「社内FA制度」で従業員のキャリア自律を組織活性化につなぐ方法とは
従業員が異動したい部署に自身を売り込むことができる「社内FA制度」。従業員のキャリア自律・実現はもちろん、企業全体の活性化にもつながるとして注目を集めている制度ですが、一方で運用・管理方法などに難しさを感じている企業も多い印象があります。
今回は、森 直樹さんに、「社内FA制度」の概要から導入・運用ポイント・事例に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
森 直樹/株式会社GIFTBACK 代表
大手金融機関でグローバル人事を担当後、ITベンチャーのHR責任者としてシリーズA以降の組織拡大を牽引。HR部長に就任し、採用、人事企画、労務、総務領域全体を統括。その後、執行役員に就任。数百人の組織規模に拡大し、IPOやその先の持続成長を見据えた人事体制および制度を強化。現在は法人を設立。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
「社内FA制度」とは
──「社内FA制度」の概要について教えてください。
「社内FA制度」とは、一定の条件を満たした従業員が自らの意思で社内の他部署への異動を申請・実現できる人事制度のことで、プロ野球などのFA(フリーエージェント)制度になぞらえて命名されたものです。
従業員の主体的なキャリア形成を支援する仕組みとして、人材流動性が高くキャリア自律への関心が特に高いIT系企業などを中心に注目されています。
この「社内FA制度」の本質は、優秀な人材に対する“選択権”の付与にあります。一定の条件(勤続年数・評価基準・パフォーマンスなど)を満たした従業員が、自らの希望に基づいて異動先を選択し、会社がそれを支援する仕組みだからです。この制度により従業員は自身のキャリアビジョンに沿った部署選択が可能となり、組織は適材適所な人材配置と社内活性化を図ることができます。単なる事業推進観点での人事異動ではなく、従業員の自律的なキャリア開発を促し、組織全体の人材流動化を高めるといったより戦略的な人事異動の仕組みとして位置付けられています。
──「社内FA制度」に似た制度もありますが、こちらの違いを教えてください。
類似制度に『社内公募制度』と『自己申告制度』がありますが、「社内FA制度」との違いは以下のように整理ができます。
・社内公募制度……特定ポジションの候補者を社内外で募集する制度。会社や部署側が起点となって動くものであるため、従業員からの異動希望が起点となる「社内FA制度」とは異なる。
・自己申告制度……従業員が異動希望や配置に関する意見を申告する仕組み。あくまで参考情報として扱われるため、異動の確約がない点で「社内FA制度」と異なる。
「社内FA制度」のメリット・デメリット
──「社内FA制度」を導入することで得られるメリットやデメリットにはどのようなものがありますか?
「社内FA制度」導入による主なメリットには、大きく以下4つがあると考えています。
(1)従業員のキャリア自律支援
終身雇用制度の変化に伴い、従業員自身がキャリアを主体的に設計する必要性が高まっています。そこで設計したキャリアを実現していく上での1つの手段として、社内での多様な経験機会を提供することで従業員の成長と満足度向上を図ります。特に、モチベーションの高い若手従業員が多い組織においては、『自らの活躍次第で自分のチャンスを増やせる』『自分のキャリアをデザインできる』といった環境があるとモチベーションを高める効果が期待できます。
(2)優秀人材のリテンション
転職市場が活発化する中で、社内にキャリア拡大の機会や選択肢が少なければ優秀な人材が社外へ流出してしまうリスクが大きくなります。『社内でもこれだけの機会や選択肢があるよ』ということを示すことにより、それを防止する目的があります。
(3)人材流動化の促進
部署間の人材交流を活発化することにより、組織全体の柔軟性向上を図ります。特定部署への人材固定化を防ぎ、全社最適な人材配置を実現することも狙いの1つです。また、異なる部署での経験を通じて従業員のスキル向上と視野拡大を促し、業務の属人化抑止や部署間の知識共有・連携強化につなげる目的もあります。さらに、新しい視点でのアイデアによってイノベーション創出も期待できます。
(4)マネジメント品質への意識向上
「社内FA制度」により部下が他部署へ流出してしまうリスク、ないしは優秀な人材が自部署へFAしてくれる可能性を通じて、各部署のマネジャーがより良い職場環境づくりに取り組むインセンティブが働きます。
一方で、デメリットもいくつかあります。中でも最大のデメリットは『人事負荷の増大』です。具体的には、FA取得条件の管理、異動対応、各部署との調整など、運用コストが大幅に増加します。
合わせて、マネジメント層への負担や不満が増加するリスクにも注意が必要です。先ほど『適切なプレッシャーがマネジャーにかかる』とお伝えしましたが、それも行き過ぎてしまうと優秀な部下を失うプレッシャーや予期しない人員流出による業務への影響が生じ、部署運営が不安定になるリスクがあります。
