「定年延長」を選ぶ企業の理由:人手不足だけではない“戦力期間の再設計”という発想
従来の日本では多くの企業が60歳を定年としてきましたが、近年では人手不足や法改正の影響もあり「定年延長」を検討・実施する企業が増えています。
今回は、人事コンサルタントとして複数社の制度導入などを支援する櫻井努さんに、「定年延長」の実態から検討時のポイント・事例に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
櫻井 努/人事コンサルタント
大手メーカーにて新卒定期採用・人事制度企画・運用などを経験後、英国の経営大学院に社費留学(MBA)、海外子会社へ出向。帰任後に外資系企業へ人事マネジャーとして転職。その後、欧州系エンジニアリング会社などの日本法人CHROとして、高収益なグローバル企業における組織・人事管理の実態や、日本国内における報酬制度の設計、リーダーシップ開発など多岐にわたる分野を経験し、主にグローバル人事・人事制度・報酬制度を主とした人事コンサルタントとして独立。現在、大手の日本企業数社の制度導入などを支援中。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
「定年延長」に関する企業動向
──近年「定年延長」に踏み切る企業が増えていますが、どのような背景・要因があるのでしょうか?
第一に挙げられるのは、2025年4月の『高年齢者雇用安定法の改正に伴う定年に関する規制強化』です。従来の60歳定年制のもとでは、65歳までの継続雇用について再雇用の可否を企業が条件付きで判断することが可能でした。
しかし、現在はそうした条件による選別は認められず、再雇用制度は実質的に「定年延長」と同じ役割を果たしています。さらに、高年齢者の雇用確保については70歳までの就業機会確保が努力義務とされ、企業にとって「60歳で区切る制度設計」が雇用の実態とズレやすくなっている状況にあります。
第二に、『世代ごとの人口構成・ライフスタイル・価値観・経済環境の多様化』が挙げられます。60歳定年制が導入された昭和末期には、『60歳=子育てが終わり、孫に囲まれ、余生を楽しむ』というイメージが一般的でした。
しかし、現在は離婚や未婚世帯の増加など家族形態が多様化しており、従来の家族像では捉えきれません。また、現代の60代は意欲や能力が高く、健康面で多少の不安を抱える方がいても、将来の年金制度への不安からリタイア後に備えて働き続けたいと考える方も多いでしょう。
第三に、『人口減少(特に若年層)と慢性的な人手不足によって採用がますます困難になっていること』があります。本来であれば、企業の成長のためには生産性向上や業務効率化によって少人数でも業務を回せる体制づくりが不可欠です。
しかし、他国と違ってDX化が遅れ気味の会社が多い日本ではその実現が難しい場合も多く、特に中小企業にとって人手不足は深刻な課題となっています。このような状況下では、健康面で多少の問題があっても意欲が高く経験豊富な高齢者を継続雇用するメリットは大きいと言えるでしょう。特に、長年同じ企業で働いてきた高齢者は蓄積した経験を活かすことができ、離職率も低いため、安定した労働力を確保したい企業にとって非常に魅力的な存在です。
企業があえて「定年延長」に踏み切る理由
──高齢者雇用の選択肢としては「定年延長」制度以外にも「継続雇用制度(再雇用)」があると思いますが、それぞれの定義を教えてください。
「定年延長」制度とは、その名の通り定年年齢そのものを引き上げる制度です(例:60歳→65歳)。定年が上がるだけで雇用契約自体は継続されるため、従来と同じ身分のまま65歳まで働き続けることになります。
一方、『継続雇用制度(再雇用)』では、定年年齢そのものは変わりません。従業員はいったん定年で退職し、その翌日から新たに雇用契約を締結する形となります。60歳定年の場合、60歳で正社員としての期間の定めのない雇用契約が終了し、翌日から有期契約や嘱託社員として新しい契約を結ぶケースが一般的です。
どちらの制度でも『働き続ける』点は同じですが、企業の姿勢には違いが見えます。
「定年延長」は『これまで通り主要戦力として期待しています』というメッセージ性が強く、年齢による一律の処遇変更には慎重な傾向がみられます。また、人手不足が深刻な企業や、高い専門性・経験が不可欠な企業、役割が明確な人事制度を導入している企業にも多いでしょう。
一方、『継続雇用制度』を採用する企業は、定年を機に雇用契約の見直しが可能となるため、人件費管理の柔軟性を求めている傾向があります。定年を“高賃金従業員の出口”と捉える企業にとって、「定年延長」は人件費上昇につながりやすいことから、『継続雇用制度』を選ぶことが多いと言えます。
──「定年延長」と「継続雇用制度(再雇用)」のそれぞれのメリット・デメリットを教えてください。
これら両制度のメリット・デメリットは、以下のように整理できます。
■定年延長制度
<メリット>
・従来どおりの戦力確保につながり、従業員のモチベーション維持やエンゲージメント向上が期待できる
・『65歳まで雇用』という点は、採用活動において大きなアピールポイントになる
<デメリット>
・人件費負担が増加しやすい
・ポストや役職の見直しが進まない場合、昇進機会の停滞や人材の新陳代謝の鈍化につながる
■ 継続雇用制度(再雇用)
<メリット>
・制度設計が容易で、人件費を柔軟にコントロールしやすい
・定年を機に役職や担当業務の見直しを図ることができる
<デメリット>
・定年前後で仕事内容や責任が大きく変わらないにもかかわらず、給与が下がる設計にしてしまうと従業員のモチベーション低下を招きやすい
・給与水準を見直す場合は、職務・責任・役割の変更と給与の整合性、見直しの根拠や説明が不十分だと、同一労働同一賃金の観点でトラブルや訴訟リスクが高まる
・報酬低下に伴う意欲低下や省力化志向により、生産性向上が停滞する可能性がある
・報酬が下がることを嫌って経験豊富な従業員が流出したり、ネガティブなイメージにより採用競争力の低下につながったりする恐れがある
──『継続雇用制度』という選択肢がある中で、あえて「定年延長」を選択する企業にはどのような狙いや理由があるのでしょうか?
