「ポジティブメンタルヘルス」を推進し、組織活性化を実現する方法

メンタル不調者への対応・予防は、従来から多くの企業で実施されてきました。しかし、昨今ではそうしたメンタル不調者だけでなくすべての従業員を対象とする「ポジティブメンタルヘルス」の概念が広がりつつあります。
今回は、「ポジティブメンタルヘルス」の概要や成功事例、推進時のポイントについて、ワークエンゲージメント向上に詳しいパラレルワーカーの方にお話を伺いました。
<パラレルワーカープロフィール>
大手電機メーカーのシステムインテグレーター企業にて、新たな人事評価制度の構築やHRBPなどに従事した後、カルチャー変革を企図したワークエンゲージメントの向上やインターナルコミュニケーションを促進するための諸施策を推進。現在は大手食品メーカーにて、人材育成と組織開発の担当マネージャーを推進。
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目次
「ポジティブメンタルヘルス」とは
──「ポジティブメンタルヘルス」の概念について、従来のメンタルヘルスとの違いも含めて教えてください。
「ポジティブメンタルヘルス」とは、従業員の心身の健康度を高めることで組織活性化や生産性向上を目指すものです。自己肯定感や幸福感などを重視し、仕事により活力を生む好循環の創出を目的としています。
従来のメンタルヘルス対策では、メンタルヘルス不調者の職場復帰支援や、高ストレス者に対する早期ケアによるメンタルヘルス不調予防などが中心でした。それに対して「ポジティブメンタルヘルス」は、従業員やその職場の強み・パフォーマンスを評価し、それを伸ばすことでポジティブな側面からその向上を企図し進めていく点に違いがあります。
この「ポジティブメンタルヘルス」を示す重要な指標に『ワークエンゲージメント』があります。このワークエンゲージメントの主な構成要素は『個人の資源』と『仕事の資源』の2つです。
■個人の資源
課題や仕事への積極性、自己効力感、組織における自尊心、楽観性、レジリエンスなど、本人の内面にある心理的な資源のこと。
■仕事の資源
上司や同僚からのサポート、仕事の裁量権の高さ、パフォーマンスに対する適切なフィードバック、コーチング、課題の多様性、研修機会など、さまざまな仕事の側面に関する資源のこと。
「ポジティブメンタルヘルス」の向上には、このワークエンゲージメントの2つの資源に着目し、職場におけるより良い人間関係の構築、アサインメントや業務遂行における職場支援体制の構築など、現在の状態を基に必要な向上や強化を図る施策を行うことが重要です。つまり、「ポジティブメンタルヘルス」は個人と組織全体の双方をWell-being(心身ともに満たされた状態)につなげる現代に適応したアプローチだと言えるでしょう。
──「ポジティブメンタルヘルス」の指標となるワークエンゲージメントの考え方と効果についてもう少し詳しく教えてください。
ワークエンゲージメントとは、仕事に対してポジティブで充実した心理状態を指す言葉であり、2000年前後から生まれた人間本来が有する強みやパフォーマンスなどのポジティブ要因に着目する動きの中で新たに提唱された概念の1つです。

このワークエンゲージメントは、『活力(仕事に活力を得ていきいきとしている状態)』、『熱意(仕事に誇りややりがいを感じている)』、『没頭(仕事へ熱心で取り組んでいる状態)』の3つの要素から構成されての3つの要素から構成されており、この3つの因子について、ユトレヒト・ワーク・エンゲイジメント尺度という基準に則った17項目の質問をすることで測定することで測定します。
そして、回答結果からこの3つの感情や認知が揃った状態を『ワークエンゲージメントが高い状態』としています。
このワークエンゲージメントを高めるための大きな要素は、前述した『個人の資源』と『仕事の資源』であり、それらを高めることで以下のようなポジティブな影響があることが近年の研究で示唆されています。
・離職率の低下
・組織への愛着の向上
・パフォーマンスの向上
・バーンアウト(燃え尽き症候群)の減少
・心身の不調の低下 など
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「ポジティブメンタルヘルス」が注目される背景
──企業が「ポジティブメンタルヘルス」に注目する背景には、どのようなものがあるのでしょうか。
「ポジティブメンタルヘルス」に注目が集まっている背景には、以下のような『環境変化』の影響があると考えています。
