「給与改定」をスムーズに進めるためのポイントとは
定期昇給・ベースアップ・諸手当などの見直しを行う「給与改定」。見直すタイミングは人事制度の変更時や法改正への対応などさまざまですが、従業員の生活に直結する給与に関わるものだけに、改定時には慎重に検討する必要があります。
今回は、「給与改定」の概要から適切に改定を進めるためのポイントに至るまで、人事制度改革の企画・導入・運用支援の経験が豊富な安松 拓也さんに話を伺いました。
<プロフィール>
安松 拓也(やすまつ たくや)/法人代表
医療機器販売会社・ソーシャルメディア/ゲーム会社・大手精密機器メーカーにて人事の実務およびマネジメントに従事。各社いずれも経営変革の潮目に在籍し、事業戦略の実現を目的とした人事制度改革や人材育成施策の企画・立案・実行を主導。多くのマネジャーや従業員に向き合ってきた経験から、企画のみならず導入設計・運用支援を重視している。現在は独立して活動中。
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目次
「給与改定」とは
──「給与改定」の概要について、昇給・ベースアップ・諸手当など改定の項目なども含めて教えてください。
「給与改定」とは、人材マネジメント上の目的を達するために『仕事と給与』『成果と給与』『従業員の生活と会社の関わり方・支援』などについての考え方を再考し、従業員に支払う金銭的報酬に何らかの変更を加えることを指します。
その改定内容・対象は非常に広範にわたりますが、私は以下のような構造で整理・理解しています。
(1)従業員に支給する基本的な給与水準の変更
そもそもどのくらいの水準を給与として支払うのか、を見直して変更するものです。水準を決める際には、市場水準をベンチマークとして活用しながら、現状、有意な人材の獲得・リテンションはできているか、自社はいまどのくらい処遇上の魅力があるのか、将来に向けて報酬競争力はどうか、といった観点などを複合的に考慮します。また自社の経営環境や業績に照らした現実的な支給水準という観点も欠かせないでしょう。
(2)給与構成の変更
給与を構成する項目(基本給、役職手当、家族手当、○○手当、賞与……など)を見直し変更するものです。この中には、『ベースとなる報酬(基本給や賞与)の再定義や変更』と、『条件・状況に対して限定的に支給する報酬(手当)の再定義や変更』の2つが含まれます。これらは、どちらも自社の基本的な給与のあり方を再考するものです。
(3)各給与項目における条件・支払い方法の変更
これには以下のようなものが該当します。
ベースとなる報酬の変更方法
・ベースアップ
給与テーブルそのものを改定し、給与水準を引き上げること。
なお、初任給アップも厳密にはベースアップ以外の手法もあるものの、大まかなくくりとしてはこちらに含まれます。
・定期昇降給/昇降給方法の見直し
成果や能力の評価に基づく基本給の増減
・賞与の水準/支給ロジックの見直し
成果や能力の評価に基づく賞与金額の増減や支給ロジック変更
条件・状況に対して限定的に支給する報酬項目の変更
・各種手当の改廃
・支給目的や条件・対象者の見直し
・金額水準の見直し など
一般的に「給与改定」と言うと、(3)の一部であるベースアップや定期昇降給を表現することが多いように感じます。しかし、冒頭でお伝えした通り「給与改定」は会社が従業員に支払う金銭的報酬に関する考え方を何らか変更した帰結として起こる1つの現象であるため、「給与改定」はそれらの総称と捉えるべきだと考えています。給与の成り立ちを俯瞰的・構造的に理解し、何の目的で、給与の『どの部分』を改定しようとしているのか、を明確に意識することが肝要です。
「給与改定」を行う目的
──企業・従業員の双方に大きな影響がある「給与改定」。企業はどのような効果を期待して改定を行うのでしょうか。
従業員に対する給与のあり方は、会社の人材マネジメントに対する考え方や、組織ビジョン・戦略・方針などに深く紐づいています。構造としては、上段に経営戦略・事業戦略があり、それを実現するために人材・組織の側面で勝ち筋(こうあると望ましい)となる人事戦略や人材マネジメントポリシーがある形です。それらを仕組みとして表現したものが『人事制度』であり、給与制度はその一部という位置づけになります。
それゆえ、「給与改定」の第一目的は『企業の考え方やその変更を従業員に対してメッセージとして伝えること』です。もしくは、当初の目論見に対して給与制度がうまく機能せず、正しくメッセージが伝わっていないときの是正として活用することも多々あります。
そもそも、給与にはその金額の多寡によって企業が何に重きを置いているのかを明確に伝える性質があります。これを経済合理性(経済的な価値基準に沿って論理的に判断した場合に、利益があると考えられる性質・状態のこと)と言うのですが、この性質を活用して企業から従業員へのメッセージを送り、会社・組織として『ありたい姿』に近づけることが「給与改定」の本質的な目的です。
これらの目的を整理すると、以下3つにまとめられます。
(1)従業員に直接関係し影響を与える給与を変更し、企業の人材に対する考え方を従業員に共有すること
(2)給与の持つ経済合理性を用いて、企業として従業員に期待する能力発揮・成果・行動を動機づけること
(3)上記1・2がうまく機能していないときに、各給与項目の問題点を是正し、本来発したいメッセージに適う従業員の受け止めを醸成すること
