「管理職は罰ゲーム」に対する処方箋とは
『罰ゲーム化する管理職』という本が2024年2月に出版され話題になったのは記憶に新しいところです。管理職になることが一般的なキャリアステップだった時代を経験した方からすれば、この「管理職は罰ゲーム」という捉え方は驚きのあるものだったのではないでしょうか。
今回は、20年以上プレイングマネジャーとして人材開発や育成を主導されてきた井筒 郁子さんに、「管理職は罰ゲーム」と言われるようになった背景からその対処法に至るまでお話を伺いました。
<プロフィール>
井筒 郁子(いづつ いくこ)/法人代表、HRビジネスパートナー、組織教育コンサルタント
メーカーや小売、テレマーケティング、サービス、美容医療、大手金融企業等、幅広い業種にて育成部門の立上げやマネジメントや責任者を歴任。中期育成計画立案、従業員スキルマップ構築、アセスメント構築、管理職研修プログラムの構築や内部監査室長など、20年以上プレイングマネジャーとして戦略〜実行までハンズオン型での人材開発や育成領域を主導。
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目次
6割以上の人が『管理職になりたくない』事実
──「管理職は罰ゲーム」と言われてしまう背景には、どのようなものがあるのでしょうか。
※参照:平成30年版 労働経済の分析 -働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について-(第2-(3)-27図)/厚生労働省より抜粋・加工
厚生労働省が2018年に発表したデータによると、6割を超える方が『管理職に昇進したいと思わない』と回答していました。他にもマンパワーグループが2020年に行った調査では8割強、識学が2023年に行った調査では9割以上もの方が管理職になりたくないと回答しています。現在の日本では管理職というポジションを魅力的に考えている方が少なくなっていることが伺えます。
では、なぜ『管理職になりたくない』と考える方が多いのでしょうか。各調査の『管理職になりたくない理由』の上位3位までを見てみます。
<厚生労働省調査>
1位……責任が重くなる(71.3%)
2位……業務量が増え、長時間労働になる(65.8%)
3位……現在の業務内容で働き続けたい(57.7%)
<マンパワーグループ調査>
1位……責任の重い仕事をしたくない(51.2%)
2位……報酬面でのメリットが少ない(40.4%)
3位……業務負荷が高い(40.4%)
<識学調査>
1位……出世欲がないから(50.9%)
2位……責任が伴うから(50.0%)
3位……仕事量が増えるから(42.6%)
この結果から、『管理職になりたくない理由』には大きく以下3つがあると考えられます。
(1)責任が増える
管理職になれば当然、責任は重くなります。特に、『チームの業績責任を持つ』面は非管理職のときとは大きく変わる部分でしょう。自分のことだけを考えていればよかった非管理職と比べれば責任範囲が大きく拡大することになり、それらをプレッシャーに感じる方も多いはずです。
(2)業務量が増える(それに見合うだけのメリットがない)
1日中会議をしながらも、プレイングマネジャーとして実務もこなす──そういった管理職の姿を見て『管理職=忙しい』と感じている方は多いのではないでしょうか。労働政策研究・研究機構が2021年に行った調査結果からも、役割や責任が増えることから労働時間も非管理職と比べて長めになっていることが伺えます。
また、業務量の増加は許容できても、それに見合うだけのメリットや報酬がないと感じている方も多いようです。『管理職手当よりもメンバーの残業手当の方が多い』といった企業も少なくないこと、そしてZ世代の価値観であるタイパ(タイムパフォーマンス)やワークライフバランス、転職を前提としたキャリア開発への関心が高まっている傾向も影響していると考えます。
(3)現在の業務内容で働き続けたい(出世欲がない)
『現在の業務内容で働き続けたい』と『出世欲がない』は、ほぼ同義で捉えることができます。理由は個々人によって違うとは思いますが、他の理由から推測すると『自身のスキルで管理職としてパフォーマンスを発揮していけるか自信がない』と考えている方も多く含まれている気がします。管理職登用の前後においてはそのスキルアップが個人に委ねられていることが多いのも影響しているはずです。
ここまでを整理すると、「管理職は罰ゲーム」への対処・改善ポイントには『管理職の労働環境改善』と『管理職への昇格意向・マインド』の2方向から施策が必要であることが分かります。
『管理職の労働環境改善』への対処法