■少子高齢化による人材の重要性
日本の人口は2010年前後をピークに減少局面に入り、少子高齢化による深刻な人手不足が予見されています。このような状況下においては、企業は限られた労働力で高いパフォーマンスを発揮せねばなりません。優秀な人材の採用や定着だけに限らず、人材がパフォーマンスを十二分に発揮し、企業の価値拡大をすることが市場における競争優位性に繋がるという認識が広がってきています。
■技術進歩や産業構造の変化
第三次産業への産業構造の変化、グローバル化、AIをはじめとする技術革新により、ビジネスモデルやそのプロセスが加速度的に変化してきています。そうした不確実性の高い環境下において、従業員がさらなるスピードアップや自律的なパフォーマンス発揮を求められるようになった結果、業務負荷の増大、心理的ストレスの増加が懸念されています。
■働き方や意識の多様化と変化
フルフレックス勤務、テレワーク導入、複業/副業・兼業の拡大、ジョブ型雇用への移行など、近年では多種多様な価値観や状況に合わせた働き方が広がってきており、旧日本的な労務管理を図るだけではそれらに対応することが難しくなってきています。それに伴い多種多様な従業員1人ひとりが持てる能力を最大限に発揮できるよう、積極的な環境整備やサポートを図っていくことが企業には求められています。
これらの変化の中で、下記表の通り、仕事や職場生活において、常に半数以上が強いストレスを感じている状態です。また、業務における心理的負担を事由とした精神障害の発症、あるいは自殺したとして労災認定が行われる事案が近年増加していることも示されています。
そうした環境下で、精神不調者への対応・予防はもちろん、個人や組織の状況に応じてパフォーマンスの最大発揮を視野に入れた対策(ポジティブメンタルヘルス)を行うことの重要性が徐々に広がってきている形です。実際に、「ポジティブメンタルヘルス」を経営戦略の一環として捉え、従業員定着、パフォーマンス向上、ひいては企業価値の向上を目指す企業も出てきています。

「ポジティブメンタルヘルス」推進の成功事例
──「ポジティブメンタルヘルス」推進により生産性やエンゲージメント向上に取り組んでいる企業の事例について教えてください。
大手企業を中心に多くの事例が出てきていますが、ここではブラザー工業と丸井グループの事例をご紹介します。
■ブラザー工業株式会社
ブラザーグループでは、モノ創りを通じて価値を創造し世界中のお客様に製品やサービスを提供するための礎となる『ブラザーグループ健康経営理念』を策定しています。経営サイドと一体となった推進体制の構築、カウンセリング支援、セルフケア教育などの複合的な取り組みを行っていますが、それらの取り組みはすべて『ブラザーメンタルヘルス計画』に基づき行われている形です。
2022年からスタートした第4期計画では、従業員のメンタルヘルスのサポートや強化に取り組みつつ、「ポジティブメンタルヘルス」に向けた取り組みにも力点が置かれています。例えば、ストレスチェックの集団分析結果を活用した職場改善活動では、アクションプランの策定、職場での活動、ストレスチェック、部門における対話といったPDCAサイクルを1年間かけて回しています。さらに、その中で生まれた好事例を社内記事で展開するなど、知見の横展開も図ることで全社をあげて相乗効果を高める活動も行っています。
■丸井グループ
丸井グループは、長期ビジョンにおいて『ステークホルダーとの共栄』を掲げており、従業員も丸井グループを取り巻くステークホルダーの1つと位置付けています。丸井グループの活動は、従業員の心身のリスクを減少させるだけではなく、イキイキと働くための基盤づくりに向けた取り組みとして実施されています。
丸井グループの取り組みの特徴は、『手上げ制のプロジェクトを立ち上げて推進している』ことです。これは、イキイキと働くための基盤を作り上げるには複数の部門が連携しあいながら複合的な課題に取り組む形をとることが重要だという考えに基づいています。なお、プロジェクトの参加メンバーは全従業員から公募・選抜され、それぞれの職場で必要性や意義について伝えるなど自発的な活動を行っていく伝道師として活動しています。

「ポジティブメンタルヘルス」推進のポイント
──「ポジティブメンタルヘルス」について、なかなか推進の結果が見えにくく経営陣や現場責任者の協力や理解が得づらいとの声も耳にします。どのような点に注意して推進をすればよいでしょうか。
