「EVP」を明確に定義し、自社採用力・定着率を向上させる方法とは
『従業員への価値提案』と訳される「EVP(Employee Value Proposition)」。人材獲得・定着の観点から近年注目を集めているキーワードです。
今回は、人事制度構築、M&A支援、組織・人材開発のコンサルティング経験、外資系企業のHRBP、人事部長など20年以上のキャリアを有するパラレルワーカーの方に、「EVP」の概要から組織への影響、自社独自の「EVP」の設定方法に至るまでお話を伺いました。
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目次
「EVP」とは
──「EVP」の概要について教えてください。
「EVP(Employee Value Proposition)」は日本語で『従業員価値提案(ないしは価値提供)』と訳される通り、企業が従業員へ提供できる価値のことを指しています。具体的には、採用・入社から退職までの一連の従業員のライフサイクルにおいて、社外の潜在的・顕在的な採用候補者を惹きつけ(アトラクション)、社内の既存社員を引き留める(リテンション)ために企業が提供する価値の総体のことを言います。なお、会社によってはPVP(People Value Proposition)や〇〇Wayなど独自の呼称を用いるところもありますが、いずれも従業員ライフサイクルにおいて採用候補者・社員に対して訴求・提供する価値であることに変わりはありません。
「EVP」が示す価値は総体的なものであり、給与・賞与や福利厚生のような金銭的な価値のみで表されるものに限りません。以下のような『非金銭的な価値』も「EVP」の重要な要素のため、トータルリワード(総報酬)の発想が重要となります。
【非金銭的な価値】
・成長につながるチャレンジングな仕事ができる機会
・優秀な同僚と勤務することで得られる学びや刺激
・フレンドリーな組織文化
など
私が特に重要だと考えるのは、後者の『非金銭的な価値』です。金銭のみで採用競合と戦えば、待っているのはどちらがより高い金銭報酬を支払うかという消耗戦になってしまいます。仮にその競争に勝ったとしても、金銭的な価値のみで惹きつけられた社員は、将来的により高い報酬を提示された他社へと移ってしまう可能性が常にある状態であるとも言えます。
社員はともに会社のパーパス・ビジョンを実現するための『同志』であり『傭兵』ではありません。ゆえに、『非金銭的な価値』によって惹きつけられた社員の方が企業やビジネス、企業のミッションなどへのエンゲージメントが高いことは想像に難くないでしょう。
「EVP」の重要性が高まっている理由
──近年、「EVP」の重要性が高くなっているように感じます。それにはどういった理由・背景があるのでしょうか。
最近、HR関連の記事や書籍を読むと「EVP」のワードを目にする機会が増えたと私も感じています。しかし、「EVP」は最近生まれた新しい概念ではありません。私が以前勤務していた米系プロフェッショナルサービスファームでは10年以上前からこの概念が提唱されていましたし、米国をはじめとする欧米諸国では2000年代初頭には既にこの概念がマネジメント学者などによって提唱されていました。
では、なぜ日本で「EVP」がここ数年注目されるようになったのか。そこには、大きく以下3つの理由があると考えています。
・人材マーケットにおいて雇用の流動性が高まってきていること(特に、有望な若手人材における職業観の変化が顕著であり、自身の成長のためには転職も当然だと考えるようになったこと)
・ITエンジニアやバイリンガル人材をはじめとする特定の職種・属性において、人材の獲得競争が激化してきていること
・少子高齢化によって労働力人口減少に伴うリスクが顕在化してきていること
先ほども述べたように欧米諸国で2000年代初頭から「EVP」の概念が提唱された背景には、日本とは逆説的に当時から雇用流動性が高かったことが背景にあると言えます。
「EVP」導入による組織影響
──この「EVP」の概念を企業・組織に導入すると、どんな影響があるのでしょうか。
「EVP」を導入することの効果は、ひとえに冒頭で述べた優秀人材の惹きつけ(アトラクション)と引き留め(リテンション)に尽きます。なお、『優秀人材』の定義は個社ごとに異なるため、ここでは『自社ビジネスやミッション(サービスやプロダクト)に共感し、会社が求める成果を安定的に創出し、事業成長に貢献してくれる人材』と定義します。ここであえて人材像を定義したのは、自社が本当に欲しい人材を定義する必要があるからです。
例えばこんな例があります。ある日本企業では、政府が『働き方改革』を提唱するよりはるか前から社員のワークライフバランス改善に取り組んでいました。その結果、社員のエンゲージメントは高まり、その効果もあってメディアにも取り上げられるようになりました。採用ブランドも高まり求職者も増えたのですが、蓋を開けると求める人物像に大きく乖離があった方の応募ばかりが増えてしまったとのことでした。自社にとっての優秀な人材とはどのような方か、その人材を惹きつけ・引き留めるために必要な価値提案は何か──これらを考える重要性をこの事例から学ぶことができます。
