「ビジネスケアラー」のために企業ができること

高齢化が進む日本では、仕事をしながら家族の介護を行う方が年々増加していると言われています。そんな方々を「ビジネスケアラー」と呼び、企業や国全体で支援しようという動きがあります。
今回は、業務委託で健康経営や産業保健業務などに携わっている看護師・公認心理師の前出 瞳さんに、「ビジネスケアラー」の定義・概要から支援時のポイントに至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
前出 瞳(まえで ひとみ)/看護師・公認心理師
ゲーム開発を中心とするエンターテインメント企業や大手音楽関連企業の人事部にて健康経営・人材開発・両立支援・ハラスメント相談対応などに約15年間従事。現在は、業務委託で健康経営や産業保健業務などに携わっている。
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目次
「ビジネスケアラー」とは
──「ビジネスケアラー」とはどのような方を指すのでしょうか。その定義や動向について教えてください。
「ビジネスケアラー」とは、自分自身の仕事を持ちつつも家族の介護も同時に担っている方を指します。この「ビジネスケアラー」は近年増加傾向にあると言われていますが、その要因の1つが日本の『超高齢社会』です。
65歳以上の高齢者割合が人口の14%を超えた社会を『高齢社会』、21%を超えた社会を『超高齢社会』と呼んでいます。日本では1995年時点でこの14%を超えて高齢社会に突入し、2023年10月1日時点では29.1%と日本人口の約3割もの方が65歳以上の超高齢社会になっています。
株式会社日本総合研究所が行った『ビジネスケアラーに関する推計』によると、高齢化を受けて2030年には家族介護者833万人のうち約4割にあたる318万人程度が「ビジネスケアラー」となる推計を発表しており、それによる介護離職や労働生産性低下に伴う経済損失額は約9兆円にも上ると推計しています。

いざ介護が必要となった際に介護施設への入所を希望しても、すぐに入所できるとは限りません。入所できるまでは自宅での介護が必要になるわけですが、日本ではまだ自宅介護における外部サービスの活用が進んでいません。家族による介護を行うケースが多いことから仕事との両立が難しくなり、介護を事由とした退職(介護離職)につながってしまうのです。
労働人口が今後さらに減少する日本においては、こうした離職もできるかぎり防ぎたいもの。そうした背景から、仕事と介護を両立する働き手である「ビジネスケアラー」への支援の重要性が高まってきていると考えています。

「ビジネスケアラー」の問題点
──「ビジネスケアラー」への対応・フォローを十分にしないことにより、企業と従業員にとってどのような問題が発生するのでしょうか。
「ビジネスケアラー」に該当する方は、親の介護が必要になる40代~50代あたりが多くなると考えられています。この年代の従業員は企業内においても管理職などの重要なポストについていたり、替えの効かない経験を積んでいる人材であったりすることが少なくありません。そうした希少な人材が介護との両立に悩むことでパフォーマンスが下がってしまうと、企業としても競争力が低下します。当然、離職してしまえばその影響はより大きくなります。
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介護離職を事前に防ぐ。高齢化でさらに増える未来に対応するには。
また、適切なフォロー体制がないことは「ビジネスケアラー」予備軍である中堅従業員にも大きく影響します。会社からの支援がない中では、中長期的なキャリアを描きにくいからです。さらに、『介護支援制度が整っていない会社』と求職者やエージェントにも認識されてしまうと、優秀な人材確保も難しくなり深刻な人材不足に陥る可能性も出てきます。
さらに、従業員視点でも問題が多くあります。代表的なものは、仕事と介護の両立ができないことによる心身の疲弊です。企業からの支援がないとどうしても介護を優先せざるを得なくなり、その結果就労継続することが難しく退職を選択するしかなくなる人も出てきます。
しかしながら、ひとたび退職したとしても介護がいつまで続くかはわからないことが大半ですし、数年間も仕事から離れてしまうと再就職も難しくなってしまうなども問題もあります。離職すると収入源も絶たれてしまうため、経済的な問題も同時に発生します。
つまり、「ビジネスケアラー」への対応・フォローを行わないことは、企業・従業員の双方にデメリットしかないものであり、全企業が課題視すべきテーマだと言えるでしょう。
「ビジネスケアラー」支援時に企業が押さえるべきポイント

