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「人的資本の情報開示」の世界情勢と「ISO 30414」出版に伴う日本企業の対策と未来

「人的資本の情報開示」 の世界情勢と 「ISO 30414」出版に伴う 日本企業の対策と未来
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2018年12月に「ISO 30414」(社内外への人的資本レポーティングのガイドライン)が出版されました。その流れも受け、2020年8月に米国証券取引委員会(SEC)が上場企業に対して人的資本の情報開示を義務づけると公表。今まさに人的資本の情報開示が世界的に求められています。

一方、日本ではこの領域への対応が遅れており、突然降って湧いたように感じ戸惑う企業も少なくないようです。そこで今回は、HRテクノロジー領域で長年研究・実践を続けており、国内で4名(2021年6月上旬時点)しかいない「ISO 30414」の認証コンサルタント資格も持つ慶應義塾大学特任教授の岩本 隆先生に、「ISO 30414」の世界的な情勢と対策についてお聞きしました。

<プロフィール>
岩本 隆(いわもと たかし)/慶應義塾大学大学院経営管理研究科 特任教授
東京大学工学部金属工学科卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院工学・応用科学研究科材料学・材料工学専攻で博士号(Ph.D.)を取得。日本モトローラ、日本ルーセント・テクノロジー、ノキア・ジャパン、ドリームインキュベータを経て、2012年に慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授に就任。「産業プロデュース論」を専門領域として、新産業創出に関わる研究を行っている。ICT CONNECT 21理事、日本CHRO協会理事、日本パブリックアフェアーズ協会理事、SDGs Innovation HUB理事 などとしても活躍中。

ISO 30414とは

──ISO 30414(社内外への人的資本レポーティングのガイドライン)の概要について教えてください。

「ISO」の後に番号のついた「ISO 〇〇」とは「国際規格」のことです。
国際的な取引をスムーズにするために、何らかの製品・サービスに関して「世界中で同じ品質・レベルのものを提供できるようにしましょう」という国際的な基準であり、制定や改訂は日本を含む世界160ヵ国以上の参加国の投票によって決まります。似たものに「JIS」がありますが、これは「日本工業規格」と言われる日本独自の国家規格です。
「ISO」はモノの規格だと思われている方もいらっしゃいますが、組織の品質活動や環境活動を管理するための仕組み(マネジメントシステム)についてもISO規格が制定されています。
ISO 30414はこの国際規格の1つであり、「社内外への人的資本レポーティングのガイドライン」として2018年12月に出版されました。
このISO 30414を普及させるためのグローバルネットワーク「Human Capital Impact」には、私の前職で今はアドバイザーとしてサポートしているドリームインキュベータのメンバーも参画していることもあって、グローバルな情報がリアルタイムに私の元へも入ってくるようになりました。

──ISO 30414にはどんな項目があるのでしょうか。

大きくは11の領域があり、それらを測定する上で58のメトリック(測定基準)が設けられています。これまで基準となる規格がなかった人事領域において、網羅性の高いISO 30414は経営トップにとっても取り扱いやすいものだと思います。

そしてISO 30414は、認証制度も創設されておりISOに認められた認証機関による認証アセスメントにパスすると認証を受けることができます。
その認証アセスメントができるコンサルタント資格も誕生。私もその資格保有者の1人なのですが、日本では4名が2020年に資格を取得しており、2021年7月からはドリームインキュベータが提供する日本語での資格講座も始まり、資格取得にチャレンジする人が増えています。

