「マミートラック」のネガティブ要因を理解し、ポジティブに運用する方法とは

働き方に柔軟性が出てきたことを受け、特に正社員においては産休・育休を利用し就業を継続する女性が増えてきました。女性が自由に産休・育休を利用できるようになる傾向は喜ばしい状況ではありますが、それに伴い復職に関連して「マミートラック」という言葉を耳にする機会が増えてきました。
今回は組織開発領域でファシリテーター・カウンセラー、コーチとして活躍する鴻池 亜矢さんに、「マミートラック」の定義から人事ができる対策・注意点に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
鴻池 亜矢(こうのいけ あや)/Office 6/8代表
通信キャリアにてエンジニア・サービス開発を担当した後、人材紹介会社でのキャリアコンサルタント、人材・組織開発コンサルティング会社を経て独立。現在は組織開発ファシリテーター・カウンセラー、コーチとして、組織向け交流分析をベースにダイバーシティ&インクルージョンを中心とした組織開発・個人の支援を実施している。
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目次
「マミートラック」とは
──「マミートラック」の概要について教えてください。
「マミートラック」は、もともと『子育てとキャリアの両立を望む女性のために、育児休暇等の制度を整備する』ことを目的として1988年にアメリカで生まれた言葉です。“マミー”は母親、“トラック”は周回コースを指し、子供の出産後にまずは着実な復職と両立環境形成を果たすための一時的な対応措置のことを表しています。
このように元々はポジティブな取り組みだった「マミートラック」ですが、今日ではポジティブな側面よりネガティブな側面が強調されていることが多くなってきてしまっています。それぞれの面から「マミートラック」を説明すると以下のようになります。
<ポジティブ面>
そもそも産後は新生児を迎えて生活が一変するだけでなく、睡眠不足やホルモンバランスの乱れなどの体調側面においてもインパクトが大きいものです。それらをサポートできる各種制度の整備や周囲の理解・意識を醸成する上で、「マミートラック」という言葉や概念が起点となることがあります。
具体的には、妊娠・出産を機に『自分のキャリアを見つめ直したい』『子供や家庭を中心に生きたい』と考える人にとって「マミートラック」はそういった方々の考えや意思を保護する機能となり、安定した労働環境を提供する役目を果たしていることも多くあります。
<ネガティブ面>
ネガティブな意味における「マミートラック」は『産休・育休から復帰した女性が比較的責任が軽かったり、本人が希望しない仕事の担当になってしまう』『昇進・出世コースから外れる状況になってしまう』などということを意味します。結果、社員側のモチベーションが下がってしまったりやりがいを持てなくなってしまい、仕事が苦痛になったりキャリアを諦めたりしてしまう、などのネガティブな影響が出てしまいます。企業側でも優秀な社員の能力をフルに活用できない、離職させてしまう、などの悪影響があります。
実際に、私の友人がネガティブな「マミートラック」に陥ったきっかけは、産休前に上司から言われた以下のような言葉でした。
『産休に入る前に自席を片付けておいてね。君は産休と同時に人事部預かりになって、代わりの人が来るから。』
『復帰時には子育てしながらでもできる仕事を用意しないといけないから、異動にはなるよね。まぁそれは後の話だから、安心して元気な子を産んでよ。』
営業職としてトップクラスの成績だった彼女は、産休後は管理部門の事務職へと異動になりました。今も時短勤務で働きながら2人の子供(小学生)を育てていますが、『自分のキャリアを犠牲にして母になった』という意識を少なからず持ってしまっているようです。なお、彼女のパートナーのサポートにより経済的に安定されていることもあり、『働き続ける必要はないかもしれない』と離職も考えているそうです。
このように、日本では「マミートラック」のネガティブ面が大きく表出しています。背景には、そのネガティブさを創り出し、増幅する文化的・環境的な要素が日本にあるからだと考えています。
なぜ日本では「マミートラック」がネガティブに働いてしまうのか

──『日本の文化的・環境的な要素が「マミートラック」をネガティブ寄りなワードにしてしまっている』とのことでしたが、具体的にはどのような要素なのでしょうか。
これには大きく3つの要素があると考えています。
まず1つ目が、『察しと思いやり』です。前述した私の友人の上司の言葉を思い出してください。この上司に悪意はあったでしょうか。おそらく、彼は彼なりにこれから子供を産んで育てる私の友人の今後を“察して、思いやった”からこそ、あのような言動になったのだと思います。
『両立する社員の負担は減らさなければならない』
『営業職としての両立は無理だ』