──「ビジネスケアラー」を適切に支援するためには、どのような点に注意しながら取り組みを進められると良いでしょうか。
最初に取り組むべきは、「ビジネスケアラー」の現状把握です。厚生労働省が案内している『仕事と介護の両立支援~両立に向けての具体的ツール~』においても、まずは実態把握から始めましょうとなっています。
本ツールには、両立支援のための社内体制や制度の整備状況を確認できるチェックリストが掲載されています。たとえば以下のような項目が含まれており、企業が何から着手すべきかのヒントになります。
<チェック項目>
・介護と仕事の両立支援に関する基本方針やガイドラインを社内に示しているか
・介護休業・介護休暇・時短勤務・在宅勤務など、法定制度の整備状況
・社内制度が従業員に周知されているか
・管理職に対して両立支援に関する研修が行われているか
・介護に関する相談窓口の有無
こうしたチェック項目を参考にしながら、法定の制度が社内で整えられているのか、自社の状況にあった支援内容になっているのか、そして従業員が制度を理解し利用できる環境にあるか、などを見直します。
その上で、従業員の年齢層や両親との同居状況など、人事面談やアンケートなどを通じて従業員の介護に関する状況を把握し、どのような課題が今後考えられるのかを想像して必要な施策を優先順位を決めながら整えていきます。
例えば従業員の平均年齢が若い場合、すぐに在宅勤務制度を整えても実際に介護事由による在宅勤務の利用は少ないと考えられます。その場合、まずは将来に備えて必要な情報の周知を行うことから着手するなどがよいでしょう。
そのような優先順位も加味しながら、介護時短勤務や、介護を事由とした在宅勤務制度の導入・拡充といった具体的な施策を整え、従業員が「仕事と介護は両立できる」と安心して働ける環境づくりを進めるとともに、仕事と介護を両立できるイメージを従業員のみなさんに持ってもらうことが重要です。
──「ビジネスケアラー」の支援には制度の整備だけでなく、適切なタイミングで制度が利用できるよう従業員への周知が必要だと思います。どのように進めれよいか教えてください。
いくら支援制度があっても、実際に活用してもらえなければ意味がありません。
ここでは、法定制度であり、主要な支援制度の1つである『介護休業』の周知を例に、具体的な周知方法をお伝えします。
介護休業は通算93日まで取得でき、最大3回に分けて分割取得することも可能です。休業期間中には雇用保険から「介護休業給付金」が支給されるため、金銭的な不安を軽減する効果も期待できます。
こうした制度を活用してもらうためには、制度を整備するだけでなく、従業員が制度の存在を認識し、必要なときに利用できることが最も重要です。そのため、以下のような方法で丁寧に周知を行っていくと良いでしょう。
<周知例>
・制度の概要や利用方法をまとめたガイドブックを作成し、イントラネット等で常時閲覧可能にする
・定期的な社内研修やeラーニングで管理職を中心に従業員に対して制度の意義と使い方を説明する
・介護に関する相談窓口の設置や、個別の相談があった際に具体的な支援策として提示する
・40歳になったタイミングで介護保険制度を含め仕事と介護の両立について資料配布や研修にて情報提供を行う
ただし、この休業は従業員自身が介護を担うための休業ではなく、仕事と介護を両立するための体制を整えるための準備期間である点を明確に伝えることが重要です。
また、制度面だけでなく、心理的面でも企業が寄り添う姿勢を示すことが大切です。たとえば、住んでいる自治体の高齢者福祉課や地域包括支援センターの場所や連絡先や、地域のケアマネジャーへの相談方法、介護保険の申請手順や必要書類など、地域の介護サービスやケアマネジャーへのアクセスを従業員と一緒に確認することにより、「ビジネスケアラー」の状況に寄り添い、1人で抱え込ませないようにするといった心理的支援も忘れてはいけません。
こうした制度の内容について丁寧に周知することにより、『実際に介護が必要になった際や、状況が変化した際にはどうしたら良いだろうか……』という従業員の不安を減らすことができます。
──現在「ビジネスケアラー」の従業員はもちろん、「ビジネスケアラー」予備軍と言える従業員への支援も重要だと思います。そうした方たちに向けた支援はどうすれば良いでしょうか。
介護は育児と違って突然発生することが多いものです。心の準備もできていない中で親の健康問題に直面し、その中で介護体制を整えていかないといけないため、心身ともに大きな負担が伴います。それらを踏まえて事前に企業が行っておくべきなのは、介護が必要になる前からの情報提供と、心の準備を少しでも従業員に進めてもらうことです。
特に、若い従業員にとっては、元気に過ごしている両親や親族の介護が必要になる未来はなかなか想像しにくいものです。また、そうした未来を想像することは楽しいものではないため、ついつい後回しにしてしまいがちだと思います。
しかし、そのまま当事者になるまで何も考えないでいると、いざと言うときに困るのは目に見えています。そうなる前に企業が積極的に関与して、社内の相談窓口の存在や支援制度について共有し、介護発生時の心の動揺を少しでも抑えることに取り組むべきです。
また、「ビジネスケアラー」予備軍とコミュニケーションを取る中で各自の状況を把握しておければ、より早く的確なサポートを行えるようにもなります。
例えば、お盆や年末年始など帰省し親と過ごす機会がありそうな時期に、介護に関する情報と一緒に『親が元気なうちから把握しておくべきこと』のチェックリストを案内するなどで、介護に対する意識を醸成することができます。また、40歳で介護保険料を支払うようになったタイミングで介護保険制度に関するハンドブック配布やセミナーを実施したり、仕事と介護の両立経験のある方との交流機会を設けたりなど、『会社からの支援がある』ということを認識してもらうだけでも介護離職予防には大きな効果があります。
なお、2025年4月1日の『育児介護休業法の改正』により、企業には介護離職防止のための雇用環境整備や介護離職防止のための個別の周知・意向確認等が義務化されます。この改正ポイントは全部で11つあります。
<2025年4月1日から施行>
(1)子の看護休暇の見直し ※義務
(2)所定外労働の制限(残業免除)の対象拡大 ※義務
(3)短時間勤務制度(3歳未満)の代替措置にテレワーク追加 ※選択する場合は就業規則等の見直し
(4)育児のためのテレワーク導入 ※努力義務
(5)育児休業取得状況の公表義務適用拡大 ※義務
(6)介護休暇を取得できる労働者の要件緩和 ※労使協定を締結している場合は就業規則等の見直し
(7)介護離職防止のための雇用環境整備 ※義務
(8)介護離職防止のための個別の周知・意向確認等 ※義務
(9)介護のためのテレワーク導入 ※努力義務
<2025年10月1日から施行>
(10)柔軟な働き方を実現するための措置等 ※努力義務
(11)仕事と育児の両立に関する個別の意向聴取・配慮 ※義務
※参考:育児・介護休業法 改正ポイントのご案内/厚生労働省
<合わせて読みたい>
「改正育児・介護休業法」(2025年4月1日より順次施行)の内容と対応ポイント解説
さらに企業は、法改正に対応するとともに、その内容を若い従業員へも分かりやすく、かつ「自分ごと化」してもらえるように周知することで安心感を醸成していくことが必要です。
具体的には、以下のように周知を行っていくと良いでしょう。
・ライフイベントに直面しやすい層に向けたセミナーや勉強会の開催(例:40代以上向けに「親の介護と仕事の両立」をテーマに開催)
・従業員との1on1やキャリア面談の場で、家庭状況に応じた情報提供やヒアリングを実施
・健康診断やストレスチェック時などに「仕事と介護の相談窓口」を周知する資料を配布する
・イントラネットにて制度解説の動画・事例インタビューなどを掲載し、視覚的に伝える
・管理職向けに、部下の介護リスクに気づくための研修を行う
「ビジネスケアラー」支援体制の構築事例

