「リスキリング」で変化に対応できる人材を育成する方法
従業員の再教育のひとつである「リスキリング」。あらゆる変化に対応することを目的に、日本企業でも導入を進める企業が年々増加しています。
今回は、人事制度設計・運用ルールの構築および運用のスペシャリストである三井 純一さんに、「リスキリング」が近年重視されている理由や、実際に活用する上で必要な流れなどについてお話を伺いました。
<プロフィール>
▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
三井 純一(みつい じゅんいち)/GS労働法務相談所 代表、ネットワーク渡辺税理士法人 コンサル部門部長
9社で人事部門の責任者(約半数が上場会社)を担った後に現職へ。現在は人事労務コンサルタントとして20社弱を担当し、人事労務業務の省力化・最適化・見える化を実施している。
目次
「リスキリング」とは
──「リスキリング」とはどんなものでしょうか。
「リスキリング」(Re-skilling)とは、ビジネスモデルや技術の変化に対応するために必要なスキルを新たに身につけることを指します。なお、経済産業省では以下のように定義されています。
『新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること』
2020年のダボス会議(※1)にて『リスキリング革命(Reskilling Revolution)』が発表され、2030年までに10億人のリスキル目標が掲げられました。それに合わせて日本でも経済産業省が『第四次産業革命スキル習得講座認定制度』を立ち上げ、厚生労働省の『教育訓練給付制度(専門実践教育訓練)』と連携して新しいスキル獲得を支援しています。
※1:ダボス会議とは、スイス・ジュネーブに本拠を置く非営利財団 世界経済フォーラムが、毎年1月にスイス東部の保養地ダボスで開催する年次総会のこと。各国からさまざまなリーダーが集まり、よりよい社会のための議論が行われる(環境問題、経済、技術、雇用、健康、国際協力、社会平等など)。
総務省統計局の労働力調査によると、労働力人口は2021の年平均で6,860万人と、前年に比べ8万人減少しています。これは2年連続での減少となります。このように労働力不足がより顕著になってきた昨今では、グループ・社内で人材を活用しなければそもそも企業が成り立ちません。また、DXの推進など、社会的に求められるスキルが変化しているという話もあるでしょう。スキルや技術が現状にマッチしなくなったから人材を入れ替えるのではなく、既存社員を再教育して変化に対応できるようにする必要性が年々増していることが、「リスキリング」が注目されている背景といえます。
「リスキリング」により得られる効果と、類似育成施策との違いの整理
──「リスキリング」を行うと、具体的にどのような効果が得られるものなのでしょうか。
「リスキリング」によって得られる効果としては、大きく以下4つがあります。
(1)既存社員の高収益化
不採算事業から成長事業への適応人材による収益化、従業員の士気・秩序が回復する。
(2)採用予算の低減
間接費を低減することにより、従業員の採用・教育コストへ転換できる。
(3)ビジネスサービスレベルの向上
不良品率の低下に伴う利益向上により、従業員に対してさらなる教育費用の捻出ができるようになる。
(4)ビジネススピードの向上
業務スピードの向上により、従業員の残業時間を削減することができる。残業代が低減し、従業員自身の士気回復につながる、
このように、リスキリングの実施は企業だけでなく、その中で働く従業員にとってもメリットが大きいといえます。
──リスキリングの他に、教育・育成関連には似たワードが多くあるように感じています。それぞれどのように違うものなのでしょうか。
スキリング・OJT・リカレント教育・アップスキリング・アンラーニングなど、確かに教育・育成関連にはさまざまなワードが存在しています。それぞれの違いが分かりづらいと感じる方も多いかもしれません。それぞれのメリット・デメリットを簡潔に説明すると以下のようになります。
スキリング
・意味……スキルの習得を行うこと。
・メリット……その業務に必要なスキルを習得できる。
・デメリット……学ぶ動機が必ずしも会社の思惑通りにならない可能性が高いため、人材の流出につながる可能性がある
OJT(On-the-Job Training)
・意味……職場での実践的な研修教育のこと。
・メリット……職場の上長・先輩などが現場で実践を伴う教育を行うことで、業務に直結する育成ができる。
・デメリット……トレーナーの腕次第となるため、品質が担保できない。
リカレント教育
・意味……社会人の学び直し。
・メリット……働きながら専門学校などで学び直し、それを業務に活用するサイクルを生み出せる(一度休職して大学などで学ぶことも含む)。
