入社祝い金の正しい運用方法──法律・トラブル事例から学ぶ人事の実務ポイント
採用が決まった方に支払われる「入社祝い金」。人材採用がますます難しくなっている中で、「入社祝い金」の導入により採用を有利に進めようとする企業が増えている印象があります。
今回は、人事・採用支援の分野で10年以上の経験を持つ海前 賢明さんに、「入社祝い金」の導入目的から推進・実務上の注意点に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
海前 賢明(うみまえ たかあき)/法人代表ー人事・就職コンサルタント
国内大手の経営コンサルティング会社で採用コンサルティング、人事代行、人材紹介事業立ち上げを経て独立。人事・採用支援の分野で10年以上の経験を持ち、官公庁やスタートアップ、上場準備企業など、大手から地方の中小企業まで幅広い組織の採用戦略・制度設計を支援。「人と組織が相思相愛になれる本質的な支援」をテーマに、リファラル制度の構築や戦略設計、計画実現のための人事代行、外部CHROなどを担う。現場感と制度設計の両視点からの助言に定評がある。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
「入社祝い金」とは
──「入社祝い金」とはどのような制度でしょうか。サインオンボーナス(サインアップボーナス)との違いも含めて教えてください。
「入社祝い金」とは、その言葉通り企業が採用した従業員に対して入社をお祝いする意味で金銭を支給する制度を指します。
類似する概念に『サインオンボーナス(サインアップボーナス)』がありますが、これも実質的には「入社祝い金」と同義であり、意味や目的に大きな差異はありません。ただし、使われるシーンによって意味合いが違うケースはあります。
『サインオンボーナス』は外資系企業でよく使われる言葉であり、転職市場での採用競争力を高める年収補填的な意味合いが強い傾向があります。また、『サインオンボーナス』は主にハイキャリアや幹部層の確保に活用され、入社時に一括支給されることが多いです。
一方、「入社祝い金」は一般職種や幅広い層に適用され、分割支給や一定期間勤務後の支給とするケースも多く、制度設計の柔軟性が高い点に特徴があります。改めて「入社祝い金」と『サインオンボーナス』の違いを整理すると、以下図の通りです。

ちなみに、この「入社祝い金」は製造・飲食・小売・介護・IT業界など人材獲得競争が激しい領域で活用されてきており、私が代表を務める会社でご支援している企業も多くが導入しています。特に採用が難しいITエンジニア領域などでは、「入社祝い金」として最大100万円もの「入社祝い金」を用意している企業もあるほどです。
<入社祝い金を支給する企業例>
| 企業名 | 支給内容(概要) |
|---|---|
| SHIFT(シフト) | 自社サイト経由・年収500万円以上で入社した場合、入社祝い金100万円(期間限定) |
| アクセンチュア | 一部拠点の中途採用において、入社祝い金として約50万円を支給(職種・地域限定) |
| 王将フードサービス | パート・アルバイトから正社員登用時に、登用祝い金として最大約30万円を支給 |
| 西日本鉄道(グループ/バス運転士) | 入社祝い金10万円+勤続1年・3年で追加の勤続祝い金(最大20万円) |
| スパイスファクトリー | 自社採用サイト経由の中途入社で入社祝い金最大30万円(対象職種・経験要件により変動) |
企業が「入社祝い金」を導入する目的
──企業が「入社祝い金」を導入する主な目的や狙いにはどのようなものがありますか?