──実際に前出さんが関わった「ビジネスケアラー」支援体制の構築事例について教えてください。
私が過去に関与したとある企業では、従業員の平均年齢上昇に伴って介護に関する問い合わせが増えてきていました。そのタイミングで実際に介護休業を取得する従業員が発生したこともあり、仕事と介護の両立を支援する体制を本格的に考え始めることになったのです。
最初に行ったのは、社内における「ビジネスケアラー」の現状把握です。現状を正しく把握するためには、こちらから従業員へヒアリングするなどのアプローチも重要ですが、従業員側から適切に相談・連絡をもらえる体制構築が欠かせません。そこで、従業員が『どこに相談したらよいのかわからない……』とならないように、必要なタイミングですぐに相談できるような相談窓口を設定しました。
また、設置だけでなく、必要なときに相談窓口や制度の存在を思い出してもらえるように、入社時研修に加えて月1回、社内チャットの全社員向けチャンネルにて定期的な周知を行いました。これにより、従業員やその上司から『介護が必要になりそうなのだが、何か活用できる制度はありますか?』などの相談が寄せられるようになりました。
次に実施したのが、『仕事と介護の両立ガイドブック』の作成と配布です。厚生労働省の資料も参考にしながら、日本の介護を取り巻く状況や社会的な背景、介護保険サービスや社内制度の案内、手続きの流れなどの情報を1か所にまとめたガイドブックを作成し、帰省する方も多い年末休みの前に全従業員に向けて配布しました。
そこに前述した『親が元気なうちから把握しておくべきこと』のチェックリストも添付し、若い従業員にも介護を意識してもらえるような工夫を行っています。なお、こちらについても、必要なタイミングで活用してもらえるように、年1回年末休みの前には仕事と介護の両立ガイドブックを全社員に向けて周知するなど、定期的な周知を行いました。
そして、実際に介護休業を取得される方には、休業前の手続き・復帰後のサポート・その後の定期面談などを同じ担当者がワンストップで対応できる体制も構築しました。これによりご家族の状況をちゃんと把握している担当者が適切なタイミングで支援できるようにしています。
これらの取り組みを進めては来ましたが、それでも「ビジネスケアラー」に対する支援はまだ十分ではありません。今後さらに増えるであろう介護関連の相談に向けて、実際に仕事と介護を両立している方にインタビューし、その内容を「ビジネスケアラー」やその予備軍となる方たちに伝えていくなどの取り組みもこれから行っていきたいと考えています。
全従業員が仕事と介護の両立をより身近なこととして準備してもらえるようになること──それが「ビジネスケアラー」支援の1つの到達点と言えるのではないでしょうか。
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編集後記
2025年には約800万人もの団塊世代が75歳以上の後期高齢者になります。その方々を支える子ども世代はまさに40代~50代であることを考えると、従業員の多くが「ビジネスケアラー」もしくはその予備軍であることは間違いありません。来るべき未来に向けて、今のうちから環境整備や風土改革に着手しておきたいものです。