・デメリット……一度組織を離れることになるため、周囲の理解を得ることが不可欠になる(学び直し期間を“空白期間”だと誤解されてしまう恐れがある)。
<合わせて読みたい>
「リスキリングとリカレント」の違いを活かして組織成長に活かすには
アップスキリング
・意味……スキル向上
・メリット……職務で必要な最新テクノロジーや技術を学ぶことでスキルを『向上』させられる。
・デメリット……あくまでスキル『向上』が目的のため、現業務の延長線上への育成となる。
アンラーニング
・意味……学習棄却。古い知識・スキルを捨て、新しいものを取り込むこと。
・メリット……スキルや技術だけでなく、これまでに培ってきた価値観・バイアスにも着目して内省・認知・棄却(手放す)の流れを経て新しい学びを取り入れることができる。
・デメリット……他の育成施策と違い、成果(◯◯ができるようになったなど)がわかりやすく出るものではない。
<合わせて読みたい>
「アンラーニング」で社員の成長を促すために知っておきたいこと
それぞれ目的も特徴も異なりますが、“大きな変化に対応する”という点においては「リスキリング」が最もマッチした取り組みであると言えるでしょう。
「リスキリング」のデメリット
上述の通り様々な効果が得られる「リスキリング」ですが、一方で企業にとっては以下のようなデメリットも考えられます。
(1)人材流出のリスク
「リスキリング」によって新たなスキルを習得した従業員は市場価値が高まり、他社からの引き抜きや転職を考える可能性が増します。特に、専門性が高く需要の多いスキルを習得した場合、そのスキルが活かせる場が現在の職場にないと転職してしまう可能性が高まります。
(2)コストと時間の負担
「リスキリング」の実施には教育コンテンツ整備や研修講師の人件費などの費用がかかります。また、身につけてほしいスキルや知識ごと研修・育成体系を整備が必要なため、従業員がその検討に時間やリソースを割く必要が出てきます。
(3) 成果が出るまでに時間がかかる
業務に活用できるレベルの知識やスキルは、一朝一夕には身につきません。したがって、長期的に時間と費用をかけて取り組む必要があります。また、「リスキリング」は一度施策を実施して終わりではありません。技術の進歩や市場の変化に応じて研修コンテンツの変更が必要になります。そのため、短期的な成果を期待してしまうと、効果が出る前に費用や工数の面からリスキリングを断念せざるを得なくなる可能性があります。
「リスキリング」実施のステップ
──「リスキリング」を実施する上で必要な流れやステップについて教えてください。
細かい進め方は目的によっても異なりますが、大枠としては以下7つのステップで進めて行きます。
(1)「リスキリング」内容の明確化
具体的に『何を学んでもらうのか?』という部分や、実際にリスキリングを行うことで本人が今後描けるようになるキャリアパスを明確に示します。『何を学んでもらうのか』を決めるにあたっては、以下のような手順で決めるといいでしょう。
①まずは社内で新しい産業や技術に対するビジネスモデルを立ち上げます。
②上記ビジネスモデルで必要なスキルマップを作成します。
③具体的に必要とされるビジネススキルを階層毎に特定します。
例えば、ハードウェア技術者をSEとしてリスキリングする場合、まずはITSSに基づく技術レベルをスキルマップで見える化します。次に、対象者が最低限の初心者レベルとなるまで、習得すべきスキルを時系列ごとに順序立てて学ばせます。その後は、スキルを習得できた対象者から実戦に投入。必要に応じて再教育を繰り返しながら、スキルマップにおける「一人前」にまで仕上げていきます。
(2)事業主への働きかけ
「リスキリング」を実施するにあたっての予算取り、および期間中の利益確保方法を検討します。利益確保の方法を検討する際は、まず現状の対象人員による売上を大まかに見積もります。これを仮に【A】と置きます。次に、将来リスキリングにより立ち上がるであろうビジネスについて、他社の事例やマーケティング部隊の粗利率に人数を乗じて対象人員での粗利額を計算します。こちらを【B】と置いた場合、導かれる方程式は以下の通りです。
【B】ー(【A】ー現状の対象人員の人件費)
=リスキリングにより見込まれる利益【C】
リスキリングの予算を計上する場合は、この【C】を上限に行います。その際も、あらかじめキャッシュフローには留意しておきましょう。
(3)具体的なプログラムの設計
自社での実施のみならず、協力会社も含めて効率よく必要なスキルを習得できるプログラムを考えます。
(4)対象者の決定
各職場の上長へ会社全体の利益や各種決断背景などを丁寧に説明した上で、「リスキリング」を受講させるべき部下を推薦してもらいます。対象者の選定基準は、会社の置かれている状況により異なります。くれぐれも、「必要な対象者に必要な教育を」といった原則は遵守することが重要です。「変わってくれたら嬉しい」といった動機では効果が薄くなります。