加えて、よくある失敗例として『制度の形骸化』も挙げられます。実際に従業員がFA宣言をしたとしても、その後の異動実現率が低い場合、従業員の失望感や制度への不信が大きくなってしまい、『FA宣言をしても無意味だ』と思われてしまうケースは多々あります。また、一部の優秀な従業員のみが恩恵を受ける(異動を実現する)結果となることも多く、組織内格差を助長してしまう可能性もあるため注意が必要です。

「社内FA制度」導入・運用時におさえるべきポイント
──「社内FA制度」を効果的に導入・運用するためには、どんなポイントをおさえておけると良いでしょうか。
「社内FA制度」の効果的な導入・運用に向けては、特に以下のようなポイントを抑えることが重要です。導入・運用それぞれの観点で解説します。
■導入時
(1)申請フロー
FA宣言を人事に相談するのか、異動先の部署の上長と本人が直談判してから人事に相談する形式にするのかなど、宣言までのフローも決めておく必要があります。人事経由と直談判ではそれぞれ以下のようなメリット・デメリットがあります。

これらは組織の意思決定構造や文化に応じて、全体最適の観点も踏まえて総合的に検討することが成功の鍵となります。
(2)適用対象範囲
制度の適用対象を総合職のみにするのか、職種で制限するか、役職で制限するか(例:マネジャー以上は対象外など)などを慎重に検討する必要があります。対象範囲が広すぎると運用が困難になりますし、かといって狭すぎると制度の意義が失われてしまうので注意しましょう。また、対象範囲は自社の組織構造や事業特性によって調整が必要です。例えば、専門職が多い組織では職種による制限も検討すべきですし、急成長フェーズでは対象をより絞り込むことも選択肢になります。その前提で以下に基準となるイメージが以下になります。
・50名未満:メンバー層のみを対象。まだ少数精鋭組織のため、マネジャー層が抜けると組織運営に大きな影響が出てしまう。管理職の異動は全社戦略レベルでの判断が必要。
・50〜200名:メンバー層+マネジャー層(課長クラスなど)を対象。組織に一定の厚みが出てきて、マネジャー層の異動も吸収可能に。ただし部長クラス以上は経営判断として除外する。
・200名以上:役職も多様化していく中で、管理監督者は対象外とするなど分かりやすい線引きを検討することが重要。
(3)FA取得条件
対象者がどのくらい発生するかのシミュレーションを通じて、適切なFA取得条件設定をすることが重要です。一般的には、評価基準・勤続年数・パフォーマンス水準などを組み合わせ、制度の目的に合った条件設計を行うことが一般的です。私の場合、『誰が取得希望を出しそうか』『誰に取得してほしいか』など具体的な従業員の顔を思い浮かべながらFA取得条件の設定を検討することが多いです。その上で、過去の評価データから『年間何名が対象となるか』をシミュレーションし、人事の運用キャパシティと照らし合わせて適切な条件を設定するイメージです。参考までにFA取得条件例を2つほどご紹介します。

(4)申請後の運用フロー
FA取得条件だけでなく、適用対象になった後にFA宣言(異動希望)を出す期間を設けるか、FA宣言後にいつまでに希望部署への異動を実現するか、などの部分整理も忘れずに行いましょう。『いざ対象者が発生した際にどう対応するか』の観点でオペレーションを設計し、本人への案内・希望の確認方法なども含めて具体的に決めておく必要があります。ここで決めておくべきものには以下3つがあります。
①FA宣言の受付タイミング:年1回・半年1回など設定するか、通年可能とするか
・年1回、半年1回の場合:主に評価決定後のタイミングに設定するパターン。人事の負担は軽減されるが、タイムリーな異動が難しい。
・通年の場合:柔軟な対応が可能だが、運用負荷が高い。直談判パターンとの親和性は高い。
②FA宣言の申請期間:FA取得条件を満たした後、いつまでにFA宣言するか
・1カ月以内の場合:複数の申請が出た際にまとめて異動調整を検討できるが、対象従業員にとっては検討期間が短く、機会を逃すリスクがある。
・3カ月以内など猶予期間を設ける:じっくり考えられるが、異動調整の負担は増える
③異動実現期限:FA宣言から異動実現までの期間(例:3カ月以内、半年以内)
・短すぎる場合:元部署の引継ぎが困難、異動先の受入準備が不足する
・長すぎる場合:本人のモチベーション低下、制度への不信につながる
(5)情報開示方針
異動決定後、『FA宣言による人事異動なのか』を社内にどう周知するかも事前に決めておきましょう。実際にFA制度が利用されていることの周知を重視するか、プライバシーを優先するか、このあたりは組織文化によって判断が分かれるところだと思います。
(6)人事ポリシーとの整合性
「社内FA制度」に限らずではありますが、『会社として何を大事にしたいのか(従業員に何を約束し、何を求めるのか)』の人事ポリシーを明確に定め、他の人事制度とのつじつまを合わせる必要があります。制度の目的と会社の価値観が一致していなければ、現場での混乱や制度への不信を招くリスクが生じるからです。他の人事制度との掛け算で効果を最大化できる形になるとベストです。
■運用時
(1)異動可能なポジションの設計
