社員の「コンプライアンス教育」を進める上で必要な知識と考え方
1人の社員が起こしてしまった「コンプライアンス」違反が原因で、経営を揺るがすような事態に発展することも珍しくない今、「コンプライアンス」の重要性は誰もが感じるところではないでしょうか。そのための社員を対象にした「コンプライアンス教育」は、今やどの企業も必須で取り組むべき施策と言えます。
そこで今回は、自社社員へ「コンプライアンス教育」を進める上で必要な知識や考え方について、OFFICE OLIVINE代表である井筒 郁子さんにお話しを伺いました。
<プロフィール>
井筒 郁子(いづつ いくこ)/OFFICE OLIVINE代表 組織教育コンサルタント
外資系メーカーを経て、2000年よりコールセンター・小売りやサービス業・美容医療業、大手金融企業にて人事や教育に従事。教育研修部門の立上げ・責任者、内部監査室長など中小企業を中心にプレイングマネージャーとして人材教育・育成のキャリアを積む。
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目次
なぜ「コンプライアンス」の重要性が高まっているのか
──近年は一層「コンプライアンス」の重要性が増しているように感じます。その背景にはどのようなものがあるでしょうか?
「コンプライアンス(Compliance)」は法令遵守を意味する言葉です。では『法令さえ守れば良い』か、というと、もちろんそうではありません。現在、企業に求められている「コンプライアンス」は法令遵守に留まらず、倫理観や社会的な規範にも従った公正・公平な業務遂行までを意味しており、時代の流れと共にその範囲を広げてきました。
日本で「コンプライアンス」が認識され始めたのは1980年代。規制緩和によって国営企業が相次いで民営化されたことを受け自由競争の意識が徐々に高まり、1996年の金融ビッグバンを受けてその競争意識はさらに激化していきます。
ただ、この時代(1980年代~2000年頃まで)にはまだ「コンプライアンス」=法令遵守というレベル感で認識されていたようです。
そして、2000年以降も粉飾決算や横領、リコール、食品偽造など不祥事が相次ぎます。その度に企業は社会から厳しい目を向けられたことが、結果として「コンプライアンス」の重要性や範囲の拡大につながりました。具体的には法令順守から企業倫理や社会規範、CSR(企業の社会的な責任)へと広がり、直近ではSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みが注目されるまでになっています。
例えば、食品偽装を行った企業は消費者から信用を失い市場から締め出されます。パワハラを行った上司は部下から訴訟を起こされるだけでなく、企業も管理監督責任を問われて訴訟に多くの時間を費やさなければならなくなります。
またそれが世間に知れれば、ステークホルダーにも大きな影響を及ぼします。投資家から融資が得られなくなる可能性も十分に考えられます。そうした直接的なリスクを目の前にして、企業も「コンプライアンス」の重要性を認識し、その範囲を広げてきたというのが時代の流れです。
反対に、「コンプライアンス」を遵守することで市場やユーザーから支持されることもあります。例えば、『洗って何度も使えるラップ』のようなSDGsの文脈に則った商品開発をしている企業が事業優位性を高めているケースなどが分かりやすいでしょう。
今、「コンプライアンス」は遵守して当たり前の時代になりました。「コンプライアンス」を遵守することで企業価値が守られ、CSR(企業の社会的責任)とその先のSDGsに則ることで、今後、その価値を更に高められる可能性を持っています。「コンプライアンス」は事業に大きな影響をもたらすものであり、その重要性は年々増しているものだと言えます。
「コンプライアンス」の種類と定義
──「コンプライアンス」にはいろいろなものがありますが、その代表的な種類や定義について教えてください。
「コンプライアンス」という言葉に含まれるものは幅広く、大まかに分けて以下5つの領域があると思います。
・情報セキュリティ関連法
例:情報漏洩・流出、不正入手、セキュリティ対策不備
・個人情報保護法
例:顧客情報漏洩・流出
・公益通報者保護法
例:内部通報制度
・メンタルヘルス対策
例:過重労働など
・セクハラ、差別、いじめ、ハラスメント
その中でも代表的なものとして、それぞれに関連する定義について、以下にいくつかご紹介します。
就業規則
雇用者・労働者が共に守るべきルールを定めた、労働基準法に基づく企業独自の規則で、企業には作成・提出の義務があります。入社時研修などで読み合わせ・説明する企業も多いと思いますので、全従業員が存在を認知していると思いますが、『周知の義務(労働基準法第106条)』があることを知らない方もいるようです。この就業規則は従業員がどんな環境でもすぐに確認できるように整備する必要があります。
労働基準法
働く上での最低基準・ルールを定めた法律で、全労働者に関わる重要なものです。雇用契約は雇用主(企業)が有利な立場で契約できるため、労働者側を守る形で基準・ルールが作られています。賃金や労働時間、休暇などが記されており、有名な36協定もこの法律に含まれます。
ハラスメント
範囲が幅広く様々なものがありますが、代表的なものには以下があります。
・地位や権力、立場など職場での優位性を利用して第三者に嫌がらせを行う行為
・就業環境を悪化させて働きづらくする行為
