「ピープルアナリティクス」の実践内容を知り、KKD(勘・経験・度胸)だけの人事から卒業するには
データを使って仕事の成果を高める流れは一般的になりつつありますが、人事領域に関しては、「ヒト」という感情や身体などの影響が大きいためKKD(勘・経験・度胸)が重要と言われることが多く、デジタル化が進みにくい領域のひとつと言えるでしょう。
そんな人事領域において「ピープルアナリティクス」という概念がここ数年で急速に広まっています。一部の企業においては専門部署があり、Googleのピープルアナリティクス担当副社長は 「Googleではデータと分析にもとづいて、すべての人事に関する意思決定を行われるべきだ」と説明をしています。
しかし、いざデータを測定してみようと思っても、何から手をつければいいのかイメージがつかないもの。そこで今回は、日立製作所やソフトバンクといった日本を代表する企業においてピープルアナリティクスを活用してきた実績を持つ中村亮一さんに、実際の導入事例なども含めてお話を聞いてみました。
<プロフィール>
中村 亮一
大学卒業後、日立製作所に入社し人事総務を担当。2017年4月よりピープルアナリティクス専門部門を立上げ、心理学を用いたエンゲージメント研究に従事。2018年10月よりソフトバンクにてHR Tech・ピープルアナリティクスの社内導入など、人事部門のデジタルトランスフォーメーション推進を担当。2020年3月、エンプロイー・エクスペリエンス・プラットフォーム「BetterEngage」を提供する株式会社BtoAに入社。事業開発を担当する傍ら、ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会の上席研究員やHR総研のコンサルタントなども務める。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
ピープルアナリティクスとは
──まず、ピープルアナリティクスとはどんなものでしょうか? 一般的な定義に加え、中村さんの考えを教えてください。
ピープルアナリティクスの定義はいくつか存在しますが、毎年「People analytics conference」を開催するペンシルベニア大学により定義された以下のものがよく使われています。
「People analytics is a data-driven approach to managing people at work.」
企業に蓄積された人材マネジメントにまつわるさまざまなデータを統計解析し、戦略的な人事・経営の意思決定や業務効率化などに活かそうとする取り組みの総称、それが「ピープルアナリティクス」です。
個人的な見解としては、ピープルアナリティクスが注目されるようになった背景には、「組織マネジメント」から「ピープルマネジメント」への変化があると考えています。
具体的に説明すると、これまでの人材マネジメント(人的資源管理)は会社や組織といった大きな単位で語られることが大半でした。しかし、事業のボーダレス化、労働生産性の向上、多様性の確保といった事業トレンドの変化に伴い、社員1人ひとりの価値を最大化することに視点を移す「ピープルマネジメント」が求められるようになったのです。
「ピープルマネジメント」によりスピーディな事業のポートフォリオ転換、最適な人材配置を実現するためには、個人の経験・スキルはもちろん、その状態把握までが必要になります。人材の適切な把握と分析、事業への最適配置、その結果の観測・把握という一連の流れこそが「ピープルアナリティクス」なのだと私は捉えています。
組織におけるピープルアナリティクス活用方法
──ピープルアナリティクスの概念は理解しましたが、実際の活用イメージがなかなか持てません。どのような形で活用されるものなのでしょうか?
