「BCP(事業継続計画)」の設計・運用について
震災などの自然災害を含む緊急事態が発生してしまった場合でも、企業にとっては事業を継続できることが非常に重要です。また、仮にやむを得ず途切れてしまうことになっても、早期の復旧を実現する必要があります。内閣府も2005年に策定した『事業継続ガイドライン』を2023年3月に改訂し、「BCP(事業継続計画)」の策定をより強く推奨しています。
今回は、株式会社デジタルホールディングスにてERM(全社的リスク管理)の推進経験及び、BCPの策定/運用経験を持つ人事部マネジャー兼HRBP室マネジャーの日下部 敬さんに、「BCP(事業継続計画)」の必要性から設計・運用ステップにいたるまでお話しを伺いました。
<プロフィール>
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日下部 敬(くさかべ たかし)/株式会社デジタルホールディングス 人事部マネジャー兼HRBP室マネジャー。認定ファシリティマネジャー、キャリアコンサルタント。
2007年に新卒で楽天株式会社に入社。楽天市場事業部で営業職に従事した後、2010年に株式会社オプト(現株式会社デジタルホールディングス)に転職。デジタルマーケティング、経営企画、事業会社監査役、総務部長を経験した後、2021年から人事マネジャーとして人事領域全般のディレクションに従事。2023年からはHRBP室のマネジャーを兼務し、事業成長に向けた戦略人事機能の推進責任を担っている。本業と並行する形で、2022年からパラレルワーカーとしての活動を開始。これまでに、プライム上場商社の人事企画職、人的資本経営を研究する団体の調査研究職、50件以上に及ぶスポット人事コンサル業務と、幅広く活動を行っている。
目次
「BCP(事業継続計画)」とは
──「BCP(事業継続計画)」について、併せて聞くことのあるBCMやBRP対策などとの違いを含めて教えてください。
「BCP(Business Continuity Planning/事業継続計画)」とは、企業が災害や事故などの緊急事態に直面した際に、重要な業務を中断させず迅速に復旧させるための計画のことです。この計画には、具体的なリスクの特定と評価、影響の最小化、復旧手順の策定、従業員への訓練とコミュニケーションなどを含みます。これらのアクションにより企業は被害を最小限に抑え、業務継続性を確保し、取引先や顧客の信頼を維持することができるようになるのです。効果的な「BCP(事業継続計画)」は、企業のレジリエンス(回復力)を高める重要な要素でもあります。
この「BCP」を包括する概念がBCM(Business Continuity Management/事業継続マネジメント)です。BCMは、企業が災害や事故などの緊急事態に備え、事業活動を継続できるようにするための管理プロセス全体を指します。幅広い領域におけるリスクの特定と評価、事業影響分析、「BCP」の策定、訓練と演習、モニタリングとレビューを含む一連の活動を通じて実施されるものです。事業のレジリエンス(回復力・復元力・耐久力・再起力などの意)を構築するために行う包括的なマネジメントと言い換えると、イメージしやすいのではないでしょうか。
もう1つ、BRP対策(Business Recovery Plan/事業復旧計画)という概念があります。これは、実際に障害や災害が発生して事業に損害が出てしまった際の完全復旧に向けた計画と手順を指す言葉であり、内容的には「BCP」とイコールで語られることも多いです。BRP対策には、データのバックアップ、システムのリカバリ、重要な業務の優先順位付け、代替作業場所の確保などが含まれます。
また、BRPに近しい考えとしてDR(Disaster Recovery:ディザスターリカバリー)対策というものもあります。DR対策とは、各種災害時において、情報システムやデータを速やかに復旧し業務を再開させるための計画や技術を指し、データバックアップの仕組みや、代替システム整備、復旧手順などが含まれます。この点、概念的にはBRPと似ている所もあるのですが、BRPが主要業務を再開させるための全般的な手順や計画全般を指すのに対し、DR対策はITシステムを対象とした短期的な復旧を目的としている所に違いがあります。
BCM、「BCP」、BRP対策、DR対策の4つの概念を整理すると、以下図のようになります。