こうした一般論や彼なりの信念のもと、あくまで“よかれと思って”の対応だったはず。問題は、そこに本人の現状にかかわる事実情報や、本人を取り巻く環境要素が何ら盛り込まれていない点にあります。両立を考えている人のキャリア意識や、その人を取り巻く社会的サポートは個別性が高いものです。つまり、その思いやりが相手にとって喜ばしいものか、また適切なものかは、相手との率直な対話によって初めて明確になるものだと言えます。
また、こうした『察しと思いやり』は両立を実践したいと考える社員側にもネガティブに機能していることが多くあります。
『仕事を途中で抜けたりされたら迷惑だと思うだろう』
『同じ部署の人たちの支援をもらうと彼らに迷惑をかけてしまう』
『私さえキャリアを諦めれば周りの人たちには迷惑や負担をかけずに済む』
これらの『察しと思いやり』に基づく“よかれと思って”の対応こそが、「マミートラック」のネガティブ面を助長してしまっているのです。
2つ目が、『根強い性別役割分担意識』です。日本はジェンダーギャップが146か国中116位(2022年WEFデータ)と先進国最下位レベルです。その背景には、根強い性別役割分担意識(女性は家に入り、男性が外で働く)があると考えられます。
日本では社会システムに国民年金における3号被保険者制度(※)などのジェンダーギャップ促進要素が組み入れられていた背景があります。こういった制度により社会を挙げてこの性別役割分担意識を高度成長の原動力としてきたように感じます。これまでの社会情勢や歴史の中では適していた側面があったものの、現在の日本ではその役目を果たせず既にマイナス影響を与える状態に突入していますが、社会のシステムや人の意識はそこに追いついていないのが現状です。明治時代より長く刷り込まれてきた意識が、さまざまな場面において両立支援を阻み、「マミートラック」をネガティブ化しているとも言えます。
(※)国民年金における3号被保険者制度とは、国民年金の加入者のうち、厚生年金、共済組合に加入している第2号被保険者に扶養されている20歳以上60歳未満の配偶者(年収が130万円未満の人)を第3号被保険者といいます。日本年金機構HPより抜粋。
最後の3つ目が、『長時間労働の文化が根強い労働環境』です。日本の時間あたり労働生産性は49.5米ドル(※)であり、70〜80米ドル前後のヨーロッパ諸国やアメリカと比較して、非常に低い状態です。そして、多くの組織が持つ長時間労働賛歌(がんばって残業している社員はまじめで偉い、など)の価値観が経営・管理側に根強くあることが、前述した労働生産性の低さと相まって、長時間労働を是とする文化を作り上げています。労働時間が長くないと働いている感じがしないという感覚自体が、時短などの形式を『価値のないもの』と定義して「マミートラック」にいる社員たちを低く評価する傾向を強めています。
(※)2021年日本生産性本部データより
このように「マミートラック」をネガティブなものにしてしまう背景には、私たち日本人の無意識や半潜在意識領域に取り込まれた文化的・環境的な側面が影響をしているからではないでしょうか。そう考えると『せっかく産休・育休制度を作ったのにその利用率が上がらない』『キャリア教育をしたのに出産・復職後に優秀な人材が離職してしまう』などの現象も、こうした文化的・環境的な側面による影響を考慮して施策を講じることができれば、その軽減が見込めるとも言えます。

「マミートラック」をポジティブなものにする方法
──「マミートラック」をネガティブなものからポジティブなものに転換するために、人事ができることにはどのようなものがあるでしょうか。
「マミートラック」を適切な形で実現しようとする企業の多くは、制度面から改善を試みるところが多いようです。時短制度の整備、育休取得可能期間の制度上の延長、フレックスタイム制の導入、リモートワーク環境の充実、評価制度の是正などがその一例です。
しかし、前述したとおりせっかく様々な制度を整えても全く利用されずに優秀な社員が離職してしまう状況が散見されます。こうした事象を防ぐためには、制度面の充実と並行して、前述したような「マミートラック」をネガティブなものにしてしまっている文化的・環境的な側面に合わせた対策が必要です。
その方向性としては大きく以下の2つがあります。それぞれの実施事例や効果と合わせてご紹介します。
『察しと思いやり』に対応するための、『現実・他者と向き合う』
出産・育児・両立の環境やそれに対しての考え方は、1人ひとり異なります。そのため、まずは当事者である社員夫婦が自分たちを取り巻く環境要素(出産・育児にあたって自分たちを取り巻く社会的なシステムのこと)について確認・検討し、言語化できることが重要になってきます。環境要素には以下のようなものが挙げられます。
・家族のシステム(親や兄弟などのサポートなど)
・地域のシステム(出産・育児を支援してくれる公的な制度やNPOなどのサービスやコミュニティなど)