・業務上必要で適切な範囲を超えた要望や結果を求める行為
ハラスメントの種類は36種類以上あると言われ、年々種類が増えています。
内部通報制度
公益通報者保護法(労働者が公益のために通報を行っても解雇・減給等の不利益な扱いを受けないように保護する法律)の施行に合わせて、内部通報者に適切に対応するための体制(窓口設定・調査・是正措置など)の整備が義務付けられました。従業員300名以下は努力義務となっていますが、『ヒヤリハット』を察知する機能として中小企業にも一定の効果があると見込まれるもののため、すぐには導入しないと判断した場合でも、どのタイミングで導入するかを明確にしておくのが望ましいです。
メンタルヘルス対策
ストレスチェック制度(労働者のストレスの状態を企業側・労働者自身が把握し、労働者へ気づきを促すと共に、職場環境の改善につなげることを目的とした制度)が2015年に義務化されました。労働者数50名以上の事業所においては年1回以上、50名以下は努力義務となっています。企業全体の人数ではなく、事業所(各支店・工場など)に属する人数である点に注意が必要です。不実施による罰則は現状ありませんが、労働基準監督署への報告義務を怠ると罰則が科せられます。
ちなみに厚生労働省の『厚生労働省版ストレスチェック実施プログラムダウンロードサイト』では無料でダウンロードできるようになっています。ストレスチェック受検→結果出力→集団分析までできるため、今後導入を検討する中小企業は厚生労働省のHPを一度確認してみることをお勧めします。
「コンプライアンス」制定や「コンプライアンス教育」に向けたステップ
──「コンプライアンス」選定や「コンプライアンス教育」に向けて、どのようなステップを踏むべきでしょうか。
まずは『自社にとってどのようなリスクが潜んでいるのか』を顕在化させるところから始めましょう。その際は法律、規範(社内・社会)、企業理念(企業が果たす社会的責任)、企業倫理など複数の観点から見ていきます。また常時10名以上の労働者を雇用している企業は、就業規則を事業所がある管轄の労働基準監督署に提出する必要があるため、こうした法律に係る事項は緊急性も重要度も高くなります。
次に、自社の就業規則に基づいて必要な規程類を策定していきます。規程は自社の取り扱う商品・商材などから必要なものを挙げていく形になりますが、多くの企業に共通する代表的なものは以下5つです。
(1)会社運営の基本的な事項 (定款・取締役会規定など)
(2)組織権限 (組織規程・職務権限規程・稟議規定など)
(3)人事労務 (就業規則・賃金、給与規定など)
(4)業務管理 (購買管理規定・外注管理規定など)
(5)総務関連 (文書取扱い規定・印章取扱い規定など)
例えば、個人情報を扱う企業であれば情報セキュリティ関連法の規程整備やプライバシーマーク(Pマーク)の取得が必須です。加えて自社プライバシーポリシーの策定と、HPなどへの開示、誓約書の作成も必要になってきます。さらに対企業であれば秘密保持契約書(NDA)の準備も欠かせません。また自社での個人情報の扱い方法を取り決め、社内に周知する必要もあります。こうして規程の整備が完了したら、各種マニュアルの作成と研修資料などの作成に移ります。
社員の意識を高めて浸透させる「コンプライアンス教育」の方法とは
──せっかく作った「コンプライアンス」規程も、自社内で浸透しなければ意味がありません。どのような形で「コンプライアンス教育」を進めて、組織へ浸透させていくのが良いでしょうか。
適した方法にeラーニングを用いた方法と紙を用いた方法があります。eラーニングは社内インフラが整っている企業や、紙管理が厳しい社員数(従業員数300名以上で選任の担当者がいないなど)の企業に適しています。
eラーニングは、各自のタイミングで自己学習ができることが最大のメリットです。文字だけでなく音声ガイダンスをつけることで視覚・聴覚双方から情報が入って理解度が上がりますし、視覚・聴覚に障害がある方の学習も可能になります。また自主学習後にテストを実施し、その点数によって追加の勉強会や講習を行うことも有効です。合格点を設けることで企業としても一定以上の「コンプライアンス」遵守の理解ができていることを示すことができます。
ちなみに、eラーニングを実施する際はイントラネットなどで実施期間や趣旨・ポイント・社会背景なども共有するようにしましょう。都度関係者に連絡する手間が省けるだけでなく、「コンプライアンス」遵守の重要性を再認識してもらうことにも一役買ってくれます。
そして、eラーニングの運用が難しい企業は、資料を紙に落として勉強会を行うのが現実的です。個々人に任せず、管理職が主導して全員参加の場をつくるなどの方法が適切です。テストまで実施する場合は、学習終了後にその場で全員で実行すると手間と時間が省けます。
コンプライアンス研修は継続が難しいと仰る企業もありますが、定期的に実施するスケジュールをあらかじめ立てておき、それに沿って実行すると良いと思います。Pマークを取得している企業であれば、その更新頻度(2年毎)に応じて、全社に対してブラッシュアップを行うための企画を行ったり、年末年始に合わせて年末年始の規則規定を毎年同じ時期に周知する、などです。もちろん法改正など随時発生するものに対しても事前にスケジュールに組み込んでおきましょう。
──eラーニングによってどれだけ「コンプライアンス」知識・意識が高まったかについては、どのようにチェックしていますか?