これらを検討する上でもっとも重要なのは、最上位概念であるBCMです。なぜなら、「BCP」を策定する過程で進め方に迷った際や、意見が分かれた際に立ち返るべき原点となるものだからです。BCMなき「BCP」には、明確な対応方針や適切なリスク精査プロセスがないため、結果的に品質が低くなりやすく、有事の際に機能しづらい計画となってしまうことが多い印象です。
事業継続の必要性と政府によるサポート
──企業はなぜ「BCP」やBCMに向けて取り組む必要があるのでしょうか。
事業がひとたびストップしてしまえば、株主・取引先・従業員などさまざまなステークホルダーに、重大な影響を与えてしまいます。株主は投資のリターンが減少し、信頼してくれている取引先は供給チェーンが断絶し、会社のために働いている従業員は収入源を失ってしまうことになります。これにより、企業の信用や評判が失墜し、経営に対し中長期的なダメージを与えることとなります。
そのため、CSR(企業の社会的責任)観点からも、BCMと向き合うことは企業としての『責務』であると言えます。BCMに真摯に取り組むことで、緊急事態発生時にも迅速に対応することができるようになり、ステークホルダーに対する責任を果たすことに繋がります。
皆さんにとっても記憶に新しいのは、2020年に発生した新型コロナウイルスによるパンデミックでしょう。発生当時は多くの企業が一時的に業務を停止したり、リモートワークに切り替えたりする必要に迫られました。このような状況であっても、事前に「BCP」を策定して従業員の安全確保や業務の迅速な再開に向けた準備が整っていた企業は、比較的スムーズに対応されていた印象があります。一方、準備が不十分だった企業は、業務を一次中断せざる得ず、収益の減少に直面し、多くのステークホルダーにマイナスの影響を与える結果となりました。
このように、「BCP」やBCMの取り組みは単なるリスク管理ではなく、ステークホルダー全体に対する責任を果たすための重要な要素であり、企業の長期的な繁栄と持続可能性を支える基盤となるものなのです。
──この「BCP」やBCMについて、中小企業庁も『事業継続力強化計画制度』を策定して推進しています。その目的や内容・動向などについても教えてください。
『事業継続力強化計画』とは、中小企業の防災・減災対策をまとめた計画のことです。中小企業が災害などの予期しない事態に対応し、迅速に事業を再開する能力を高めることを目的としています。中小企業に限定している理由は、「BCP」を策定していない企業が多いこと(全体の8割以上)、その策定余力がないことなどが挙げられています。
なお、具体的な取り組み内容としては大きく以下の2点があります。
(1)事業継続計画策定の対応支援
中小企業庁のWebサイト上に、『事業継続力強化計画策定』の手引きが紹介されています。これにより、対応リソースやナレッジが少ない中小企業においても、計画策定に臨むことができるようになっています。また、その策定だけでなく運用指針についても別のWebサイト(中小企業BCP策定運用支援)上で公開されており、策定後の支援まで行っています。
(2)事業継続力強化計画認定制度
中小企業が策定した防災・減災の事前対策に関する計画を、経済産業大臣が『事業継続力強化計画』として認定する制度です。中小企業向けの『簡易なBCP』と位置付けられており、企業がリスク評価、事業影響分析、「BCP」の策定、訓練と演習などを行い、それらが適切に実施されているかを評価・認定を行います。認定を受けた企業は、以下のような支援策を受けることが可能であり、取引先や顧客からの信頼性向上にもつなげられるメリットがあります。
・認定ロゴマークの活用(HPや名刺でPR可能)
・低利融資などの金融支援
・防災/減殺設備に対する税制措置
・補助金や税制優遇
・中手企業庁Webサイトでの認定企業名公表
ちなみに、直近の動向としては以下のようなものがあります。
■『リスクファイナンス判断シート』の提供開始
水災/地震についてハザードマップなどの情報を基に、各社が休業期間や決算関係書類の情報などを入力することで、休業時に必要となる資金や保険などの調達可能な資金を簡易に算定・比較することができるシートです。
※参考:『リスクファイナンス判断シート』経済産業省
■定期的なリスク対策セミナーの実施
直近では、『中小企業の身近なリスクを考える中小企業向けリスク対策セミナー』が実施され、事業継続力強化計画策定のポイントや、サイバー犯罪の脅威とセキュリティ対策などがテーマに挙がっています。