「人的資本の情報開示」が求められるようになった世界的背景

──ISO 30414が開発された背景には、世界的な「人的資本の情報開示」を求める声があったようですね。

※資料「ISO-30414-Proposal」のP.23から引用

はい。本を正すとリーマンショックまで遡ります。金融工学で財務データを分析して投資してきたことがリーマンショックにつながったとして金融資本主義が大きく叩かれ、非財務情報(≒人的資本情報)の重要性が叫ばれるようになったのがコトの発端です。
米国は80年代からサービス業に大きくシフトしてきました。直近2020年にはS&P 500の企業価値の90%が非財務資産であるとするレポートも出ています。そのため投資家からすると、財務情報を見ただけでは企業価値が判断できないんですよね。
そのため機関投資家団体からの人材情報に関する開示要求が次第に強まり、米国の人材マネジメント協会にワーキンググループを作らせて人材情報の規格開発をスタートさせたのです。その流れもあって、2011年にISOでTC 260(260番目のISOのテクニカル・コミッティ/技術委員会)が立ち上がりました。
こうして当初は米国が主導していたものの、企業から「人材情報を開示したくない」という反発が大きく、一時とん挫する形になりました。そのような中でドイツ銀行がスポンサーとして名乗りを上げ、ISO側で規格開発が推進。そして2018年12月にISO 30414が出版されたというのがこれまでの大まかな経緯です。

──なぜドイツ銀行はスポンサーとして名乗りを挙げたのでしょうか。

ドイツ銀行に関わらず、メガバンクはこのテーマに対して強い関心を持っていました。なぜなら、メガバンク自身もグループ内にアセットマネジメント会社を抱え機関投資家としての事業も行っているため、投資先である企業に人材情報開示のプレッシャーを掛けていきたい立場だからです。

ただ、それにはまず自分たちが見本を見せないといけません。バンク・オブ・アメリカ(アメリカ合衆国ノースカロライナ州のシャーロット市に本社を置く銀行)でも今、積極的にHRレポートによる人的資本の情報開示を進めていますが、背景には正しく投資をしていきたいという考えがあるはずです。
ちなみに世界初のISO 30414認証は、ドイツ銀行グループのアセットマネジメント会社「DWS」が2021年1月に取得しました。同社のHRレポートはISO 30414の認証を取ったものとして公表され、世界中から注目されています。

米国・欧州の現状(2021年6月上旬時点)

──直近にかけて、米国・欧州ではどのような動きが見られますか。

ドイツでは「HRだけでのレポートを出して投資家に説明する企業」がかなり増えてきました。これらはドイツ銀行やSAPなどがISO 30414出版に関わってきた歴史的背景が影響しています。
一方、一時は規格作りにとん挫して積極的な姿勢を見せていなかった米国も、2018年12月のISO 30414出版を機に態度を大きく変えました。SEC(米国証券取引委員会)が2020年11月9日に上場企業に人材情報の開示を義務化したこともその1つです。
そこに加え、ワークフォース(内部・外部人材含めた労働力)にどれくらい投資しているかを開示しなさいという法案が連邦議会に提出されました。2020年度の会期内では成立しなかったが、2021年度に再提出されており、法案成立に向けて連邦議会での審議が順調に進んでいます。
その法案には「ISO 30414に準拠していれば、本法に準拠するとみなす」と書かれており、アメリカとしても「国際基準に則ってやりましょう」といったムードになってきていることを、ここ最近感じているところです。

──企業は外部からのプレッシャーを受け、開示を迫られているのですね。

そういったプレッシャーが人的資本の情報開示を進めていることは間違いないでしょう。しかし、渋々要望に応じているだけかというと、そんな企業ばかりでもありません。
実は10年ほど前から「人材情報の開示量」と「業績・株価」の関係性が機関投資家の団体などによって盛んに研究されてきました。その研究結果から「人材情報を開示した方が業績・株価は上がる」というエビデンスが多く取れてきたこともあって、業績・株価を上げたい企業を中心に人材情報を積極的に開示するようになっています。
とはいえ、開示するからには社内で実行している事実が必要です。そのため「データを活用して論理的に人材マネジメントができている会社だからこそ、業績が上がり株価が上がっている」という逆の見方もできます。人的情報の開示は単なる投資家・株価対策ではなく、企業の業績や組織力向上に大きく寄与するものでもあるのです。

日本国内の現状(2021年6月上旬時点)

──日本はこのテーマにおいて世界から遅れを取っていると聞きます。実際には今どうなっているのでしょうか。

確かに、諸外国と比較してまだまだキャッチアップしきれていない部分がたくさんあります。
しかしながら、私に寄せられる機関投資家からの講演依頼も、2020年の年頭頃から急激に増えました。この半年ほどで日本の大手系アセットマネジメント会社はほぼ網羅したといっても過言ではないほどです。
また経産省の研究会メンバー間では「人材版伊藤レポート」という形で2019年にはすでに議論され、2021年には中小企業の生産性革命を実現する議員連盟から「人材情報を開示すべき」という旨の申し入れが経産副大臣になされ、2021年6月に閣議決定された成長戦略に、「人的資本の「見える化」の推進」が明記され、来年度に向けて人的資本の開示に関する政策の議論がなされることになりました。