ピープルアナリティクスにはいくつかの段階があります。PwCコンサルティングの定義(上記図参照)ではレベル1〜5までと分類されていますが、HR業務での活用レベルで分けると、以下3つに整理できます。
(1)現状把握・可視化(Description)
(2)要因・予測分析(Prediction)
(3)アクション・処方(Prescription)
それぞれの活用方法を「退職リスク」を事例に説明していきましょう。
(1)現状把握・可視化(Description)
「若手の退職リスクが高まっている」ということは、よく会社の中でも語られるテーマです。しかし実際は体感レベルで感じたリスクに対して、1on1やメンター制度など効果のありそうな施策を実施する程度に留まっています。
この課題の本質に対応するのであれば、若手とはどの年齢層を指すのか、過去と比較して退職率が高まっているのか、どの組織・職種で起きているのか、といった現状把握・可視化を進め、それに応じた課題対象にフォーカスすることがまずは重要です。
例えば、退職率が高まっている層が新卒3年目までのメンバーであれば、配属の見直しが必要かもしれません。20代後半(入社5年以上)のメンバーであれば、キャリアへの不安解消が有効かもしれません。このように、まずは現状を把握・可視化すること、そしてフォーカスする対象を見極めることが、データ活用の第一歩になります。
(2)要因・予測分析(Prediction)
ある特定層の退職が顕著な場合、そこにつながる要因特定が必要です。要因特定ができれば、その対象者へより効率的・効果的な対策を実施することができるようになります。そのための手法はいくつかありますが、ここでは2つご紹介します。
まず1つが「相関分析」。これは2つのデータの間に関係性があることを特定する手法です。例えば、労働時間の増減と退職率の増減に関係があることを示すことが可能です。ただし、これはあくまで関係性があることを示すものであり、因果関係があることを示すものではありません。「労働時間が上がれば退職率も上がる」とは必ずしもならないことを認識しておく必要があります。
もう1つが「回帰分析」。これは退職率と相関・因果があると思われる変数(労働時間や同一業務従事年数など)について、一方の変数から将来的な値を予測する手法です。
分析手法によっては高度なスキルが必要になる場合もあります。しかし、エクセル上で対応できるものも多くあるため、必要に応じて試してみるのもよいでしょう。
(3)アクション・処方(Prescription)
退職リスクの高い対象者やその要因が特定できれば、あとはその対策をするだけです。ですが、実際にいつ退職という行動が発生するかを正確に予測することは非常に難しいもの。そこが分からなければ、適切なタイミングで対策を講じることができません。
ここに対してはまだ事例は少ないものの、「個」の状態をリアルタイムに把握することで、適切なタイミングで適切なアクションを実施できている企業があります。その実現には先ほど紹介した回帰分析よりもさらに高度な「重回帰分析」を用いたり、主成分分析やクラスター分析といったその他の分析手法をいくつも組み合わせたりする必要があるため、容易にマネすることはできないかもしれません。しかし、ピープルアナリティクスの活用レベルを上げていければ、こういったことまで実現することも可能なのです。
導入企業の事例紹介
──中村さんがこれまでに関わった企業で、どのようにピープルアナリティクスを導入してきたかを教えてください。
私自身、これまで日立製作所・ソフトバンクの2つの会社でピープルアナリティクスを実施してきました。その両者の事例をご紹介します。
日立製作所/新卒採用改革
<なぜやったか>
事業が大きく変わっていこうとしている中で、優秀な人材の定義も変えていくべきだと考えたから。
<なにをやったか>
まずは、社内人材の適性診断データを分析し、「優秀」「とがってる」と言われる人材がデータ面から見てどういった特徴があるのかを洗い出そうとした。具体的には以下2つの分析情報から、人材タイプ(ポートフォリオ)および採用要件を設計し、その人材を採用するための選考プロセス設計まで行った。
①従来のモデル人材へのインタビューから取得した「定性情報」
②ハイパフォーマーのデータ分析、応募者・採用者のデータ分析によって導き出した「定量情報」
※分析対象は、学生と社員の適性検査のデータ
<結果>
上記の分析により、以下2つの発見があった。
①日立製作所では人材タイプを4つに分けられること
②そのうち、ある1つの人材タイプが採用の半数以上を占めていること
この発見から、「事業成長のために本当に必要な人材は、どういったタイプの人材か」「どこが充足し、どこが不足しているか」といったコミュニケーションをデータ基軸に話ができるようになった。結果、2017年新卒採用でも内定者のタイプが大きく変化し、コンピテンシー項目の平均値も上がった。
ソフトバンク/パルスサーベイ
<なぜやったか>
経営資源としての「人」の重要性が増し、よりタイムリーに「個」の状態を把握する必要があった。しかし、従来の調査方法は、年に1回だけの測定だったり、仕事面のみの測定であったりと、しっくりくるものがなかったことから、新しい仕組みを作る必要があった。
<なにをやったか>
ワーク・ライフ・インテグレーション(※1)の観点に基づき、社員の充実度を仕事(Work)、生活(Life)、健康(Health)の3つのカテゴリーごとに測定する独自のパルスサーベイ(※2)を自社開発。大学と共同で研究を行い、心理統計学の手法を用いて、各カテゴリーを4つの因子(計12因子)で測定した。
<結果>
社員は月に1回13問(12因子設問+総合設問)について、パソコンやスマートフォンから回答し、翌月に集計結果とアクションプランのリコメンドなどが回答者本人と上司にフィードバックされ、上司部下のコミュニケーションに活用されている。
また、パルスサーベイの結果に加え、性格検査や勤怠などのさまざまな人事データと組み合わせ、分析し、AI に学習させることで、社員の活躍予測に繋げる研究も実施している。
※1:ワーク・ライフ・インテグレーションとは
従業員(個人)の仕事と生活の両方を充実させることで、従業員のメンタルヘルス対策や継続的なキャリアアップにつながるだけでなく、生産性の向上により企業の成長を図るという考え方
※2:パルスサーベイとは
従業員満足度(ES)を測る際に用いられる、従業員に対する意識調査の一種です。他調査方法と比べ、実施頻度が高いことが特徴で、日報・週報・月報のように業務習慣の一部として調査を実施します。1回5分~10分程度で対応できるため、毎月実施したとしても従業員にとって大きな負担になりません。
ピープルアナリティクスの始め方
───ピープルアナリティクスを取り入れるとき、まず何から始めるのがよいでしょうか?