・教育のシステム(保育園や学校、学童施設など)
・その他のシステム(自分たちが持つ友人のネットワークや各種育児支援サービスなど)
環境要素におけるサポート体制を知り、自分たちが望む働き方を理解し、会社にはどのような支援をお願いしたいのか。人事側ではこれらの言語化をキャリア研修や個別面談などを通じて行い、『現実と向き合う』ことを推進すると良いでしょう。
そして、『他者と向き合う』という観点においては社員夫婦と職場の上司・同僚の気持ちを通じ合わせることが欠かせません。まずは社員夫婦が自分たちの環境要素を言語化して説明し、それに対して上司・同僚がどのような支援ができるのかを共に検討していきます。個別性が高いテーマであるため、『これをやればOK』といった一律の正解はありません。関係者たちの対話を通じて『その場における最適解』を生み出すことが必要になります。これらの対話をサポートするために、人事部門などがそのプロセスや手順をある程度明確にしておきつつ、対話のファシリテーターや仲介者として介在していきます。
実際にある企業では、両立支援をしていきたい社員有志を募り、その社員達に対してファシリテーションや仲介者のトレーニングを積んでもらった上で『両立サポーター』となってもらった事例があります。『両立サポーター』は、復職や両立のプロセスを社員夫婦だけではなく、人事部やマネジメントとも協議しながら立ち上げ、伴走していく役割として活躍しました。この緩やかな仕組みが機能し、産休取得から復帰した社員の7割が元の部署で働き続け、復職後の社員に対してのアンケ―トでも、仕事にやりがいを感じることができるかどうかという設問に対して高い数値を維持しています。
『察しと思いやり』が必要な時も当然ありますが、現実に向き合い、双方が情報や考えを言語化して共有し、職場の関係者と協力しつつ、家庭と仕事を両立できる環境を整えていく方がより効果的だと言えます。
『根強い性別役割分担意識と長時間労働の文化が根強い労働環境』に対応するための『働き方の変容促進』
働き方改革が日本社会のキーワードとなって随分経ちましたが、日々コンサルタントして活動する私の視点からは、残念ながら環境はあまり変わっていないように見えます。その背景や要因は個別に異なると思いますが、多くの企業の場合は『推進力』だけを押し出して『抑止力』を無力化する施策が足りていないように見えます。働き方改革では、残業削減や休暇取得推進などの改革ポイントが看板として挙がっているケースが多くあります。実際に、厚生労働省の働き方改革に関するサイトも『どうやって改革を推進するか』の観点が中心となっています。しかし、実際に私がお手伝いをした企業では、働き方改革の『推進力』を増幅する施策よりも、働き方改革の『抑止力』を分析して対応策を講じたケースの方が実際の働き方に変化がありました。
例えばある企業では、『社員の働き方変容のためのラウンドテーブルミーティング』と称して、本音でいろいろな部署の人たちと働き方の現状とありたい姿について語る場を、全社員が参加する形で数十回に分けて実施しました。その中で抽出された働き方変容への『抑止力』は以下のようなものです。
・そもそも残業を見越した仕事量と仕事の進め方になっている
・長く働いていないと評価されない現実がある
・残業代が出ないと金銭的に苦しい
・無駄な会議や作業が多い
・会社以外に居場所がない
など
こうした『抑止力』は、フレックスタイム制の導入や残業抑制の掛け声、休暇制度などが整備されても解決されないであろう要素です。この企業では、これら『抑止力』ごとの分科会を設け、その解決方法を同様の課題意識を持つ社員同士の話し合いによって検討し、経営側に提言しました。もちろん、予算や各種制約もありすべての提言が実現したわけではありませんが、約6割の提言が採用され、少しずつ意識と働き方が変化していきました。結果、現在では残業時間が4年前の40%にまで低減しているそうです。また、『長く働いていないと評価されない』という「マミートラック」に大きく関わるような項目についても分科会により話し合い・提言が行われ、『根強い性別役割分担意識』の変容への一歩が取られました。
このように、改革として『推進力』を強めていくだけではなく『抑止力』にも着目して対策を取っていくことが、働き方改革ならびに『マミートラック』をポジティブな形にしていくためにも欠かせないことなのだと考えています。
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編集後記
「マミートラック」というキーワードをネットで検索すると、ネガティブ面の説明が目立ちます。しかし本来は、キャリアを充実させていきたい人のためのサポートシステムとして名付けられたものであることを鴻池さんのお話から理解することができました。「マミートラック」をポジティブな本来の形で機能させていくためにも、それを阻害する日本の文化的・風土的な要素と『抑止力』に目を向けていくことから始めてみてはいかがでしょうか。