もう1つ、ある外資系企業の例をご紹介します。その企業では、外資系にはめずらしく家族的な人材マネジメントを標榜し、人事施策にもその思想を反映させていました。その結果、優秀人材の惹きつけには成功しましたが、一方で一部の社員から『(家族的な人材マネジメントを提唱するのであれば)あれもやって欲しい・これもやって欲しい』などの一方的な要求が寄せられるようになってしまったそうです。この事例から学べるのは、社員に与えるだけの「EVP」から社員に対しても求める「EVP」へのシフトチェンジの必要性です。具体的な内容については後述します。
「EVP」の具体的な項目例
──「EVP」を導入する上で設定を検討すべき項目について教えてください。
前述した通り、「EVP」は金銭的な価値と非金銭的な価値の2つに分類できます。それぞれにおいて検討すべき項目をご紹介します。
金銭的な価値 | 給与、インセンティブ、福利厚生 など |
非金銭的な価値 | 成長につながる仕事、最先端の知識や技術に触れる機会、社会関係資本、ワークスタイル、社会的インパクト、パーパス・ミッション・バリュー、企業ブランド など |
金銭的な価値
こちらは比較的イメージしやすい項目です。毎月支給される給与に加え、短中長期のインセンティブ(営業インセンティブ、賞与、ストックオプションなど)、各種福利厚生(退職金・年金、各種保険、カフェテリアプランなど)が該当します。
非金銭的な価値
こちらは多岐にわたるためやや捉えにくい印象です。冒頭で述べたような業務自体から得られる価値(成長につながる仕事に携わる機会、最先端の知識・技術に触れる機会など)、社会関係資本(優秀な同僚・上司・経営者など)、柔軟なワークスタイル(リモートやフレックスなど)、会社のサービス・プロダクトがもたらす社会的なインパクト、会社が掲げるパーパス・ミッション・ビジョン・バリュー、会社のブランド力など数多くあります。これらの項目について自社が採用競合と差別化できるものは何か、差別化できるもののうち特に自社が考える優秀人材に訴求したいものは何か、について厳選していきます。
また、金銭・非金銭の観点から「EVP」をブレークダウンすることに加え、冒頭でも述べた従業員ライフサイクル(採用・入社、オンボーディング、配置、教育、評価、処遇、退社(代謝)など)の局面において、時系列で社員に対してどのような従業員体験(EX:Employee Experience)を提供していくのかの観点も有効です。例えば、評価においては『納得感のある評価を受けることができる』『上司から成長につながるフィードバックをリアルタイムで受けることができる』などが挙げられるでしょう。また、退社時の体験は、のちにアルムナイ(卒業生)として社外で自社のビジネスをサポートしてくれる人材や、近年注目されている潜在的な『出戻り社員』に対しても有効であるため見逃すことはできません。
さらに、社員に対して『与える』だけでなく『求める』ものも合わせて定義することが非常に重要です。人材流動性の高いマーケットにおいて会社と社員は『親子関係』ではなく『大人と大人の関係』であるべきです。単に会社から価値を提供するのではなく、対等な関係として相互に見返りを求めてしかるべきだと考えているからです。
具体的には以下のような要求が例として挙げられます。
『当社は社員に対して業界最高水準の金銭的報酬を提供する。その見返りとして、会社が求める成果を安定的に創出し事業成長に貢献して欲しい』
『当社は社員に対して成長に資する機会を用意する。その代わり自身のキャリアにオーナーシップ(当事者意識)を持ち、自らその機会を掴みにいって欲しい』
ちなみに、私が以前勤務していた米系のプロフェッショナルサービスファームでは「EVP」にOffer(オファー/提供すること)とAsk(アスク/求めること)の概念を取り入れ、これらが一対になって「EVP」の各項目を構成していました。このように、OfferとAskを定義することで与えるだけ・求めるだけの関係から脱却し、採用候補者・社員にプロフェッショナルとしての自覚を促すことが可能になります。
「EVP」を設定するためのステップ
──「EVP」を人事が自組織に導入・設定するためには、具体的にどのようなステップで実施をすべきでしょうか。
一般的には大きく3つのステップで導入・設定を進めて行くと良いでしょう。
(1)自社「EVP」の特定
まず、自社でどのような価値を提供できるかの現状把握を行います。金銭的な価値であればコンサルティング会社などが行っている報酬・福利厚生サーベイに参加してみることも一考です。ここで採用競合に対して優位性がないと判断された場合は、水準の見直しを行うことも必要になるかもしれません。ただし、前述のとおり金銭的な価値のみに傾倒するのはオススメできません。