先ほどご紹介した推進事例(ブラザー工業・丸井グループ)をはじめとして、従業員個人のワークエンゲージメント向上、Well-being実現、組織パフォーマンス向上についても語られることも多くなりました。
一方で、「ポジティブメンタルヘルス」の効果についてはワークエンゲージメントなどの指標はあるものの、推進したからといって直接企業の売上が上がるなど、わかりやすい形で効果が目に見えるものではありません。
また、メンタルヘルスについては一定の意味が浸透しているものの、「ポジティブメンタルヘルス」についてはまだ新しい概念であり、具体的に何をするのかがイメージがつきづらいことも多く、結果として推進のキーマンとなる経営陣や現場責任者の理解が得づらいといった状態になってしまうこともあります。
そのため、経営陣や実際に「ポジティブメンタルヘルス」を推進してもらう現場責任者、従業員といったステークホルダーを巻き込み全社的に推進をしていくためには、上述した他企業の取り組みなどを例示して効果や目的についてのイメージを持ってもらうようにするとともに、以下の点を意識して取り組んでいくとよいでしょう。
■経営陣の強いコミットメントと方針の提示
「ポジティブメンタルヘルス」の推進には、経営陣の関与・行動が必要不可欠です。例えば社長などのトップがポジティブメンタルヘルス推進の目的や方針について社員に向けて直接メッセージを発するなど、経営陣が経営戦略との関連性を示しつつ明確にコミットメントすることで組織全体に共通認識が生まれ、従業員の協力も得やすくなります。
■評価可能な具体目標の設定
前述の通り、「ポジティブメンタルヘルス」はわかりやすい形で効果が見えるものではありません。だからこそ、しっかりと取り組みの検証・改善ができるように具体的な行動目標や指標を設定することが必要です。推進における具体的な行動目標や指標を設定してください。
具体的な目標・指標例には以下のようなものがありますので、例えば年1回、前述のワークエンゲイジメントの調査等を行い、その結果、目標達成できていない項目があれば、社員へのヒアリングなどを通じて原因究明し宜改善策を講じるサイクルを回していくことで施策の効果を高めていきます。
・ワークエンゲージメントのスコア向上
・ストレスによる休職者数の減少
・プレゼンティーズム(不調による生産性低下)の減少 など
■従業員参加型の推進体制確立
「ポジティブメンタルヘルス」を推進するためには、経営陣や管理職だけでなく現場の従業員にも意識を持ってもらうことが重要です。現場の従業員などを巻き込み、ボトムアップ型の推進体制を作ることも有効です。また、従業員との双方向コミュニケーションの場を設け、そこで得た声を施策に反映・実施することで従業員の当事者意識や納得感を高めることもできるようになります。
■継続的な教育や情報提供
「ポジティブメンタルヘルス」は1回きりの施策ではありません。継続して推進してこそ、効果を発揮するものです。そのため、従業員に対して継続的に教育や情報提供を行い、推進の必要性に関する共通認識を形成しておくことがとても大切です。
従業員に対して継続的に教育や情報提供を行うことは、推進の必要性に関する共通認識づくりに役立ちます。ストレスへの対処法やコミュニケーションスキルの向上などに関する教育や情報提供を行ったり、定期的なイベント開催やニュースレターでの情報発信などを行ったりすることで、日常に浸透させていけるようになります。
他にも、ロールモデルを示して模範的な行動を提示すること、人事・組織コンサルタントやEAP [employee assistance program]の外部の専門家に(客観的な視点を入れる意味で)参画してもらうことなども推進におけるポイントです。
もちろん、各々の市場環境やリソース状況などによって取るべき対応は異なりますが、これらの点に注意して推進することで「ポジティブメンタルヘルス」の取り組みの共通認識を深め、強固な協力体制の構築や推進力強化につなげることができるはずです。
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編集後記
従来のメンタルヘルスが守り(マイナスをゼロにする)の側面が強いのに対し、「ポジティブメンタルヘルス」は攻め(プラスの状態をつくる)に主眼が置かれた取り組みだと感じました。組織活性化や生産性向上は、採用力や定着率の向上にもつながる重要な観点です。多様な従業員がよりイキイキと働ける職場づくりに向けて、「ポジティブメンタルヘルス」の概念も取り入れながら取り組んでいきましょう。