「リテンションマネジメント」をから人事施策への好影響を伝播する方法とは

人材の自社での定着率を高め活躍し続けてもらうための取り組みである「リテンションマネジメント」。深刻な人材不足や採用難の状況を受け、優秀な人材の流出防止を目的に取り組む企業が増えています。
今回は、人事コンサルタントとして活躍している打木 信和さんに、「リテンションマネジメント」の概要から施策検討時のポイントに至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
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打木 信和(うちき のぶかず)/法人代表
複数のベンチャー企業で新規事業の立ち上げや起業を経た後、業界トップシェアを誇る建設SaaSスタートアップの第二創業を牽引。事業提携や中期経営計画の策定、人事制度の構築やカスタマーサクセスの立ち上げなどを手掛ける。現在は再び独立・起業し、人事コンサルタントとして活動中。
目次
「リテンションマネジメント」とは
──「リテンションマネジメント」の概要について教えてください。
「リテンションマネジメント」とは、組織内の優れた従業員に活躍し続けてもらうための人事マネジメントアプローチのことです。従業員の定着を通じて組織成果を最大化させることが主目的ですが、具体的には以下6つの目的に沿って施策が計画・実行されることが多い印象です。
(1)自社に適した・優秀な人材の定着
優れた従業員を組織に留めることで知識やスキルを長期間に渡って活用し、組織の持続的な成長を支えます。
(2)コスト削減
新たな従業員を採用するには相応のコスト(採用費用・面接などの社内オペレーション・オンボーディングなど)が掛かるものです。「リテンションマネジメント」で成果を上げることにより、これらのコストを削減することができます。
(3)生産性向上
定着した従業員は組織文化や社内プロセスに慣れており、生産性が高まりやすい傾向があります。新しい従業員を頻繁にトレーニングする必要もないため、業務効率性も向上します。
(4)組織文化の強化
従業員が組織内で長く活躍することで、組織文化に深く根ざした強い絆や結びつきが形成されます。これは、従業員同士の協力やチームワーク向上にも寄与します。
(5)知識と経験の蓄積
優秀な従業員の在籍年数が長くなればなるほど、業界知識や組織内ノウハウが蓄積されます。これはコアコンピタンス(他社に真似できない核となる能力)の獲得や強化につながり、中長期的な競争力をもたらします。
(6)労働力の安定性
高い離職率は組織内での不確実性や不安定性をもたらします。「リテンションマネジメント」によって組織全体の労働力の安定性を支える役割を果たします。
──人事マネジメント施策の中で、「リテンションマネジメント」はどんな位置づけになるのでしょうか。
人事マネジメント施策を分類すると、大きく以下のようになります。
- 採用
- 配置
- 育成
- 評価
- 報酬
- 労務管理
- 活性化
- 退職/離職管理
- 文化構築
「リテンションマネジメント」もこの中の1つとして捉えられることが多いものですが、実際は上記すべての施策に影響を及ぼすものです。例えば、離職率の高い組織で採用をいくら行っても組織規模は大きくなりません。むしろ、不安定な組織で採用を拡大すれば離職率をいっそう高める結果となってしまいます。
また、従業員が定着している状態では会社は柔軟な人材配置がしやすくなりますし、大胆な抜擢や異動により活性化を狙うこともできます。つまり、「リテンションマネジメント」があるからこそ他の人事マネジメント施策や組織マネジメント施策が効果を持つことになります。
ただ、従業員全員の定着を目的にしてはいけません。「リテンションマネジメント」が本来ターゲットにすべきは『自社にとって適切な社員』『優秀な社員』だからです。組織の硬直化を防ぐためにも、一定の退出や退職をコントロールすることも「リテンションマネジメント」では考慮しなければいけません。
「リテンションマネジメント」が重視される背景
──「リテンションマネジメント」が近年重視される背景・理由にはどのようなものがあるのでしょうか。
真っ先に思いつくのは労働力不足です。少子高齢化が進んでいること、働き方が多様化し人材のミスマッチが起きやすくなったことなどを受け、企業が必要とする人材を採用・確保することが年々難しくなっているのはみなさんも実感しているところだと思います。
しかし、「リテンションマネジメント」は労働力不足が顕著になる前から重要視されてきた取り組みです。労働市場やビジネスの変化によって、その焦点やアプローチが変化してきたと考えるのが適切でしょう。過去においても従業員の定着は組織の成功に影響を与える重要な要因でした。従業員の離職は採用・トレーニングコストを増大させるだけでなく、組織の安定性や生産性にも影響を及ぼします。そのため、組織は従業員の満足度やモチベーションを高め、長期間にわたる従業員の関与を促進する方法を模索してきました。
