめることが重要です。その上で、その方の受け止め方とは異なる見方があればそれを伝え、気づきを促します。この際、コンサルタントの主観で断定的に解決策を提示することは好ましくありません。あくまでキャリア自律を促すことが目的ですので、対象従業員が自分で考え行動できるようなサポートに徹しましょう。
なお、普段の業務に対する不満や会社への要望などは、本来人事面談などで申し立てるべき事項ですが、キャリア面談の流れの中で必要が生じた場合には聴き取ります。聞き取った内容は場合によって、本人同意のもと企業側や上司へ伝達します。
キャリア面談は実施して終わりではありません。考えや行動の変容に繋がっているかを一定期間経過後に報告してもらって確認することで、よりフォローアップ体制を整えることができるようになります。
■キャリア研修の実施
キャリア面談のみでは、自身のキャリアの棚卸し、キャリアビジョンや目標構築、アクションプランの作成までを完成させることは難しいものです。そのため、研修などによってそれらを補うことが望ましいでしょう。
対象者の層によって、キャリア意識の持ち方や社内での立場は異なります。そのため、それらを踏まえたテーマ・内容設定は必須といえます。
研修期間:半日~2日程度
実施形式:グループワーク
実施内容:キャリアの棚卸し、キャリア開発の考え方の学習、キャリアビジョンや目標構築、強み・弱みの自覚などの自己理解、現在~近い将来に担う仕事理解、アクションプランの作成など
実施後はアンケートの実施などで、自身のキャリアに対する意識の変化や気づきがあったか、あるいはキャリア開発について何らかの取組みを行うきっかけとなったかなどを把握します。
(4)フォローアップ
キャリア面談終了後は知り得た情報の整理を行い、次の面談や今後の人事施策へとつなげます。
キャリアコンサルタントは、個別報告書を作成したり、面談内容に基づく全体報告書を作成したりして、人事部門に報告します。全体報告書には、個別の従業員が特定されないよう配慮した上で、対象従業員全体のキャリア意識の傾向や組織的な課題、及びその課題に対する解決策、従業員育成策に関する提案などを盛り込みます。人事部は報告書を基に、企業としての人的課題を整理し経営層に報告します。
「セルフ・キャリアドック」は継続運用が大前提であるため、よりよい仕組みにしていくための改善が必要不可欠です。人事部門・キャリアコンサルタントなど関係者が常に協働して、キャリア意識や仕事ぶりに変化が出たかどうかを定期的にモニターし、その後のアクションを検討・改善していくと良いでしょう。
具体的な導入実例

──川﨑さんが実際に「セルフ・キャリアドック」を導入された実例について詳しく教えてください。
趣旨・目的としては一定効果を果たしたものの、短期で目に見える変化を起こすことの難しさを実感したケースを紹介します。
とある商社様の「セルフ・キャリアドック」導入支援を行った際の事例です。会社規模は約50名ほど、売上規模は70~80億円ほどの体制でしたが、若手社員とベテラン社員の年齢差が大きく、中堅社員は退職してしまう傾向がありました。若手社員に関しても一定期間在籍する方と、早期離職する方に分かれてしまい、多くは入社10年と待たず辞めていく状態でした。またベテランは同じ仕事をルーティーンのように繰り返す方が多く、変化や成長が見られない状況に陥っていました。
そこで離職率低減とモチベーション向上を目的とした定期面談実施を行うべく、「セルフ・キャリアドック」を導入。そもそも会社側が昇格・昇進・異動などのキャリアビジョンを明示していなかったため、人事制度の整理から着手する必要があると考えました。その後は年に一度、時期としては人事評価フィードバック後3カ月以内に、全員を対象としたキャリア面談を実施するようにしました。
結果、ベテラン社員の方には残念ながら特段変化をもたらしませんでした。退職金をもらって定年退職するという方が多く、ライフプランについても、趣味など好きなことをして過ごしたいという内容に留まった印象です。役職定年などの概念のない企業だったため、定年まで職位が安泰な方が多いことも関係していたかもしれません。また、すでに「何をやっても変わらない」という諦観を持っている方も少なくありませんでした。
一方で、若手社員については一定の効果が出た印象でした。中堅社員がいなかったことからモデルケースがなく、自分の成長した姿を想起できないことや、すでに既存のポストを年配上司が埋めてしまっていたという本人に起因しない要因が、自社で長期間働くイメージを抱けないポイントとなっていたようです。
この結果を受け、企業には権限移譲や抜擢人事などを用いて組織の流動性を高めない限り、現状打破は難しいと報告。この先どのような人事戦略を持つかによって、今後の成否は大きく変わるはずです。
キャリア面談では、それぞれのやりたい事や、どう在りたいか・どう生きたいかといった内容の深堀を行うことが多いものです。自社での継続雇用だけでなく、働く人の今後の人生そのものについて自問する機会を与えることで、従業員1人1人の自発的なキャリア開発・構築の助けとなることでしょう。
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編集後記
『「セルフ・キャリアドック」を導入すると、転職・離職を促進してしまうのではないか』という意見はいろんなところで聞かれます。確かにそうしたリスクは否定できませんが、「セルフ・キャリアドック」を多くの大手企業が導入していることを鑑みると、リスクよりもメリットが上回っていると判断した企業が多いとも考えられます。企業だけでなく従業員にとっても良い効果が期待できる取り組みとして、この機会に導入を検討してみてはいかがでしょうか。