※参考:『中小企業の身近なリスクを考える中小企業向けリスク対策セミナー』経済産業省
「BCP」の策定状況
──先ほど『中小企業の8割以上が「BCP」を策定していない』と話がありました。大企業含めた企業全体では、どれくらいの企業が策定できているのでしょうか。
帝国データバンクが2023年5月に行った調査によると、「BCP」の策定率は大手企業で35.5%、中小企業で15.3%となっていました。共に上昇傾向で推移はしており、企業全体での策定率は検討中の企業まで含めると48.6%にまで及んでいます(2019年5月調査では45.5%)。
一方で、「BCP」を策定していない理由についても見てみると、『策定に必要なスキル・ノウハウがない』『策定する人材・時間を確保できない』が上位3つを占めています。これは私の感覚ですが、特にシリーズB・Cフェーズの企業の場合、事業拡大や安定利益の創出がステークホルダーから求められていることが多く、リソース投下の優先順位をそちらに割かざるをえないことから、なかなか手をつけることができない領域になっているのだと思われます。
「BCP」を行うメリット
──「BCP」を行うメリットについて、改めて教えてください。
「BCP」を策定することで得られるメリットは多くあります。具体的には、以下6つの観点です。
(1)従業員のリスク意識向上
「BCP」を策定する過程で、自然と従業員のリスク意識が向上します。これにより、普段の業務におけるミスや事故の発生件数が減少し、安全で効率的な業務遂行が期待できます。リスク意識の向上は、企業全体のリスク管理能力を高める重要な要素と言えるでしょう。
(2)業務の定型化・マニュアル化促進
有事の際の対応を誰でもシンプルに行えるように業務の定型化やマニュアル化が促進されるため、通常時も含めて業務の生産性向上が期待できます。また、業務が標準化されることで新入社員や異動社員でも迅速に業務に適応できるようになり、結果的に全社の効率化が図られる効果もあります。
(3)業務の改善・効率化促進
業務の改善や効率化が進むことで、さらなる生産性向上が期待できます。業務プロセスの見直しや最適化が進み、無駄のない効率的な業務運営が可能になるからです。これにより、企業の競争力が強化され、持続的な成長も実現しやすくなります。
(4)取引先からの信頼度上昇
「BCP」を策定している企業では緊急時にも安定して商品やサービスを提供できるため、取引先からの信頼が高まる傾向があります。その結果、既存の取引先との関係が強化され、顧客離れの防止や新規開拓にも貢献し、ひいては業績向上につながります。
(5)事業の優先順位が明確になる
緊急時には迅速かつ適切な対応が求められるため、「BCP」の策定過程において事業の優先順位の明確化は重要なポイントです。これにより、適切な資源(ヒト・モノ・カネ)の分配が可能になり、リソースを効果的に活用できるようになります。
(6)制度認定による各種ファイナンス優遇
前述した通り、中小企業庁が推進する『事業継続力強化計画認定制度』に認定されると、各種ファイナンス優遇が受けられるようになります。低利融資や防災・減災設備に対する税制措置などの金融支援によりキャッシュフローが改善し、企業の財務基盤が強化されます。
「BCP」の設計・運用ステップ
──人事が「BCP」の設計を検討した時に、どのような設計方法と運用ステップで進めると良いでしょうか。
企業によってもその設計方法や運用ステップには違いがありますが、ここでは一般的な企業における設計方法と運用ステップについて解説します。大きく以下4つのアクションをPDCAとして回し続けることで、より品質の高い「BCP」が作られていくと考えています。
(1)方針策定
まず「BCP」の目的を明確にすることで、企業全体の優先順位が明確になります。具体的には、人命を最優先に、事業の重要度に応じた対応を行い、対応スコープをどこまで徹底するかをその理由と共に定める形です。これにより、効率的かつ効果的な対応が可能になります。また、有事の際に人の思考回路は停止してしまいがちです。そこで、社員に対して『まず自分と家族の安全を優先に動くこと』『その次に業務復旧対応として〇〇に取り組むこと』と、優先順位を事前に明確に伝えておくことで、有事の際にスムーズな行動を促すことができるようにもなります。
(2)リスク分析