従業員と異動先部署が直接調整する制度パターンを除き、人事が仲介する場合は異動可能なポジション設定が重要になります。例えば、常に全部署を対象とするのか、採用中のポジションのみとするか、などによっても異動可能なポジションの周知方法など運用は大きく変わります。また、異動可能なポジションの条件設定も事前にしておかないと、異動先の部署が計画通りに業務遂行できなくなるリスクを抱えることになるため注意しましょう。この条件設定をする際には、以下2つのポイントが重要になります。
①必須条件と歓迎条件の明記
・採用時と同様に、必須スキルと歓迎スキルを明確にしてミスマッチを防ぐ。
・「このポジションで何ができる必要があるか」を具体的に示す。
※条件を厳しく設定しすぎると、異動宣言が出づらくなる点に注意が必要です。
②受入側マネジャーとの事前調整
・ポジション条件について、受け入れ側マネジャーの同意を得ておく。
・「想定と違う人が来た」とならないよう、期待値を事前にすり合わせる。
・マネジャーから条件案を出してもらい、双方で調整する形が望ましい。
・異動後のオンボーディングや育成計画も併せて検討しておく。
(2)実現期間の管理
異動可能なポジションの設定と同時に、従業員がFA宣言を出してからどのくらいの期間でそれを実現するのかなどを適切なバッファ期間を含めて考えておくことも重要です。期間が長すぎると従業員の不満につながりますし、短すぎると組織運営に支障をきたす恐れがあります。
(3)マネジメント層の理解促進
制度の開始前に、その目的や意義について役員やマネジメント陣としっかり認識を合わせておきましょう。全社最適の視点で制度を捉えてもらえないと不満が蓄積するだけでなく、『どうにかして配下メンバーにFA宣言を取らせないようにしよう』と連続で高い評価を出さないようにするなどの不健全な意識が働いてしまうリスクもあるためです。反対に、制度の目的について適切に理解を合わせておけると、FA宣言対象者が出たときに建設的に異動時期などの検討を議論できるようになります。
(4)継続的な制度改善
運用開始後も定期的に制度の効果測定と改善を行い、組織の成長段階や環境変化に応じて柔軟に調整していくことが持続的な成功につながります。柔軟な改善につなげやすくするため、制度運用の初期は期間を決めてトライアル運用とするという手段もあります。
「社内FA制度」の導入事例
──森さんが実際に「社内FA制度」を導入・運用支援を行った企業の事例について、可能な範囲で教えてください。
実際に導入した経験上、組織拡大期における典型的なケースとして、以下のような事例が参考になります。
■導入背景
ある成長企業に1人の優秀な若手従業員がいました。その従業員から異動希望を聞いていたものの、代わりが効かないことからジョブローテーションが後回しになってしまい、結果的にキャリアや成長の閉塞感を感じたその若手従業員は退職してしまうといった事象が発生しました。この件を発端として、組織拡大と共に多様な人材が増えていく中”一貫性のあるマネジメント”を実行できる組織とするために、経営・人事が中心となり『会社が従業員に約束すること』や『会社が従業員に求めること』などを言語化し、それらの人事ポリシーを軸に人事制度改廃を行うことにしました。
その過程で、従業員のキャリア自律を促し支援するといった話が持ち上がり、これらの考え方を実現する仕組みを検討。前述した若手従業員退職のような課題の解消ともセットで「社内FA制度導入」に至りました。
■制度設計時の工夫
過去の実際の人事評価結果などから想定シミュレーションを綿密に行い、対象者の発生数などを予めコントロールできるような適用条件を設定しました。また、マネジメントメンバーに対してポリシーの理解とセットで丁寧に制度の趣旨を説明し理解してもらっていたことも重要な工夫ポイントです。
■導入後の効果
「社内FA制度」の存在自体が従業員の『キャリア自律』を応援するという強いメッセージになり、継続的にエンゲージメント向上に寄与しています。また、優秀な人材のリテンションにも繋がっており、前述した若手従業員のようなキャリア形成への不安を理由とした退職も大幅に減少しました。
■課題と改善点
運用の中で『異動希望があくまで本人のwill先行となっており、適性を加味した適切なキャリア支援にしきれていない点』が課題として挙がってきています。また、異動可能なポジションの数や条件を限定すると、FA宣言先の候補が少なくなって制度の有効性が乏しくなってしまう一方で、ほぼ全てを異動可能なポジションにすると一部の部署や職種に希望が偏るなど異動調整が難しくなることも課題として浮上しています。これらの課題に対しては、マネジメント陣を巻き込みながら定期的な制度見直しを進めていくことで対処するのがいいでしょう。
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編集後記
一般的な会社主導の異動ではなく、従業員主導の異動も選択できることにより、多くのメリットが生まれることが森さんの話からも理解できました。しかし、異動可能なポジション数や、FA宣言できる人の条件などが一定広く設計できないと「社内FA制度」の効果を最大化できない可能性があります。企業規模や各部門の人員過不足状況なども踏まえて、自社で活用可能かどうかは慎重に検討した上で進めたいものです。