──『管理職の労働環境改善』を実施するためには、どのような手法が考えられますか。
そもそも、管理職の労働環境が悪化してしまう要因は『業務範囲の広さ』にあります。『管理職なんだから一般スタッフよりも仕事をするのは当たり前(量・質共に)』という思い込みはどんな組織でもある印象です。そうした思い込みから『NO(できません)』と言いづらい状況に置かれている方も多いのではないでしょうか。
こうした状態を防ぐための方法が1つあります。それは、『管理職の役割定義や管掌範囲を文書で定めて定義する』ことです。
皆さまの企業では管理職の職務範囲が定められた文書があるでしょうか。組織教育コンサルタントとして関わった経験上、『ある』が3割・『ない』が7割の肌感覚です。なお、管理職の職務範囲が定められた文書の状況は、企業により以下4つの状況に整理できます。
(1)定義づけを行う必要性を認識していない
(2)定義づけを行う必要があると感じているが、何らかの理由で実現化できていない
(3)定義づけを行う必要があると感じていて文書化もできているが、実態には即していない=形骸化
(4)定義づけを行う必要があると感じていて文書化もできており、かつ実態にも即している=運用成功
自社がどの状況に当てはまるのかを確認した上で適切な対処を実施していくことで『管理職の労働環境改善』の足掛かりをつかめるようになります。
管理職規定や管理職の職務範囲が定められた文書がない、あるいはあっても存在を知らない環境下に置かれた管理職は、忙しさから冷静に判断できる状態ではありません。そのため、適宜適切な判断をせずにすべて『管理職の業務』として巻き取ってしまうことが多々起こります。
責任感が強い人ほどその傾向があります。例えば、労務管理、コンプライアンス遵守、ハラスメント防止などのテーマも『管理職の仕事』として自然と整理されがちです。もはや『管理職の業務ではないこと』を探す方が難しいと言っても過言ではないでしょう。
こうした新しい経営課題に取り組むとなった際、経営層も割と気軽に『それは管理職の役割』と口にしがちです。しかし、本当にこれらが実施されることになれば、管理職の職務はさらに増えることになります。
プレイングマネジャーとしての役割も期待されている管理職の方であれば、まったく性質の違う仕事が役割として組み込まれるわけです。さらに、昨今叫ばれる多様性に対応するためにも部下育成は個性に合わせた個別対応が求められます。多くの管理職は真面目に一生懸命仕事に取り組んでいますが、もはや1人でできる範囲を超えてしまっているのです。
──自社の管理職の役割定義や管掌範囲は、どのようなステップで文書で定めていけばよいでしょうか。
管理職の役割定義や管掌範囲を文書化する際は、まず目的を明確にし、現状把握をしっかりとしたうえで進めていくとよいでしょう。以下に流れを簡単にご紹介します。
1.目的と対象を明確化する
『何のために管理職の役割定義や管掌範囲を文書化するのか』(例: 管理職への期待値共有、役割の不明確さによる業務の混乱を防ぐ)を組織内で明確にします。目的が明確になったら、役割定義を全体で汎用的なものにするか、部門別に異なるものにするか決めます。
2. 現状を把握する
管理職の現業務や役割分担をリストアップするとともに、管理職本人、部下、上司からの意見も収集し、現状を整理します。
3. 役割と責任を定義する
現状分析を基に、事業目標や戦略に沿って『どんな役割を果たしてほしいか』をリストアップします。その後、「戦略的役割」「業務管理」「部下育成」など役割を分類し管理職の所属部門や役職、業務負担も考慮しながら優先順位をつけ、具体的な役割や管掌範囲を言語化します。
4. 定義文書を作成する
役割や管掌範囲を記載する文書フォーマットを作成します。管理職の役割は部門ごとに異なることが多いため、共通の役割についての記載部分と部門特有の役割部分は分け、カスタマイズできるようなフォーマットにするとよいでしょう。
5. 内容を関係者に確認する
内容を管理職本人、上司、人事部門に確認し、必要に応じて修正します。あわせて、法令や内部規定との整合性も確認しておくとよいでしょう。
6. 定義文書を確定する
定義文書について上層部や役員会の承認を得て、社内正式な文書として確定させます。確定した文書は管理職会議やイントラネットを通じて周知します。
7.役割に則った組織体制を構築する
役割定義文書に則った業務を行えるよう体制を構築します。社内理解を得るために経営層が直接、役割定義を行うことに対してポジティブなメッセージを伝えることで、スムーズな体制構築ができます。あわせて、当事者となる管理職について、これまでの役割イメージが抜けきらず、文書通りの分担ができない場合は、状況に応じて上司が1on1を行い、業務についての認識すり合わせやサポートを行います。