たとえば、部門毎全員を対象とする場合には、下記の手順で動機付けを行ないます。
①対象者全員に「変わらなければ自分の将来が危うい」ということを認識してもらいます。
②このプログラムを受ければほぼ100%の人が達成可能になることを伝えます。たとえるならば自転車の運転みたいなものであるとレベルダウンテクニックで説明することが望ましいでしょう。ただしその際に、その目標を達成するまでには人により差があること、また、達成した人から実戦に投入することを説明しておくことで、お互いに競争原理を働かせるようにします。
次に、会社がそこまで切羽詰まっていない場合や、先行投資として実施する場合には、選抜型で行うことになると思います。その際には、以下の基準をクリアした者を優先としてリスキリングの機会を与えます。
①変わることに前向きな意思を持つ者
②上昇志向
③素直
選抜型の場合は、タレントマネジメントに類似していると言ってもいいでしょう。
上記の対象者選定と併せて、それと合わせて、その効果をどのように測定するかについても明示します。リスキリングの効果を測る方法で一番いいのは、やはり「実践」です。実際に対象者を現場に出してみて、顧客への売上に繋がるかを半年スパンで検証します。これは持論ではありますが、実践=営業成績や売上のようなものを加味するのが一番わかりやすいと思います。効果検証を行う中で売れない理由というものをピックアップすると、次回のリスキリング教育におけるボトルネックとして取り込めます。
(5)受講者の募集および決定
対象者については前工程で決定しているものの、本人への動機付けを怠れば期待した成果は得られません。そのため、受講対象者(上長・会社の推薦者)への説明によって理解を得ることは必要不可欠です。「リスキリング」のゴールと、その途中をスキルマップを明確にすると、この取り組みにおけるビジョンが明確になり動機付けされやすくなります。
(6)「リスキリング」の実施
企画したプログラムに沿って「リスキリング」を行う中で、定期的に効果測定を行いながら、スキル習得度を確認します。なお、改善の必要性に気づいたとしてもプログラムは途中で止めず、最後まで実施しましょう。
(7)改善案の検証
プログラムを完遂した後、うまくいかなかった部分を具体的な真因まで探り、次の機会で仕組みごと修正・変更する計画を立てます。その後(1)に戻って新たに取り組みを進めて行く形です。
「リスキリング」を進める上での注意点
「リスキリング」の施策実施にあたっては計画的な準備と従業員の理解が欠かせません。「リスキリング」を効果的に行うには下記の点に注意して導入を進めることが必要です。
1.目的と費用対効果を明確にする
「リスキリング」は企業の事業戦略や将来の人材ニーズを踏まえて、長期的に費用と時間をかけて実施する必要があります。そのため、目的や費用対効果を曖昧なまま進めてしまうと、「スキルは習得したものの社内で活用の場がない」「投資に見合った成果が出ない」といった事態に陥る可能性があります。
まず「なぜ実施するのか」を明確にし、長期的な視野で費用と効果のバランスをしっかりと検討してから導入を進めるとよいでしょう。具体的には下記の観点から検討を進めます。
(1)目的の明確化
企業全体の方向性に沿って、リスキリングの具体的な目標を設定します。「新規事業に必要なスキルを育成する」「既存事業を強化するために特定分野の専門性を向上させる」など、実施目的を明確にすることで、取り組みの意義を全社で共有でき、費用対効果の算出も正確にできるようになります。
(2)費用対効果の算出
リスキリングには、教育費用や学習時間に伴うコストが発生します。これに対し、期待される成果を具体的に試算し、事前に費用対効果を評価することが必要です。例えば、新しいスキルを持った従業員によって生み出される収益や業務効率の向上を数値化し、それが投資に見合うものかを検討します。
2. 従業員の学習モチベーションを維持・向上させる仕組みを構築する
リスキリングを成功させるもう一つのポイントは、従業員の学習意欲を維持し、高める仕組みを整えることです。研修プログラムを構築しても、結局従業員がそれを活用して学ばなければ、事業成長や会社の利益にはつながらないでしょう。そのため、下記のような取り組みを行い、従業員の「リスキリング」に対するモチベーションを高めるとよいでしょう。
(1)報酬面でのインセンティブの提供
リスキリングを受講した成果が給与や昇進に結び付く仕組みを導入することで、従業員の学習意欲を向上させることができます。「スキルを習得すれば自分のキャリアに明確な利益がある」と感じてもらうことで、学びへのモチベーションを高めることができます。
(2)キャリアパスの明示
学びの成果がどのようにキャリアに繋がるのかを可視化することも重要です。具体的には、リスキリング後に描けるキャリアパスを示し、目標達成への道筋を明確にすることで、従業員が取り組む意義を実感しやすくします。
(3)学習に対する負担感を取り除く