まずは「データを収集・整備・統合すること」から始めましょう。その上で、必ずぶつかるのが「データ三大疾病」です。
「データ三大疾病」
①バラバラ病:縦割り業務によりデータの在処、保管方法、組織毎の加工の違いなど。
②ぐちゃぐちゃ病:手入力による入力ミスや認識違いによる選択ミスなど。
③まちまち病:制度変更による評価記号の変更など継続したデータになっていない、担当者がデスクトップで加工してしまい、ある年だけデータがないなど。
※一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 上席研究員 丸吉 香織 氏が問題提起
まずはこの壁を越えるために、例えば以下のようなことに手を付けてみるのがよいでしょう。
・人事部門内に点在しているデータと利用権限を把握する
・データの内容・形式・発生タイミングを把握する
・データに共通するキー(社員番号・メールアドレスなど)が設定されているか確認する
・データを集約し、データレイク(※図2)を作る
・データを加工し、業務で活用しやすいようにデータマート化する
実際に分析しようとすると、意外と使えるデータが少ないことに気づくはずです。また、現在人事が持っているデータは一度取ると変化が少ない「静的データ」が大半で、個人の行動や情緒の動きを測定する「動的データ」がほとんどないことも明らかになるでしょう。
前述したパルスサーベイや、キャリアの指向性、コミュニケーションデータなど、新たな「動的データ」の取得ができる体制を作り、将来の分析基盤を用意しておくことが、「データ三大疾病」の壁を超えるためにも重要になってくると思います。
オススメ本(3冊)
──ピープルアナリティクスについて学びたいと思っているHRパーソンに向けて、オススメの書籍があれば教えてください。
ピープルアナリティクスの教科書/北崎 茂(著)
理論・手法・運用・事例と、まさにこれからピープルアナリティクスを進めていく人のための本です。サイバーエージェント、日立製作所など9社の事例・実践法・効果なども収録・解説されています。
データ・ドリブン人事戦略/パーナード・マー(著)
「データ・ドリブン人事戦略」とは、ますます増え続けるさまざまなデータを賢く活用し、社員のパフォーマンスを向上させたり、会社全体の成功に貢献したりすることを指します。「戦略目標を達成する」という観点から、人事がどうデータを活用して価値発揮するかをまとめた1冊です。
人事のためのデータサイエンス/入江 崇介(著)
ゼロから人事データ活用を始める方に向けて、数式は極力使わず、統計解析の手法と使える場面、分析結果の読み取り方などをわかりやすく紹介してくれる1冊。分析用データのダウンロードもついているため、まずはここから始めても良いと思います。
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編集後記
「これまで人事部門の施策はKKD(勘・経験・度胸)と揶揄されてきました。でもこれからはKKDD(科学的・客観的・データ・度胸)。ピープルアナリティクスの観点で新たな価値を生み出していくことができるでしょう。」
中村さんがそうおっしゃる通り、世の中の変化に合わせて人事も変わっていくタイミングが来ていると思います。しかし、だからといっていきなり「時代はピープルアナリティクスだ!」「分析しよう!」とスタートしてしまうのは本末転倒。「まずは社内にあるデータを収集・整備・統合するところから始めよう」というくらいの心持ちでスタートするのが、人事から組織を変えていく最初の1歩なのかもしれません。
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