企業が「入社祝い金」を導入する最大の目的は、採用力の強化にあります。限られた候補者を奪い合う採用市場において、“入社の後押し”につながる施策として位置付けられています。その採用力強化につながる主な背景要因は、以下の3つに整理できます。
【1】リファラル採用の促進
紹介者・被紹介者双方への祝い金支給により社内の紹介行動が活性化し、採用チャネルの拡張とコスト最適化が期待できます。
【2】入社初期の経済的不安の低減
転職直後は給与発生までのタイムラグや転居などで資金負担が大きくなりがちですが、祝い金がその負担を一時的に補完することで、安心感を提供し入社の意思決定を後押しします。
【3】採用競合との差別化
給与水準を大きく動かせない状況でも、一時金の提示は求人票の視認性向上や比較優位の獲得につながり、候補者の検討リストに乗りやすくなります。
なお、支給金額は公平性の観点から一律設定とされることが多く、10〜30万円が一般的です。ただし、上記で触れたように競争環境によっては100万円超を設定する企業も存在しています。
また、『サインオンボーナス』的に年収補填として支給する際は、その目的や人によって金額も大きく変動します。つまり、導入する企業の目的によって『制度設計の最適解が変わる』ということです。何のために「入社祝い金」を支給するのかは必ず明確化し、本制度において従業員や採用候補者に一貫したメッセージとして届けることはとても重要だと言えます。
──実際に導入した場合、期待される効果と、企業側が注意すべき懸念事項があれば教えてください。
まず、導入によって期待できる効果は大きく2つあります。
(1)応募数の増加
「入社祝い金」は特に『採用市場で注目度を高める』ことに即効性があり、求人応募数の増加や候補者の心理的後押しに大きく寄与します。また、リファラル活性化や年収補填の形で制度化できれば、中長期的な採用チャネルの拡大につながる可能性もあります。
(2)入社決定率の向上
特に同業他社との比較で条件面が僅差の場合、数十万円の一時金が最終決断を左右するケースは少なくありません。私がこれまでに人材紹介や人事代行事業で就職支援をした方も「入社祝い金」が後押しとなって入社した方は割と多くいらっしゃいます。
一方で、懸念点も大きく3つあります。
(1)企業イメージの低下
『お金で人を集めている会社だ』と見られる恐れがあります。このデメリットを解消するため、あまりに高額な「入社祝い金」を設定したり、祝い金だけを魅力として訴求したりすることは避けたほうが良いでしょう。
(2)祝い金目当ての応募者増加
祝い金目当ての入社により短期退職するリスクがある人材も応募・流入しやすく、結果的に採用・教育コスト(オンボーディングなど)が高騰する可能性もあります。それを避けるために入社後に一定期間働くことを支給要件とする方法もありますが、本質的にはミスマッチを減らすことが肝になるため、祝い金以外の部分できちんとマッチングがなされるようにしたいところです。
(3)従業員間での公平感担保
例えば、中途入社者だけに祝い金を支給すると既存メンバーから不満が出る場合があります。社内で『新しく入った人だけが得をしている』と受け止められると士気低下に繋がる可能性があるからです。
これらの懸念点を払拭するためには、支給対象を明確化した上で全社的な納得感を醸成する仕組みが不可欠です。
一例としては、人事部主導で、祝い金制度の対象や条件、導入の狙いや注意点などをまとめた資料をパンフレット化し、全社的な説明会を実施するなど、従業員の士気低下を避け、積極的なリファラル促進にも繋げるアクションを取ると良いでしょう。
「入社祝い金」の支給が違法となるケース
──「入社祝い金」が違法とされるケースもあると聞きました。違法とならないように企業がおさえるべき注意点について、最新の法改正や行政動向を踏まえて教えてください。
「入社祝い金」って法律上は問題ないのですか?──これは採用支援の現場で企業からよく投げかけられる質問の1つです。結論から言うと、制度そのものは『合法』です。ただし、設計を誤ると違法に転んでしまうケースがあるため注意が必要です。以下に代表的な例を3つほど挙げます。
■ケース1:労働基準法違反のリスク
最も多い落とし穴が『返金義務を課すケース』です。例えば、『半年以内に辞めたら10万円を返してもらう』としてしまうと労働基準法16条(賠償予定の禁止)が禁じる『違約金の定め』にあたる可能性が高いです。実際に、2年以内の離職による40万円の祝い金返還を争った事例(医療法人北錦会事件)もあり、こちらは違法として判断されました。
とはいえ、せっかく祝い金を支給したのに退職されてしまっては人事としても納得ができないはずです。もしどうしてもリスクヘッジをしたいなら『入社支度金』として貸与する形を取ることはできます。しかし、その場合は支度金として見なされる範囲の金額で貸借契約を別途結ぶなどが必要であり、それをしなければ労働基準法5条(強制労働の禁止)に抵触し、退職の自由を脅かす可能性があるため注意が必要です。そのため、入社に大きな影響がある金額や入社を祝うという目的においては『支給時期を遅らせる』『分割で支給する』といった制度設計の工夫で対応するのが現実的でしょう。
■ケース2:職業安定法/求人サイト・紹介会社による支給