また、非金銭的な価値を特定するには人事部のみで考えるのではなく、「EVP」策定プロジェクトに対し、事業部門から優秀人材を複数アサインしてもらうことを推奨します。これにより、これらの優秀人材がなぜ当社に入社してきたのか、なぜ当社で働き続けようとするのかについての貴重なインプットが収集できるからです。自社にとって本当に必要な人材に訴求する「EVP」を策定するためにも、このアサインは欠かせません。また、ここでアサインいただいた優秀人材には、ヒアリング・インタビューだけでなく「EVP」策定プロジェクト自体に参加してもらうことも非常に有効です。これらのアクションから導き出した非金銭的な価値によって採用競合と差別化ができるのかについても検証を行います。
金銭・非金銭的な価値が特定できたら、前述したOffer(オファー/提供すること)とAsk(アスク/求めること)を合わせて検討します。その後、経営メンバーへの提案と承認を得て「EVP」は正式に自社のものとなります。
(2)コミュニケーションプランの策定と実行
「EVP」が策定されたらコミュニケーションプランを策定します。ここで重要なのは、誰にこのメッセージや情報を届けたいのか、という観点です。当然のことながら、外部の採用候補者と既存社員へのコミュニケーションのコンテンツ・方法は異なります。また、採用候補者であってもその属性(新卒か中途か、技術職か事務職かなど)によってコンテンツ・方法は調整が必要になるかもしれません。その際には、マーケティングで利用するペルソナアプローチ(※)が参考になるはずです。こうしたコミュニケーションプランの策定・実行は対外的なものも伴いますので、自社のマーケティング・PR部門の方に協力を仰ぐのも一考です。これらの部門には自社ビジネスへの深い理解・洞察をお持ちの方も多く、先述したペルソナアプローチなど人事部門にはない視点やフレームワークを取り込むことが可能になるためです。
※:ペルソナアプローチとは、商品やサービスの典型的で象徴的なユーザー像のこと。氏名・年齢・性別・住んでいる地域・家族構成などの基本的な項目から、職業・役職・年収などの働いている環境、趣味・価値観・ライフスタイルなどのプライベートな部分まで詳細に設定し、実在する人物のように仮説することで、戦略の方向性や具体的な施策を立てやすくするものです。
(3)定期的な見直し
「EVP」は作りっぱなしではいけません。「EVP」の目的である優秀な人材を惹きつけ・引き留め続けるためには、常にこの目的が達成できているかどうかの検証が必要だからです。「EVP」のあるべき姿は、特段の働きかけがなくとも、自然と皆がそう感じている状態だと考えています。
実際に社員が「EVP」を体感できているかどうかは入社、オンボーディング、評価などのマイルストーンごとのエクスピリエンスサーベイ(体験に対する満足度サーベイ)などで確認ができるはずです。他にも、新入社員にアンケートをとって入社時の意思決定に「EVP」が効果的であったか検証する、退職者へのアンケートやインタビューによって「EVP」の不備を特定する、外部の採用エージェントなどにフィードバックを求める、などのアクションがあります。アンケート内容の例をお伝えすると、『あなたが当社を選んだ理由のトップ3を教えてください』などのシンプルな項目があります。その回答の中で、当初「EVP」として想定していた以外のものが選択されたら、それはそれで新たな気づきになるはずです。
他にも、適正な評価や成長機会が「EVP」だと定義している場合、ストレートにそれらの満足度を5段階評価などで確認するのも1つの手です。これらの項目と『自社で働くことに満足している』や『この先も自社で働きたいと考えている』などの項目との相関分析を行い、最も相関係数の高いものの改善・向上にリソースを投下することもおすすめします。
このようにして得られたデータやフィードバックを元に、常に「EVP」をブラッシュアップできるよう心がけましょう。また、「EVP」はそれ単体で捉えるものではなく、すべての人事施策のPDCAを回すことが「EVP」につながるのだと考えています。
最後に付言しておきたいのは、『Overselling(価値の誇張)』は行わないことです。本来提供できる価値以上のものを訴求してしまえば、優秀な人材をひとまず惹きつけることはできるかもしれませんが、引き留め続けることは不可能です。結果的に早期離職の原因につながります。外部の候補者に対しては誠実にRJP(Realistic Job Preview / 現実的な仕事情報の事前開示)に努め、入社後に『こんなはずじゃなかった』『聞いていた話と違う』とならないよう心がけましょう。仮に「EVP」策定の段階で他社に対して優位なものが見当たらなかったとしたら、まずは自社の魅力をいかに高めるかの検討に着手することが肝要だと考えます。
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編集後記
人材の流動性と採用難易度が高まり続けている現在の転職・採用市場において、「EVP」が優秀な人材の確保と企業価値の向上に大きく貢献してくれることを本記事から理解できました。これらは採用ブランディングやプロモーションを検討する上でも大きなヒントとなるはずです。定期的に見直しながら、必要に応じて自社魅力を高めるなどの活動を積極的に行っていきたいものです。