近年の労働市場の変化やITなどの技術進化により、従業員の期待やニーズも大きく変化しています。特に、技術の進歩によって求められるスキルが大きく変わり、特定の業界では労働力不足が顕著になったため、優れた人材の確保と定着が一層重要となりました。また、ワークライフバランスの重視や多様性への関心の高まりなど従業員の価値観も変化しており、これに合わせた対策が求められていることも「リテンションマネジメント」が再注目されている理由だと考えています。
「リテンションマネジメント」施策を考えるポイント
──「リテンションマネジメント」の施策を考える上で、どんなことに考慮しておくと良いでしょうか。
「リテンションマネジメント」を考える際は、従業員がその会社で働き続けようと思う動機(モチベーション)に注目することが重要です。この動機は『ハーズバーグの二要因理論(※)』によると以下2つに分類されます。
(1)動機づけ要因(モチベーションを向上させるもの・満足の要因となるもの)
(2)衛生要因(モチベーションを下げるもの・不満足の要因となるもの)
※『ハーズバーグの二要因理論』とは、1959年にアメリカの心理学者フレデリック・ハーズバーグによって提唱されたもの。この理論は単に「リテンションマネジメント」の分野にとどまらず、組織論全体に大きな影響を持つようになり、組織活性化におけるエンゲージメントの構築や人事制度におけるコンピテンシーモデルのほか採用戦略にも用いられています。
※引用:ハーズバーグの二要因理論から考える“社員満足度の高い会社”をつくりたい会社が陥る罠/株式会社カイラボ コラムより
この『ハーズバーグの二要因理論』を用いた「リテンションマネジメント」のアプローチポイントは、それぞれ以下の通りです。
(1)動機づけ要因(モチベーションを向上させるもの・満足の要因となるもの)
従業員が仕事に対して積極的に取り組むモチベーションを高める役割を果たします。以下のポイントを考慮しながら施策を実行することで、従業員のモチベーション向上を図ることができます。
・達成感と成長機会
仕事の達成感や成長機会を提供することで、従業員は満足感を得られ、組織に対するコミットメントが高まります。
・評価と報酬
人事制度などによる適切な評価や報酬を通じて従業員の貢献を認めることは、モチベーションの向上につながります。
・責任と自己成長
責任のある仕事や新しい挑戦の機会を提供することで従業員は自身のスキルを発展させ、自信を得るとともに満足感を感じます。
(2)衛生要因(モチベーションを下げるもの・不満足の要因となるもの)
不満や不満足を引き起こす可能性を持つもので、職場環境や労働条件に関連しています。以下のポイントに注意を払い、従業員の不満を軽減・解消してモチベーション低下を防ぐ努力が大切です。
・給与と報酬
公正な給与と報酬体系を提供することで、従業員は経済的な満足感や安心感を得ることができます。
・労働条件と職場環境
安全で健康的な労働環境を確保し、ストレスや不快な状況を軽減することが重要です。
・組織文化と人間関係
公平で協力的な組織文化を育成し従業員の心理的安全を高めつつ、ポジティブな対人関係を促進することで、従業員の不満や不安を軽減できます。
・業務(役割・責任)に対する透明性
常に流動的な外部環境に適応するために組織は常に変化しています。そのような環境において適切な情報提供や情報開示がされていると、従業員は安心感を持つことができます。
──この『ハーズバーグの二要因理論』以外にも考慮するべきポイントはありますか?
「リテンションマネジメント」を成功に導くには、以下5つのポイントにも考慮して進めると良いでしょう。これらを『ハーズバーグの二要因理論』と結びつけて考えることで、従業員のモチベーションと満足度を向上させ、組織全体の成果を最大化することができるようになります。
(1)成長機会とキャリアプラン
従業員のスキルやキャリア目標を理解し、適切な成長機会を提供しましょう。具体的には、スキルアップのトレーニング、新たなプロジェクトアサイン、昇進などの機会を作り、従業員の組織への長期的関与を促進するなどです。
(2)透明なコミュニケーション
組織の戦略や方針、目標を従業員と共有し、自分たちの役割と紐づけて理解させましょう。双方向の報連相やフィードバックを頻繁に行い、従業員の意見を尊重しながら組織文化を透明かつインタラクティブに構築していきます。
(3)柔軟な働き方の提供
リモートワークやフレックスタイム、時短勤務、スイッチワークなどの柔軟な働き方を導入し、従業員のライフイベントや生産性向上を配慮したワークライフバランスをサポートします。個々のニーズに合わせて働く環境を提供することで、従業員の満足度を高めることができます。
(4)業務の多様性と成長機会
プロジェクトへの参画機会や新しい役割の提供により、成長スピードの鈍化を軽減します。また、従業員が新しい挑戦に積極的になれるような文化・雰囲気作りも合わせて行ってください。
(5)協力的な職場環境
組織内のチームワークを奨励しつつ、組織を跨いだもしくは組織外とのコラボレーションを促進します。また、上司や同僚との関係性を強化することで心理的安全性を高めたり、フラットな組織文化を推進したりすることで、従業員が自由に意見交換できる環境を作り出すことも有効です。

「リテンションマネジメント」の効果的な事例
──打木さんがこれまでに関わった事例の中で、特に効果的だった「リテンションマネジメント」施策について教えてください。