企業があえて「定年延長」を選択する理由の1つに、『労働力の維持・確保』が挙げられます。再雇用制度では契約更新のタイミングで大幅な年収の減少や役職の解任が行われることが多く、結果として従業員のモチベーションが低下してしまうケースが少なくないからです。
例えば、住友電設における「定年延長」事例では、『60歳以降も全力で働ける体制を構築すること』や『役職者についても60歳以降も高いパフォーマンスを発揮してもらうこと』を重視しており、高齢従業員を補助的な役割ではなく“主戦力”として期待している点が特徴的です。
さらに、人口動態の変化という観点からも「定年延長」の合理性は高まっています。バブル期に大量採用された世代の高齢化により人員構成がいびつになっている企業は多く、加えて若年層人口の減少により採用が難しくなっている構造的課題が顕著だからです。
このような状況下では、『定年=人件費削減の契機』と捉えるのではなく、蓄積された技術や顧客関係を継続するためにも、定年到達者に働き続けてもらう制度的裏付けは極めて合理的と言えます。
最後に、継続雇用(再雇用)における「賃金設定」と、その説明のあり方があります。
定年後に賃金が大きく変わるケースでは、仕事内容・責任・役割と処遇の整合が問われやすく、同一労働同一賃金の観点でもトラブルにつながる可能性があります。一方で、継続雇用制度は、定年でいったん雇用契約を区切り、新たに有期雇用契約を結ぶ運用となるため、役割期待と処遇を改めて設計し直す契機にもなります。
重要なのは、定年まで年功的に積み上がった賃金水準を前提に一律で下げるのではなく、「定年後に担ってもらう役割・責任・期待成果」を起点に処遇を再設計することです。そのうえで、役割期待と貢献度に応じた処遇を個別に設計し、本人に根拠を説明して合意形成までを運用プロセスに組み込むことが望ましいでしょう。
一人ひとりに対する説明と合意形成は負荷が高いものの、ここを曖昧にすると不公平感が残りやすくなります。定年という節目を、企業側が評価と期待値を誠実に伝える「対話の機会」にできるかどうかが、制度運用の成否を分けるポイントになります。こうした状況を踏まえ、TIS株式会社のように60歳以降も処遇が変わらない65歳定年制度を導入し、『働きがいの高い会社』を目指す動きも広がっています。
総じて、人件費やポスト調整を目的とした従来型の人事管理ではなく、60歳以降を“戦力期間”として再設計し、企業の人材戦略の重要な一部として位置づける時代へ移行しつつあると言えるでしょう。

「定年延長」検討時に考慮すべきポイント
──「定年延長」を検討する際に考慮すべきポイントについて教えてください。
「定年延長」の検討は、単に定年年齢を引き上げるだけの話ではありません。人件費構造・人材育成・処遇・キャリア形成など、人材戦略の根幹に関わる重大なテーマであるという認識が不可欠です。これは人事部門だけの運用課題ではなく、まさに“経営戦略の一部”として捉える必要があります。具体的に押さえておくべきポイントは次の5つです。
(1)働き方・キャリア設計
企業として、高年齢者にどのような役割を期待し、どのような働き方を提供するのかを明確にすることが重要です。また、その方針が中堅・若手のキャリア形成にどのような影響を及ぼすのかも慎重に検討しなければなりません。高齢従業員には、健康状態や働く意欲に応じて柔軟な雇用形態を選べる仕組みが求められます。
一方で、働き方の多様化が進む中、こうした柔軟性は近い将来、若年層にも拡大していく可能性があります。企業として長期的な視点で、多様な働き方を支える『柔軟な労働力編成のグランドデザイン』を描くことが重要です。
(2)等級制度
働き方や役割が多様化するほど、等級制度もそれに合わせた見直しが必要になります。従来のように、一定年齢に達した従業員を一律にライン長から外したり、昇格停止にしたりする運用が妥当なのかは再考すべきです。ラインマネジメント以外にも、専門性を生かしたスペシャリスト職など複線型のキャリアパスを用意することが求められます。
これを怠ると、若年層の昇進・昇格が滞り、管理職層が高齢者ばかりになるなど、特定の等級に従業員が過度に滞留する“硬直した組織”が生まれる危険があります。
(3)人事評価制度
役割やキャリアパスが変わる以上、評価制度も当然見直しが必要です。職能資格制度を採用している企業であれば、評価要件そのものを再定義する必要が出てくるでしょう。
また、評価結果の活用方法も従来とは変わってきます。評価制度が不適切に設計されると、評価に基づいた人財育成が機能しなくなり、結果として『評価は悪くないのにパフォーマンスは上がらない』従業員を生むリスクが高まります。
