「産業医」の設置により従業員の健康とエンゲージメントを向上させるためには

健康面から職場の安全性を守る「産業医」。働き方改革関連法やストレスチェック制度、昨今のリモートワーク長期化による健康被害やメンタルヘルス対応などの観点からも重要性が増しているポジション・機能です。
今回は、人事総務として上場前後の体制整備経験を豊富に持つ井元 崇文さんに、「産業医」の概要から選任基準、採用方法に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
井元 崇文(いもと たかふみ)/株式会社ディスカバリー 経営企画
リクルート、ウォンテッドリーといった人材業界を経て、ベンチャー企業の人事総務として上場前後の体制整備に幅広く従事。現在はビジネスメタバース事業の立ち上げを事業サイドで行いながら、人事支援や採用支援、個人や法人向けのキャリアカウンリングも行っている。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
「産業医」とは
──「産業医」とは改めてどういったポジションのことなのでしょうか。また、通常の医師との違いなどを含めて教えてください。
「産業医」とは労働者専門の医師のことで、企業と従業員の間に立って助言を行います。処置や治療などの医療行為ではなく、健康診断・面接指導・作業環境の精査・職場巡視などによって従業員が健康的に働き続けられる環境づくりを目的としています。コロナウイルスのような感染症などに対しても相談できるため、職場環境の改善や予防措置を行う上でも心強い存在です。患者の立場に立って治療方針を決めて治療や助言を行う通常の医者とは、大きく立場や職務が異なります。また、「産業医」は医師免許に加えて日本医師会認定産業医や厚生労働省が認定する国家資格『労働衛生コンサルタント』などの資格も取得しています。
もう1つ、「産業医」ならではのものに『勧告権』があります。これは労働安全衛生法13条3項および4項にて以下のように定められています。
産業医は従業員の健康確保をする必要があると認めたら、事業者側に対して従業員の健康管理などについて必要な勧告をすることができます。この場合において、事業者は、当該勧告を尊重しなければならない。
つまり、「産業医」が職場改善や従業員の健康のために必要だと判断すれば、事業側に対して専門的立場から勧告できるということです。
なお、勧告を受けた事業者はその内容を衛生委員会で報告しなくてはいけません。その上で実際の処置についても報告・記録を行い、3年間保存することが求められています。過労やストレスによる休職者が増加している昨今では、この『勧告権』が特に強化・重要視されている印象です。

ちなみに、「産業医」には専属・嘱託の2種類が存在します。
専属産業医
事業所内に常駐する「産業医」のこと。従業員として企業に所属し、勤務時間も決められています。ただし、企業の就業規則に医師を雇用する条件がないため、有期雇用(1〜5年程度)の契約社員や顧問契約(1年契約)を利用する企業が多いです。
嘱託産業医
非常勤で働く「産業医」のこと。ほとんどの嘱託産業医は、開業医や勤務医が副業として従事する場合が多いです。中には、産業医事務所を開設して10社以上の企業に訪問している方もいます。嘱託産業医は月1回〜数回の訪問で、復職者や過重労働者の面談、事業所の作業環境チェックなどを行います。一般的には衛生委員会の開催日に訪問し、これらの業務を処理していきます。
ちなみに、嘱託産業医とは業務委託契約を結ぶ場合が多く、契約内容に応じて業務内容や範囲も変わってきます。
「産業医」の選任基準
──「産業医」の選任基準は企業規模によって異なると聞きました。具体的にはどんな条件があるのでしょうか?
『50名以上の従業員がいる事業場は産業医を選任する義務がある』と労働安全衛生法によって定められており、違反した場合は罰則が科せられます。また、事業場の定義にも注意が必要です。事業場とは、事業が行われている場所を指します。同じ会社であっても支店・支社・店舗・工場などはそれぞれ1事業場として計算されるため、それぞれの事業所で働く従業員数が「産業医」の選任基準となるのです。
なお、選任の種類とタイミングはそれぞれ以下のような形です。
選任の種類

従業員数が50人~999人の事業場の場合は、月1回程度訪問する『嘱託産業医』の選任で問題ありません。事業場の従業員が1,000人を超えている場合には、常勤する『専属産業医』の選任が義務付けられています。
選任のタイミング
事業場で常時使用する従業員が50人に達した日から『14日以内』です。「産業医」を選任したら『産業医選任届出書』を準備し、医師免許証・産業医認定証のコピーとともに労働基準監督署へ提出する必要があります。すでに「産業医」を選任している場合でも、事業場の規模が変われば産業医変更の届出が必要になるので注意しましょう。