──一方で、企業側の反応はどのような感じでしょうか。

まだまだ概要すら理解されていない企業も少なくないのが現状です。
中には「まるで黒船がやってきたようだ」と話す人もいますが、何も突然襲来したわけではありません。日本もISOの常任理事国ですし、TC 260(260番目のISOのテクニカル・コミッティ/技術委員会)のオブザーバーでもありましたから、その概念自体は以前から日本にもあったはずです。
このテーマで企業に話すと、特にCEOやCHROはすぐに「やるべき」と反応してくれます。またCFOもこの領域に関しては理解が早く、「自分たちも人材のことをデータで語れるようになろう」と前向きに捉えてもらえることが多いです。
しかし、実際の作業が人事部に落ちてくると、そこでアクションが止まってしまうことが往々にしてあります。その理由はさまざまですが、主に以下のような理由だと私は考えています。

・ISO 30414の項目には健康管理やリスクマネジメント、コンプライアンスなども含まれるため、人事部だけでなく他部署との連携が不可欠
・人事部にデータマネジメントのノウハウや経験が少ない

人材に関することなので安直に人事部へ依頼しがちですが、そもそもISOは財務情報との連携が必要なため、人事部だけで対応するよりも経営企画やデータマネジメントの専門部署を新設するなどして対応した方がスムーズです。CFOとCHROが連携し、タスクフォース的に経営企画がハンドリングする布陣がベストなのかもしれません。

──他にも、企業側の対応が後手になっている理由や課題はありますか?

先日あるイベントにとある上場企業の経営者が登壇し、「当社はHRレポートだけ単独で出す」と話していました。やはり経営陣としては人材情報だけ切り出してレポーティングすることに意義を感じているものの、一方で現場からは「サステナビリティレポートだけで手一杯で、HRレポートにまでは頭も手も回らない」という声も多方面から聞かれます。
さらに、レガシーな基幹システムを使い続けていることによる「データ収集・整理の難しさ」が日本企業の大きなハードルとなりそうです。大企業の場合、下手すればデータ整理だけで数年掛かることもあるかもしれません。
欧米ではHRテクノロジー ツールが日本以上に広がっていることもあり、データ収集・整理自体はすでに完了し、いつでも開示できる状態の企業が多数あります。つまり「あとは開示するかどうか」のフェーズに来ていますが、日本はまだそれ以前の状態という認識です。

──一方で、取り組みが進んでいる日本企業はありますか?

メガバンクなど、米国等でも上場している企業はさすがに対応が早いですね。
先日、ソニーCHRO 安部 和志さんがある記事の中で「ISO 30414に取り組む」と話をされていました。こういった企業が日本のマーケットにおいてリーダーシップを取ってくれれば、より対応が広まっていくはずです。
また、カゴメではすでにこの領域においても先進的な取り組みを始めています。経営戦略に合わせて人材を準備するのが通常の流れですが、カゴメはその逆。先に内部・外部含めた人材をデータで把握しておき、経営戦略を実現する人材を先に準備をしておくのです。
こうして人的資本データをうまく活用できている企業は、まだまだ日本ではごく少数派でしょう。ISO 30414関連の情報は英語版のものが多いこともそれらを助長している気がします。そのため英語を使って海外の先進的な情報を検索するだけでも、日本企業の中では抜きん出た存在になれる可能性が高いとも言えますね。

今後の日本はどうなる?

──日本でもこれからISO 30414への対応が進んで行くのでしょうか。また仮に進むとした場合、どれくらいのペースで広がっていくとお考えですか?