業務の負担軽減や学習環境の整備を行うことで、従業員がスムーズにスキル習得に取り組める状況を作りましょう。学びの時間を確保するための定期的なスケジュールの設定支援や、オンライン学習ツールの導入などが有効です。
日立グループの大規模「リスキリング」事例
──三井さんが関わった「リスキリング」の事例について、具体的に教えてください。
私が日立グループに在籍していた時代(2005~2009年)の事例をご紹介します。
当時日立グループ全体でICTビジネス化が推進されており、私が在籍していた日立情報通信エンジニアリング(日立JTE)でも『ハードウェア作業者をどのように再配置するか』が企業命題となっていました。同時にコスト圧縮も課題となっており、私は企業内組合交渉の会社側実務責任者として1,000名のリストラを担っていたのです。
リストラというと『社外転進』がイメージされがちですが、他にも『グループ内転進』『社内転進』があります。元々企業年金、採用教育、人事制度運用をメインタスクとしていたこともあって、それらを組み合わせた各種転進の手法を自ら開発し、実践することにしました。ちなみに、早期退職対象者1,000名の希望は『グループ内転進(5割)→社内転進(別業務)→社外転進』の順番で多く、できる限り希望を叶えたいとも考えていました。
具体的な手法としては、まず予算に合わせて教育費と転進準備期間を確保するところからスタート。次に各人の早期退職の同意を取り付けて、必要に応じて老後の生活設計も個別相談にも乗れる体制を構築。その後、『各転進先で早期離職(1年以内の)をさせないこと』を目標に、限られた時間の中で「リスキリング」を実施していきました。転進先ごとに行ったことを整理すると以下です。
(1)グループ内転進
・転進先企業の必要技術の確認
・事前学習&転進先OJTの設定
<例>
ハードウェアエンジニア→ネットワークエンジニアへ
(2)社内転進(別業務)
・転進先技術の習得
・給与の再設定
<例>
ハードウェアエンジニア→経理へ
(1年で簿記2級の取得&必要ソフトウェアの勉強)
(3)社外転進
・必要な最低スキルの習得
・転進先の選択(業種・職種・地域など)
・家族説明&人脈紹介など
この経験を通じて感じたのは、『転進には各社員の納得(矜恃を維持した動機付け)が欠かせない』ということです。納得度を高めるためには、『転進の必要性』『転進するために何を学ぶ必要があるのか』『どのくらい時間があるのか』の3点の理解を深めてもらうことが重要でした。
──『(1)グループ内転進』については、200名ものハードウェアエンジニアがネットワークエンジニアへと転進したそうですね。
はい。ハードウェアとネットワークは領域こそ異なるものの、同じ技術職として考え方を流用できる部分も多くありました。また、同じグループ内で人手不足の会社へ応援に行くようなイメージとなるため受け入れもスムーズで、転進するエンジニア自身の納得度も高まりやすい傾向があります。ちなみに、転進の難易度は(3)>(2)>(1)の順番でした。
実際にこの200名のハードウェアエンジニアには、3億円を投資して『PM(プロジェクトマネジメント)の理論』を学んでもらい、ITSS(ITスキル標準を表す指標)に基づいた教育も併せて実施することでネットワークエンジニアへの転進を実現しました。
この転進の成果もあって、他2つの事業部と3事業部合同で約100億円のITシステム導入案件の受注も実現。それまで3事業部合計で赤字だった組織が、2年後には各事業部で黒字を達成し、形は変われど今もそれらの事業体は存続しています。
■合わせて読みたい「社員育成に関する用語」関連記事
>>>VUCA時代のマネジメントに「コーチング」を活かす方法
>>>「アンラーニング」で社員の成長を促すために知っておきたいこと
>>>「トランジションモデル」を活用して役割転換を促す人材育成方法とは
>>>「リフレーミング」活用で目指す、社員の多様性を認める組織づくり
>>>「キャリアアンカー」を組織運営に活かす方法
>>>「ラーニングマネジメントシステム(LMS)」導入で社員の学習環境を整える方法
>>>「内発的動機づけ」で自律的な組織を目指すには
>>>「インテグリティ」を醸成してコンプライアンス経営を推進する方法とは
>>>「キャリアパス制度」を組織やカルチャーに合わせて作るには
>>>「リフレクション(内省)」を組織全体に促す方法論とは
>>>「リスキリングとリカレント」の違いを活かして組織成長に活かすには
編集後記
インタビューを終えた後、三井さんからこんな言葉をもらいました。『「リスキリング」などの施策を考えることはもちろん大事。でも、課題を正しく捉えて、仮説に基づく小規模な実験を繰り返し、効果的な施策を手数多く実施することが人材不足に悩む現状においては最も重要だと思うんです。』
「リスキリング」もあくまで手法の1つ。必要に応じてうまく活用できるよう、本記事を参考に理解を進めてもらえると幸いです。