「産業医」設置により期待できる効果
──「産業医」設置により、組織や社員にどんな効果が期待できるのでしょうか。
「産業医」設置による効果は、大きく以下4つの観点があります。
(1)従業員の健康や安全の確保
(2)従業員のメンタルヘルス対策
(3)従業員満足度の向上
(4)人的資本経営(健康経営への投資 )による健康管理以上の効果
(1)従業員の健康や安全の確保
企業にとっては、専門的なアドバイスをもらいながら独自の健康管理施策を検討することができます。また従業員にとっては、「産業医」に相談することで自身の健康が変化したとしても安心して働き続けることができます。問題が深刻化する前に介入することで早期改善も期待できるため、企業・従業員の双方にとって望ましい存在だと言えるでしょう。
(2)従業員のメンタルヘルス対策
昨今、労災で精神障害が認められる件数も増加傾向にあり、従業員のメンタルヘルス管理は大きなテーマとなっています。メンタル不調の従業員に対して、専門知識がない人事担当が対応してしまうと、より状態を悪化させてしまうなどさまざまなリスクが存在します。そこで欠かせないのが、専門家としての知見を持つ「産業医」の存在。従業員の希望に応じた面談や、ストレスチェックで高ストレス者と判定された従業員へも面談などを通じてメンタルヘルスケアを実現できます。
(3)従業員満足度の向上
産業医との面談は、従業員にとって自己負担なく勤務時間内に事業場内でも実施できる制度です。また、企業が従業員の健康を考えてくれているという安心感は、企業への信頼につながります。それにより従業員の職場環境への満足度向上や離職率低下などが期待できます。
(4)人的資本経営(健康経営への投資 )による健康管理以上の効果
近年、中長期での企業価値向上を目的として取り組まれている『人的資本経営』。その中でも『健康経営への投資』は、経営者に求められる重要な取り組みの1つです。社員の健康状況を把握し、継続的に改善していく取り組みが、個人・組織のパフォーマンス向上に向けた重要な投資だと捉えられるようになってきています。
▶人的資本の情報開示についての記事はこちら
「産業医」をただ法令順守の目的で設置するだけでなく、最大限に活用し投資を進めていくことで、上記のような効果が期待できるようになります。従業員の心身の健康はもちろんですが、熱意や活力を持って働くことを実現する従業員のウェルビーイングにも着目することで、組織の活性化や企業業績の向上にも繋げられます。
「産業医」の採用方法
──自社で「産業医」を採用しようと考えた際、どのような方法で採用すれば良いでしょうか。
「産業医」の探し方はさまざまですが、以下3つの方法が一般的です。
(1)地域の医師会に問い合わせる
(2)定期健康診断を依頼している医療機関に相談する
(3)産業医紹介会社に依頼する
(1)地域の医師会に問い合わせる
医師会は全国にあるため、医師が少ない地方でも「産業医」が見つかる可能性が高いです。また、医師会からの紹介を受ける場合は紹介料は掛かりません。医師会で紹介された産業医と契約する際は、基本的に直接契約となります。
(2)定期健康診断を依頼している医療機関に相談する
「産業医」業務と健康診断を併せて依頼できれば、全体的なコストを抑えることも可能です。
(3)産業医紹介会社に依頼する
産業医紹介会社には多数の人材が登録されています。課題や要望を伝えると、自社に合う人材を紹介してもらえることはもちろん、複数の事業所に「産業医」を紹介してもらうことができます。ただ、紹介手数料を支払う必要があるため、サポート体制や料金体系などについては事前に確認しておきましょう。
従業員とのコミュニケーション方法
──「産業医」設置後、自社社員へはどのような形で周知・案内をすれば良いでしょうか。
1事業所の従業員数が50名を超えたタイミングで「産業医」を設置しますが、その多くはベンチャー企業や中小企業に該当するはずです。それらのフェーズでは、組織体制や人事考課制度の見直し、管理者研修など、やるべきことが山積みなことも多く、その中で衛生委員会と「産業医」を設置して運営をしていかなければなりません。
大きく以下3つの方法で「産業医」設置の従業員周知・案内を進めていきましょう。
(1)社内掲示板での周知
「産業医」の役割や相談方法などを明文化し、全社員が閲覧可能な掲示板にて周知をします。
(2)管理職向けの研修実施
1on1などを通じて従業員のリアルな情報をキャッチしやすい管理職が、「産業医」との関わり方を理解することは欠かせません。そこで「部下やご自身へのメンタルヘルス相談への対処法」などをテーマに、管理職に向けた研修を実施します。なお、長時間労働などが問題としてある企業は、この研修の中で情報開示ならびに改善目標数値などの共有によって、より高い意識を現場に持ってもらうこともできるようになります。
(3)衛生委員会の運営
衛生委員会とは、従業員の健康や職場環境などについて管理者と労働者が話し合う会議体のことです。一般的には、管理部門から議長、現場の一般従業員、管理職以上、「産業医」が同席します。その会議の中で季節ごとの健康への注意点や毎月の労働時間の確認などを行って参加者の意識を高めるだけでなく、会議中の議事録には「産業医」の署名・捺印をもらった上で従業員がいつでも閲覧できるように定時・周知する義務があります。
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編集後記
時代や環境の変化に合わせて「産業医」のあり方も変わってきている様子が井元さんのお話からも感じられました。従業員の健康を“守る”だけでなく、メンタル面のサポートなどを通じて安心感を情勢することで組織の“攻め”の姿勢を作り出すこともできる「産業医」。法令を遵守するためだけではなく、自社をさらに成長させるためにも積極的に活用を検討してみてはいかがでしょうか。