大きく2つの観点から、日本でもかなり早いスピードで浸透していくのではないかと考えています。
今、国内の機関投資家や外国人投資家のこの分野における知識が急激に高まっています。するとツールベンダーが持つ業界水準データなどを参考に、投資先企業のIR資料の人材データを見て「御社は業界水準と比較してここの数字が低いですが、どのような施策を打っていく予定ですか?」などの鋭い質問ができるようになってきています。
経営陣がこれに応えられないと、結果的に株価に反応しかねません。株式総会を経験するたびに「このままじゃマズイ」という思いを強め、来年に向けてプロジェクトチームを組むなどして対策を進めるはずです。

もう1つは「採用マーケットへの影響」です。
求職者が会社を選ぶ際、「当社は人材にこんな投資をしています」ということを具体的に書ける会社とそうではない会社では、人材求心力に大きく差が出るはずです。近年になって「当社はジョブ型に変えました」的なプレスリリースをする会社も増えましたが、これまで人材に関することでプレスリリースを出す会社はほぼありませんでした。

そういった変化が生まれたのも、人的資本の情報開示が人材採用にも有効であると実感する企業が増えたからではないでしょうか。いずれ求人を出す際に、人的資本に関するデータ提示が求められる日が来るかもしれませんね。
日本は、何か新しいことを始める際は腰が重いものの、1度始まるとそこからキャッチアップするスピードは速いです。そういう意味でも、まず走り出してしまえば世界情勢を追いかける形で猛烈に取り組みが進んで行く気がしています。

未来を見据え、企業がとるべき対応とは

──今回のテーマについて、この記事で初めて詳細を理解した方もいらっしゃるかもしれません。これから対応を進める企業は、まず何から取り組むべきでしょうか。

「まずはISO 30414の規格に沿って、データ化するところから始めましょう」といつもお伝えしています。

ISO 30414で定義されている58のメトリックは基本中の基本です。まずはその項目に沿ってデータを集め、それらをクロス分析していくと「うちの会社はこの項目が伸びると業績が伸びるんだな」などの関係性が見えてくるようになるはずです。それらを重ねることで自社における重要なメトリックが何なのかを理解できれば、それらを経営や人材戦略に落とし込むことができるようになります。
以前CHROが集まる場で講演をした際、「うちは従業員エンゲージメントを中心に構造化しているのですが、これって正しいですか?」と聞かれ、「事業内容や企業のステージによっても違うので、経営戦略次第ですが、従業員エンゲージメントを中心に据える企業は確かに多いですね」と回答したことがあります。その際、他の企業からも「うちも従業員エンゲージメントを中心に整理しています」というコメントが多くありました。

──今後おそらく、上場企業から順番に対応が進むかと思います。とはいえISOやJISは上場有無や企業規模に限らないため、中小企業やスタートアップでも対応が必要になるはずですが、ケイパビリティがないそれらの企業では対応は難しいのではないでしょうか。

確かにマンパワー面では不利な部分はあるかもしれません。中小企業やスタートアップでは人的余力がなく、兼務が当たり前になっていますから。
しかし、ISO 30414では中小企業向けのメトリックも定義されていて、外部へ開示するメトリックは10個だけに絞られていたりするので、取り組みへのハードルは意外と大企業よりも低かったりします。
また先ほど「日本ではデータ収集に時間が掛かりそう」という話をしましたが、社員数も少なく組織階層や組織間の垣根が少ない中小企業であれば、比較的身動き軽くデータ化を進めたり、活用へとアクションを進めたりすることも容易なはずです。
そういう意味では、中小企業やスタートアップであってもこの人的資本の情報開示によって、さらに存在感を発揮する会社が出てくるかもしれません。

編集後記

ここ数年だけでも欧米諸国から多くの人事トレンドや制度が日本企業に流入し、人事担当者はその対処に追われてきました。そういった背景もあり、今回の「人的資本の情報開示」や「ISO 30414」についても同様の印象を持つ方もいるかもしれません。

しかし、岩本先生の話を受け、この領域にポジティブに取り組むことが企業株価や採用力向上に寄与することはもちろん、組織・人材開発などの広い分野で良い影響を及ぼすことを理解できました。「人事だけでカバーするものではない」という話もあった通り、他分野とも連携して積極的に取り組むことができれば、また違う世界が見えるようになるのではないでしょうか。

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