(4)報酬制度
60歳以降の給与水準に目を奪われがちですが、まず問うべきは『何を基準に賃金を支払うのか』という根本原理です。本来、従業員が生み出した成果や付加価値に対して適正に報いることが賃金制度の基本となるはずです。
したがって、高齢者であっても成果を出しているのであれば正当に評価し処遇に反映させるべきです。年齢を理由に一律で賃金を引き下げたり過小評価したりすることはモチベーション低下を招きますし、そもそも人件費の増大のみを議論するのは報酬制度の本質ではありません。なぜなら、成果を出せば企業の収益は向上し、結果として人件費比率も適正に保たれるはずだからです。P/Lにおいて人件費はトップラインとのバランスで語るべきものであり、全体最適の視点が欠かせません。
(5)退職金制度
退職金制度は企業にとって大きな財務リスクを伴うため、慎重な検討が求められます。特に、退職一時金やポイント制退職金の場合は、制度改定の影響が大きくなります。「定年延長」に伴って退職金制度を見直す必要がある場合、将来の負担増を抑えるためにも、制度の再設計を同時に進めることが望まれます。
これらの見直しに伴い、就業規則や各種規程(賃金規程・退職金規程など)の改定が必要になることは少なくありません。そのため、制度設計と同時に「どう進めるか」のプロセス設計も欠かせません。
具体的には、労働組合や従業員代表との緊密な連携を前提に、会社の方針や狙いを丁寧に共有し、必要に応じて修正を重ねながら合意形成を図ることが重要です。加えて、社員への説明・対話を怠らない姿勢が不可欠です。人事が資料を配布して終わりにするのではなく、背景・影響範囲・経過措置(移行期間や選択肢)まで含めて説明し、質疑応答を重ねて現場の不安や反発を受け止める場を設けることで、制度変更が現場に浸透しやすくなります。
「定年延長」の導入検討事例
──櫻井さんがこれまでに「定年延長」を進めた事例について、可能な範囲で詳しく教えてください。
前提として、私の事例は日本企業ではなく日本に拠点を置く外資系メーカーでの経験に基づくものであり、また検討時期が2010年代半ばと比較的早期であったため、最終的に「定年延長」の導入について社内承認を得られなかった点を最初にお伝えしておきます。
当時勤務していた会社では、1980年代半ばまでは65歳定年制度を採用していました。しかし、その後の経営陣が人件費増加を懸念し、60歳定年へ切り替えたことで、結果的に入社時期によって『65歳定年組』と『60歳定年組』が併存する非常に特殊な状況となっていました。
さらに、同社は“外資系メーカーの日本販売会社”という性質が強く、営業職には高度な専門知識や業界経験が求められました。そのため、いわゆる新卒や20代の若手では即戦力化が難しく、中途採用も活発とは言えませんでした。この構造により、年齢構成は年々高齢化していく状況が続いていたのです。
そのような中、1970年代後半〜80年代に採用されたベテラン層が次々と 65歳定年を迎える時期に入り、さらに数年後には80年代後半に入社した60歳定年の従業員が定年を迎えるタイミングが迫っていました。会社としては、この2つの定年グループを公平に処遇する必要性がありました。
そこで、当時残っていた役職定年や賃金抑制などの施策は停止し、再雇用制度についても両グループ間で不公平が生じない運用を行いました。こうした対応により、退職金制度以外の処遇については、2つの定年グループ間に大きな差が出ないよう調整していた形です。しかし、退職金制度(DC:確定拠出年金/DB:確定給付企業年金)は設計が異なるため明確な差異が残ったままとなったことを受け、この会社における「定年延長」検討の主題は自然と退職金制度の取り扱いに焦点が絞られることとなりました。
社内承認プロセスについては、日本法人での承認は問題なく、日本側経営陣に対して背景や財務影響を丁寧に説明し、全員の合意を得ることができました。しかし最終承認権を持つ本国の親会社では、『定年延長による財務インパクトが大きい一方で、現状の制度による実質的な不利益扱いのリスクは限定的』との判断が下され、結果的に承認は保留となっています。
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編集後記
少子高齢化が進む中、60歳以降をどう位置づけるかはもはや人事制度の見直しに留まらず、企業の競争力を左右する重要な経営テーマと言っても過言ではありません。各社がどのように“戦力としての高齢期”を設計していくのか、今後も注目したいところです。