従業員数が100名程度のサービス業を生業とする企業で「リテンションマネジメント」に取り組んだ際の事例をご紹介します。
この企業では離職率が50%と非常に高かったため、意欲的な成長戦略に取り組むことはおろか、組織基盤も作れずに非常に苦しんでいました。毎年多くの新卒が入社するものの、中途含めて全体の平均在籍年数は2年未満と非常に短いもの。意欲的な若手が入社してもしばらくすると転職を意識したり、同僚と不安や不満を話したりする機会が増え、入社した分と同じだけ退職者が出る状況が繰り返されていました。
その結果、若手社員にとって必要なロールモデルとなる先輩社員やミドル層が圧倒的に不足してしまい、成長機会がないと感じる従業員が多くいる状態が続きました。加えて、競合企業に比べて賃金水準が低く、昇給・昇格ルールが分かりづらかったこともあり、競合他社へ転職する従業員も続出。平均在籍年数の短さから若手主体の組織だったため、自ら会社を変えていこうとするだけの経験も主体性もなく、環境の改善を他者任せにする風潮も見られました。
そこで、人事は以下のような「リテンションマネジメント」施策を講じ、成果を急がず粘り強く取り組むことにしました。
■経験豊富な中途社員の採用
これまで新卒中心だった採用を、若手社員のロールモデルになるようなベテラン中心の採用へ切り替えました。これにより若手社員への育成が進み、キャリア形成のお手本が増えたことでこれまでより長く在籍する社員が増えました。
■リーダー層の成長支援
これまでは本人・現場任せだった育成を、リーダーのミッションとして定義し直しました。その上で従業員全体よりも先にリーダー層の成長を支援し、彼らに育成のマインドセットやスキルを伝えることで育成力を向上。それにより上司と部下の関係性が強くなり、組織内の活性化にもつながりました。
■育成プログラムの構築
職種ごとにスキルマップを作るとともに、定期的なスキルサーベイを実施することで、従業員ごとにどういった成長課題があるかを可視化しました。さらに、リーダーたちが人材育成会議を開催してそれぞれの従業員の成長課題ごとに何に取り組むかの議論もスタート。人事もその活動を支援すべく、会社としてできる研修プログラムを階層ごとに構築し、リーダーと一緒になって取り組みました。そこから徐々に生産性が高まり個人業績に改善が見えると、より一層育成に取り組むといった循環が生まれるようになりました。
■人事制度の構築と柔軟な改良
それまではあいまいなガイドラインに沿って評価や処遇が行われてきましたが、等級制度・評価制度・賃金制度をそれぞれ整え、役割責任・評価基準を明確にして誰もがその情報にアクセスできる状態を作りました。これにより処遇に対する不安や不満が徐々に解消されただけでなく、業績が改善したことと相まって昇給が図られたこともあり競争力のある賃金水準に近づき、賃金を理由に退職する従業員が減りました。
■現場主体の行動指針の策定と浸透
それまでは会社の制度・ルール・行事などはすべて経営陣によって決められてきました。それを不満に思う従業員が少なくなかったことを受け、社内で活躍している従業員を巻き込んで行動指針の見直しプロジェクトを立ち上げることにしました。『会社や経営陣が干渉しない』というルールを設けてスタートさせましたが、初めての経験だったこともあり困惑するメンバーもいたようです。しかし、徐々に主体性を発揮するようになり、無事に新しい行動指針の策定とそれを浸透させるための活動に積極的に取り組むようになりました。結果、多くの制度や行事がこのプロジェクトから生まれることになり、1人ひとりがリーダーシップを発揮する機会が増え、会社全体の活性化が促進されました。
リテンションマネジメントは、100の会社があれば100通りのシナリオが存在します。一概にこれが正解という方法はありませんが、大切なのは会社や人事部門が正しく問題を認識し、その解決が経営における重要課題であるというメッセージを最初にしっかりと出すことではないでしょうか。
組織課題の取り組みには多く、長い時間がかかります。従業員が会社の未来に僅かでも期待を抱き、「少し様子を見てみよう」とか、「それなら自分も協力してみよう」と思ってもらうことが初期フェーズには欠かせません。まずは人事が率先して現場に足を運び、従業員1人1人の声に丁寧に耳を傾け、何が問題なのかを真摯に考えながら対話を重ねてみてください。少しずつ課題の解像度が上がり、どんな施策を打つべきかが見えてくると思います。また、その作業を繰り返すことで、従業員との信頼関係も少しずつ強まり、期待を寄せてくれる人も増えてくるはずです。それはいずれ施策を展開するときにおおいに役立つことになるでしょう。
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編集後記
『リテンションマネジメントはすべての人事施策に影響を及ぼすもの』という打木さんの言葉には多くの発見がありました。取り組みの1つひとつは単発的なものだったとしても、それらが複合的かつ長期的につながって成果創出されるものなのだと感じます。企画面ももちろんですが、どれだけ運用を粘り強くやり続けられるかが「リテンションマネジメント」を実行する上で最も重要なのではないでしょうか。