8. モニタリング・見直しをする
年1回など、定期的に定義した役割や管掌範囲が管理職の行動や成果に反映されているかモニタリングし、必要に応じて役割定義の修正・改定内容の共有を行います。
この中で特に重要なのはステップ8です。管理職の役割は組織や事業状況によって変わっていきます。また、実際に運用してみて初めてわかる課題もあるでしょう。定期的な見直しをし、調整を繰り返していくことで、管理職の役割定義が企業文化や業務運営に浸透していくのです。
『管理職への昇格意向・マインド』への対処法
──もう一つの原因である『管理職への昇格意向・マインド』を高めていくためには、どのような方法があるでしょうか。
入社後に管理職への昇格意向・マインドを高めて行くことも可能ですが、管理職への意欲が低い場合は仕組みを十分に考え育成していくことが必要であり、且つ時間が多くかかります。そのためその体力があまりない組織の場合は、外部から採用することも検討することが必要です。
やや極端な例かもしれませんが、私が勤務していた大手金融系事務会社(バックオフィス業務)の事例を引き合いに出して説明します。成長期のこの会社では年間10名以上の中途採用を行っていました。いずれ将来の管理職としての役割も期待を含めての採用だったと認識しています。
しかし、入社後にヒアリングを行うと約9割の方が管理職を希望していませんでした。その理由を聞くと、そもそも転職理由が会社の考えていた意向とは違っていたのです。
<転職理由例>
・金融営業職だったが、営業が嫌になり事務職を探していた
・金融営業職だったが、将来結婚を見据えたときに営業職では仕事と家庭の両立が難しいと思った
会社としては金融基礎知識や仕事の流れが分かっていることを踏まえて即戦力ならびに管理職候補として採用したわけですが、彼女たちはワークライフバランスを充実させるために転職を決意していました。そうなると、『忙しい・大変そう』と思われる管理職になることを希望する方がほとんどいなくて当然です。
実は、私としてはこうしたリスクを危惧し、採用面接の中で仕事やキャリアに対する考え方や姿勢を問う重要性を提案していました。しかし、現場の裁量権が大きく、管轄の役員の了解が出れば採用できてしまう仕組みがあったのです。人事も面接に同席していましたが、あくまで人事的な項目に対する説明や質問があった際に対応するためのもの。『営業職が嫌だから事務職になりたい』という転職理由が透けて見える際、『この転職理由では当社が期待するようなキャリアは歩んでもらえない』と採用を反対しましたが、その声は残念ながら届きませんでした。
採用時のミスマッチを入社後に解消するのは不可能ではありませんが、相当に骨が折れることです。そこに時間を割くよりも、採用時点でしっかりと目的に沿ってスクリーニング・ターゲティングしていく方が、結果的に社内の『管理職への昇格意向・マインド』を高めることにもつながると私は考えています。
しかしながら、目先の採用を優先してしまい「とりあえず入社してもらってから考えればいい」と経営層や現場が考えてしまうことも少なくありません。そのようなときは、外部の専門家の力を借りることも有効です。社内の部下の言葉は上司へは届かなくても、外部の専門家が問題提起を行うとすんなり受け入れるというケースが多く見られます。
人事として「管理職は罰ゲーム」問題にどう向き合うべきか
──人事としてこの「管理職は罰ゲーム」問題に向き合っていく上で、押さえておくべきポイントについて教えてください。
先ほど『管理職の役割定義や管掌範囲を文書で定めて定義する』ことの重要性についてお伝えしましたが、人事の役割定義や管掌範囲についても再定義が必要と考えています。人事の役割の中に『管理職の役割定義や管掌範囲の見直し』を入れ込んでおいて欲しいのです。
一般的に人事はコスト部隊として認識されることも多く、最少人数で運営している組織も少なくありません。そうなると目の前にある緊急度の高い業務への対応で精いっぱいで、緊急度は高くないものの将来的に重要度の高い業務への対応が後手になってしまいます。
組織をより良い環境へと整備することも人事の役割ですから、『管理職の役割定義や管掌範囲の見直し』も人事の役割として定義することで、優先度高く実施できるようになります。
また、『管理職の役割定義や管掌範囲の見直し』を人事が主導する上で1つ提案したいのは、『管理職の中で役割の“すみ分け”を行う』ことです。