社内でその効果や行動を確認できるものとできないものがあります。例えば、飲酒でのトラブルを避ける目的で忘年会・新年会の2次会が禁止されていた場合、それを企業側がすべて確認するのは不可能です。
しかし、情報セキュリティ管理が職場で実行されているかはどうかについては、定期的・不定期な監査の実施等で行動の浸透状況を確認することはできます。例えば、顧客情報の管理が厳しい銀行支店では、帰宅時に袖机を行内にある金庫に入れて施錠することが社内ルールとしてあります。この場合は、支店員が帰宅したのち或いは出社前に確認することができます。
他にも証券会社ではインサイダーに抵触する可能性から「(同じ企業の社員同士であっても)他部署には情報を開示・共有しないルール」が存在します。この場合はアクセス権を制限する方法が一般的ですが、センシティブな情報が満載な顧客情報は、プリンターやデスク上に置きっぱなしにして離席しないなどのルールが定められており、実務内でチェックが可能です。
ちなみに上場企業では内部監査担当がいるため、監査項目の一部として部課班・チームの実行度を把握することもできます。内部監査が存在しない企業では、管理職が自部門を定期的にチェックしたり、他部署の実行度を定期的にクロスチェックする体制を作ったりするなどの取り組みを通じて組織全体へ定着を図ることができるようになります。合わせて管理職自身の「コンプライアンス」遵守意識も高める効果も期待できます。
店舗や支店などは、管轄下に置くエリアマネージャーやSV(スーパーバイザー)が定期的にチェックすることができます。最終的にはしっかりと、本部スタッフの方が実行度合いを確認する事が重要なので、別業務で赴く際に立ち寄るなどの工夫を含めてコンタクトの頻度を増やしている企業もあります。チェックする側は専門家ではありませんが、マニュアルの保管方法や最新版かどうかなどは誰でも確認できます。また店舗・支店へ赴くスタッフがチェックする当事者になることも「コンプライアンス」遵守意識を高める上で効果的です。
「コンプライアンス教育」の実例
──実際に井筒さんが関わった事例について、差し支えない範囲で教えてください。
全国展開しているサービス企業(100店舗以上・従業員数1,000名超 ※アルバイト・パート含む)の教育研修室長として、会社全体の「コンプライアンス教育」を担っていた際の事例をご紹介します。
<背景>
100店舗以上・従業員数1,000名を超える企業ではありましたが、実態としては成長フェーズにあるベンチャー企業でした。そのような企業においては「コンプライアンス教育」の実施・「コンプライアンス」遵守の確認・フォローアップ・ホットラインの運営は『経営の生命線』です。しかし、社内整備が追いついておらず、ヒト・モノ・カネのリソースも全体的に不足していることから、私1人で全社の「コンプライアンス教育」を担うことになりました。
<実施内容>
本部所属員及び店舗系管理職合わせて60名程度の人材と連携することで、全社隅々まで「コンプライアンス」遵守の目を届かせられるようにしました。まずは教育部門の責任者としてホットライン担当に着任し、フランチャイズを含む全店舗からの情報が1カ所に集まるような仕組みを構築。情報が入るたびに調査に出向き、その対策と再発防止を経営層と検討していきます。また新店出店の際は新店向け「コンプライアンス研修」に出向くだけでなく、その周辺店舗にも立ち寄り、各エリアの店長会議に出席して各店の「コンプライアンス」が守られているかを広く確認したりしていました。年に1回はすべての店でチェックがなされている状態にできるよう、綿密に行動計画を立てていました。
<結果>
教育部門の責任者として経営層や他部署と密に連携を図ったことで、ミニマムな人数でも全店舗に「コンプライアンス教育」を届けることができたと考えています。主要人材との連携を事前に計画できたことで、ミニマムな人数でも組織改善のPDCAを回すことができたと考えています。
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編集後記
「コンプライアンス」の重要性の高まり・範囲の広がりは今後も続くと予想されるため、現時点の取り組み内容で今後も十分カバーできるとは限りません。会社に関わる1人ひとりの意識や行動が、自社の社会的信頼を支えている──それを念頭におきながら常に内容をブラッシュアップさせて継続的に取り組むことが「コンプライアンス教育」の肝であると、井筒さんの話から再認識することができました。