策定した方針を元に、想定される障害や災害の洗い出しを行います(例:地震、データセンターの火災、オフィス倒壊、ネット環境切断など)。ここでは洗い出したリスクを分析するわけですが、リスク分析といってもシンプルに各リスクを『発生率/影響度』の軸で3段階~5段階で採点し、リスク対応の優先度を明確にする程度で構いません。この発生率と影響度の点数を合算することで優先順位がつけやすくなりますので、その上で対応すべきリスクを選定していきます。
<採点例>
発生率:1=1度も起きたことが無い、2=数年に1回レベル、3=1年に1回レベル
影響度:1=事業継続への影響小、2=事業継続への影響中、3=事業継続への影響大
など
(3)リスク対策
リスク分析から導き出した各リスクにおける未然防止策(平時の準備)、初動対応、完全復旧対応の観点で、(1)で決めた方針を元にTODOを整理していきます。このTODOは時系列にそって整理していくと分かりやすいです。初動対応に至っては、障害・災害発生時から3日以内までのTODOを時間単位に落とし込んで作成すると良いでしょう。
(4)策定した計画を振り返る
事業環境や社会的情勢は変わり続けるため、それに沿ったアップデートは欠かせません。そのため、年1回を目途に過去に策定した計画を振り返ります。その際に確認することは、過去に設定したリスクの適正性と、新しいリスクがないかの2つです。
「BCP」設計・運用時に注意すべきポイント
──「BCP」計画策定後のPDCAが重要だとお話しいただきましたが、それ以外にも注意すべきポイントがあれば教えてください。
私自身が過去に「BCP」を策定・運用した際の経験から、留意した方が良いと思う点について設計面・運用面の両面からお伝えします。
■設計面における留意事項
先ほどもお伝えしましたが、大半の企業が「BCP」の策定に中々手を付けられていない状況にあります。そんな中で闇雲にプロジェクトチームを発足し「BCP」の策定を進めても、兼務で関わるメンバーが多いこと・効果がすぐ目に見えるものでもないことなどから、「BCP」策定への優先度が上がりづらく、関与者の『やらされ感』がどうしても出やすいものです。それらを回避するためには、経営層が推進にコミットすることが必要です。
具体的には、部門横断での推進体制を築き(計画策定には事業観点、インフラ、人命など、部門横断での検討プロセスが必要なため)、目的や進め方をすり合わせるチーム組成のプロセスが重要になってきます。
■運用面における留意事項
このような計画は『作って終わり・作って満足』になってしまいがちなものです。また、策定後にリスクが顕在化するケースもそう高くはないため、現場メンバーも忘れてしまいやすく、有事の際にせっかく作った計画が機能しないことも多々あります。先ほど『運用時にはPDCAが重要』とお伝えしましたが、策定したフローを実際に現場メンバーも交えて練習してみることをオススメします。というのも、実際に現場メンバーが動いてみることで初めて、『〇〇の場合はどうすればいいのか』『実際に××はできないのではないか』などの気付きが発生することが多々あるためです。また、シリーズB・Cフェーズといった立上げ初期の会社ほど従業員教育・浸透はしやすい風土があるため、計画策定リリースと定期訓練リリースは必ず行った方が良いでしょう。そして、この訓練を習慣化し、社内文化として当たり前の状態まで持っていければベストです。
また、「BCP」推進担当者への評価・労いも忘れてはいけません。業務の性質上、関係者の対応優先度を積極的に上げ辛い側面があり、推進担当者が孤独感を感じやすいシーンがよくあります。設計時はまだ良いのですが、運用フェーズになった途端に1人ぼっちとなってしまうケースも充分にあり、担当者のモチベーションが低下しやすいのです。この状態を放置すると、運用面における大事な定期訓練が行われなかったり、行われたとしても振り返りまできちんとなされなかったり、といったことが発生します。周囲の方は協業する際には感謝の気持ちを持って接する、上長はしっかりと事業継続対応ミッションを目標設定や評価プロセスに組み込むなどを実施して、適切に評価・労いを行いましょう。
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編集後記
「BCP」はまさに重要度高・緊急度低に位置する取り組みです。そのため、取り組み方を工夫しなければBCP未策定企業と同じように『やったほうがいいと思っているが、中々手を付けられていない』状況に陥ってしまうはず。経営層が覚悟を決めて推進し、関係者の重要度・緊急度も高められるような方法を考えた上で策定していきたいものです。