現代の管理職には多くの役割が求められています。今後AIがさらに発達すれば管理職業務の一部を担当してくれる未来もあるかもしれませんが、現時点では『管理職の役割分担・棲み分け』が「管理職は罰ゲーム」を脱却する最適解であり、今後はよりスタンダードになると考えています。
実は、日本でも管理職の役割を複数人で分担する企業は出始めています。例えば、プラントエンジニアリング大手の日揮ホールディングスでは部長の役割を3人で分担しています。
日揮ホールディングスは従来部長と副部長2名の体制でマネジメントをしていましたが、役割定義や管掌範囲を見直し、部長3名でマネジメントを行う体制に変更しました。
■参考記事:日揮、3人で分ける「部長職」 高まる管理職負担にメス/日本経済新聞
<3名の役割分担>
・部長……部の将来像を描き、達成への道筋を示す
・プロジェクトコーディネーションマネジャー……世界で遂行中のプロジェクトへのエンジニア配置など、日々の業務を管理し収益を高める人繰りを担う
・キャリアデベロップメントマネジャー……約90人の非管理職の部員のキャリア開発を支援し、成長につながる人事異動の計画立案も行う
長く人材育成に関わってきましたが、特に技術職の集団では管理職の役割から『教育』を分離したした企業では人材の育成効果が高かった記憶があります。上記の例もそうですが、エンジニアは技術に長けていても人材育成については経験がないことが大半です。現場たたき上げの管理職に人材育成を求めるのではなく、育成専門の管理職を配置する方が管理職にとっても部員にとっても、望ましい形になるのではないでしょうか。
──『管理職の中で役割の“すみ分け”を行う』ことは、確かにこれからより求められていきそうですね。実際にすみ分けを考える上では、どのような点に注意する必要があるでしょうか。
『管理職の中で役割の“すみ分け”を行う』上で注意したい観点としては、大きく以下3つがあります。
(1)人件費のコントロール
役割のすみ分けにより管理職もしくは管理職相当のメンバーが増えれば、人件費が増加することになります。得られる成果と増加分のコストがどうバランスするかは慎重に評価・判断していく必要があります。
(2)評価のつけ方
複数の管理職が同じ組織の管理を行うようになった際、その組織の成果やパフォーマンスが誰のアクションに起因したものかの判断が難しくなります。役割のすみ分けと同時に、それぞれの役割に対する評価方法まで事前に定めておくことが求められます。
(3)混乱させない体制作りと組織への浸透
同組織の管理職同士はもちろん、配下のメンバーが混乱しないように、それぞれの役割責任や管掌範囲を明確にして組織へと浸透させていく必要があります。
ちなみに、それぞれの会社に適した形で仕事をリ・デザイン(すみ分け含む)し心理的安全性を確保する上では、イギリスの経済学者リンダ・グラットンが提唱した『4段階のプロセス』の考え方が参考になります。
(1)自社の重要な要素について『理解する』
(2)未来の仕事のあり方を新たに『構想する』
(3)モデルをつくり『検証する』
(4)モデルに基づいて行動し、新しい働き方を『創造する』
このプロセスは、「管理職は罰ゲーム」問題を変えられる新たな考え方だと私は感じています。従来の日本企業は、欧米発祥の経営手法・評価制度・マネジメントスキルを真似て導入してきました。中にはうまく馴染んだものもありますが、成果主義を導入など成功しない場合もありました。
先進国で取り入れられているものは確かに良いものも多くありますが、必ずしも日本企業にマッチするとは限りません。それに、日本人には日本人の良さがあり、日本人が築いてきた文化があります。欧米のトレンドをただ取り入れるのではなく、日本文化・自社を見つめて自社に即した管理職と組織を考える時期が来ているのだと思います。
もちろん、グローバル化が進む中、海外の事例が役に立つこともあるとは思います。とはいえ、他社と自社は違う生き物であり、他社での成功事例が自社で当てはまることの方が珍しいと思った方がしっくり来る気がします。「管理職は罰ゲーム」問題においても、海外や他社に答えを求めるのではなく、自社に合わせた制度や組織改革・教育法で改善していくことを目指していきたいものです。
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編集後記
管理職に多くの期待が集まってしまう現代だからこそ、改めてその役割定義や管掌範囲を再定義することの重要性を井筒さんの話から理解することができました。管理職もあくまで役割の1つに過ぎませんが、その役割が多くの方にとってネガティブに捉えられてしまう現状は心地の良いものではありません。キャリアの可能性の1つとして、よりやってみたいと思えるポジションになるよう、人事主導でそのあり方を考えていきたいものです。