次に注意したいのが『職業安定法との関係』です。求人サイトや紹介会社が求職者本人に祝い金を渡すのはNGとされています。2021年4月1日に職業安定法に基づく指針が改正されたことにより禁止となった形です。その背景には、過去にお金で候補者を集める求人サイトや転職エージェントが問題視されたことがあります。つまり、祝い金を出せるのはあくまで『採用した企業自身だけ』だと理解しておきましょう。
■ケース3:職業安定法/第三者紹介者への支払い
紹介者と採用者で「入社祝い金」を折半するケースもよく見かけますが、有料職業紹介免許を持っていない場合は第三者が紹介によって報酬を得てはならないため、紹介者に支払うのは違法となります。リファラル採用で見られる紹介者が自社従業員の場合も報酬として特別な手当てを貰うことは上記の理由により違法ですが、手当ではなく給料という形で支払うことは例外的に認められています(入社者本人に対しては意味合いにより給与でも手当でも支払うことは可能)。リファラル制度は通常この形での運用となりますが、その場合も就業規則や賃金規定はきちんと整備する必要があります。
「入社祝い金」は安心感を与えるインセンティブとして非常に有効な施策である一方、返金義務や第三者支給など“やりすぎた縛り”を入れると違法になるリスクがあるため、細心の注意を払った制度設計が欠かせません。この法律に反しない制度設計・構築・運用を第一に考えて取り組んでいただければと思います。

目的に応じた「入社祝い金」の推進ポイントと実務上の注意点
──「入社祝い金」を効果的に活用するために、目的ごとにどのような設計や工夫を行うべきでしょうか? また、実務で運用する際に共通して注意すべきポイントがあれば合わせて教えてください。
目的に応じた制度設計が成功の鍵となる点は前述の通りです。ここでは、目的別の設計ポイントについてお伝えします。
■競合優位性が目的の場合
求人票に「入社祝い金あり」と記載することで、特に採用難職種では応募数増加に即効性があります。ただし、ここから得られる差別化は一時的なものなので、支給条件や支給後のキャリア支援もセットで設計することが重要です。
■リファラル促進が目的の場合
紹介した従業員・入社した候補者双方にインセンティブを設けることで、自社の従業員を「採用の担い手」として巻き込みやすくなります。なお、実施する際には社内説明を丁寧に行い、従業員間での公平感を担保することが肝要です。
■年収補填の場合
転職直後の収入ギャップを埋めることで候補者の安心感につながります。特に、中途採用での『現職退職に伴う収入空白』を埋める意味合いは非常に大きいものがあります。
加えて、入社祝い金を「期間限定」で実施するかどうかは、会社の状況や目的によって判断が分かれます。私の見てきた企業の中では、少額の祝い金であれば恒常的に運用するケースも多くあります。
一方で、無尽蔵に予算を投下できるわけではないため、たとえばIPOを目指す上で採用強化が必要な1年間のみの限定実施や、離職が続いたフェーズにおける3ヵ月限定の実施など、期間を絞って運用する設計も可能です。期間を設定する場合は、「いつからいつまでに応募もしくは入社した場合に支給するのか」という条件を求人票・パンフレット・説明資料などに明記し、候補者・従業員双方に認識齟齬が生じないよう周知しておくことが重要です。
続いて、「入社祝い金」制度導入に関する注意点として以下3つをお伝えします。設計の失敗は短期離職やトラブルにつながるため、必ずおさえておきましょう。
(1)対象と条件の明確化
早期離職を阻止する本質的な解決策は『ミスマッチを減らすこと』です。そのためには、ペルソナ(採用ターゲット)の言語化・共有化や、推薦時の条件(推薦書の提出など)を明確化することが重要になります。誰でも彼でも祝い金を支給するのではなく、自社で長く活躍してくれる人物像をターゲットに支給できるようにしましょう。
(2)支払いのガイドライン作り
「入社祝い金」が入社後のどのタイミング・どんな形で支払われるかを明示できるガイドラインを作り、候補者や紹介者(従業員)とのトラブルが生まれないようにしましょう。特に、分割や一定期間働いた場合に支払う制度にする際は、出勤率や勤務態度を考慮し遅刻・早退・欠勤などが多い場合は減額もしくは対象外になるなどの細かな設計を工夫し、注意点もしっかりと周知できると良いです。
(3)従業員への誠意ある説明
『祝い金は採用強化のための戦術であり、それが会社成長や従業員にとっても好影響があること』を誠意を持って既存メンバーに説明しましょう。可能であれば、既存メンバーにも何らかの還元が行われるような制度にできるとベストです。
応募数を増やす→長く活躍できる人を採用することが目的だと思いますので、ここまでに挙げたことができて初めて「入社祝い金」の制度設計が短期離職の防止と定着率の向上など実りあるものへとつながっていくと言えるでしょう。
なお、「入社祝い金」は一般的に給与で支払う場合は課税対象となるため、源泉徴収や社会保険料の算定基礎に含まれる点にも注意が必要です(会社からの贈与とする場合には一時所得となり非課税)。
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編集後記
「入社祝い金」の効果や注意点、正しい運用方法が理解でき、狙った成果につながるかどうかは支給目的や対象者によることが分かりました。即効性がある取り組みとして魅力的な施策であるとは思いますが、きちんと目的や狙いを明確にした上で進めていくべきテーマだと思いました。



