このようなコンセプチュアルな目的があった上で、個別の給与項目の改定においては以下のような具体的な目的や期待する効果があります。
・人材採用や引き止めを強化するために、市場水準に照らして従業員の給与水準を高めたい
・従業員のライフイベントに対する会社としての支援を手厚くし、生活と仕事のバランスを保ちながら長期に貢献を期待したい
・『やったらやっただけ報いる』状態をつくるために、成果に対する給与のメリハリを強めたい
ここで重要なのは、個別の給与項目に関する改定目的をはっきりさせることはもちろん、その改定によって従業員に何を伝え・どう受け止めてもらい・考え方や行動に反映してほしいのか、を明らかにしながら改定の妥当性を検討していくことです。
例えば基本給のベースアップは、原資を要して全員の給与水準を底上げするということですので、世情を受けた対応という側面はありつつも、継続的な業務改善を通じた生産性の向上をしてほしいとして改定する。
また、職種別給与テーブルを導入するということは、職種のプロとしての価値を認め、十分に競争力のある水準を支給する代わりに、プロとしての研鑽・市場に通ずる能力の発揮や成果を求める(そういう評価をする)。
改定による投資額と見込まれる効果について合理的な説明ができ、その度合いが定量的にも定性的にもバランスが取れていると判断できれば、その改定は妥当といえる状態になります。
給与改定」を適切に行うためのポイント
──給与というシビアなものを扱うため、トラブルはできるだけ避けたいものです。適切に「給与改定」を進める上で注意すべきポイントについて教えてください。
私が「給与改定」を進める上で意識しているポイントは、以下の3つです。
・不利益変更の該当有無
・アカウンタビリティ(説明責任)
・変化度の調整(改定内容が受容可能な変化度合いなのか)
不利益変更の該当有無
従業員に直接関係し影響を与える給与を変更する際には、従業員及び労務的なトラブルやリスクへの配慮が欠かせません。特に、従業員にとって『労働条件の不利益変更』を伴う「給与改定」には注意が必要です。労働条件の不利益変更とは、会社が一方的に従業員にとって不利益になる労働条件などの変更をすることを指します。例えば、給与を会社側の一方的な判断で引き下げたり、手当を廃止したりなどが該当します。ここで言いたいのは、不利益変更に該当する給与改定は一切行えないのか?というとそうではないということです。ただし、一部の側面で労働条件の不利益変更に該当する改定となってしまう場合には、その改定が、適切なプロセスのもとに、充分な合理性を以って行われていることが重要だということです。
プロセスに関しては、労働契約法8条では『労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる』と規定されています。この『合意』方法は、労働組合や労働者代表といった労働者を代表する機関との合意もあれば、労働者個人との個別合意なども含まれます。それぞれのケースでどのような『合意』が必要となるかについては、改定内容に基づき顧問社労士・弁護士などの専門的見地からのアドバイスを得ることをオススメしますが、重要なのは『不利益変更』の内容をきちんと厳密に理解した上で改定を行うことです。
例えば、『月給全体の金額は変わっていないから問題無い』と思っても、給与構成を変えたことにより各項目の金額に変化が生じ、それが『不利益変更』に該当してしまうことがあります。全体として実質的な不利益は無い印象があったとしても、今回の改定が法的に『不利益変更』に該当する部分はないのか、と入念に確認せねばなりません。
その上で、合理性の担保において、また改定を円滑に合意するために私が意識している実務的なポイント2点についてご紹介します。
アカウンタビリティ(説明責任)
「給与改定」の目的・ロジックがしっかりしていて、いつでも説明できる状態を担保できるようにしています。その改定が恣意的(好き嫌いや感情に基づくもの)だと従業員に誤って伝わってしまうことがないよう、改定のBefore/Afterにおいて『算数』で説明できることが重要です。
給与の算定は、従業員から見ればややこしくて難解なものであることが多いものです。私自身も、以前所属した会社で「給与改定」を行った際、『これはいったい何がどうなっているんだ!説明に来てほしい』と従業員から怒りの連絡を受けて飛んで行ったことがあります。ただ、現地で改めて丁寧に説明し、きちんとした『算数』を伝えると、『なんだそういうことか。それを早く言ってよ』と理解してもらえたことが往々にしてあります。『わからない』が転じて『不当に変更されたのではないか?』という疑念になりやすいことを強く感じた事例でした。
また、改定により不利益がありうる従業員に対しては、改定の目的を事業や会社の必要性に基づき丁寧に説明することはもちろんですが、代替となる機会(こうなったらアップします)を用意し説明していくこともポイントです。
変化度の調整
アカウンタビリティ(説明責任)は頭で理解してもらうために必要な要素ですが、給与の話は頭の理解だけでなく『心情面』でも受け入れてもらえるかどうかが非常に重要です。人間は一般的に急激・劇的な変化に対して抵抗感があるものです。それを踏まえて、今回の改定が従業員にとって受容可能な変化度合いなのかはシビアに検討する必要があります。変化度が弱すぎると「給与改定」のメッセージ機能が弱まり目的を達成できません。一方で、強すぎると従業員に受け止めてもらえず、退職や労務リスクにつながってしまう恐れがあります。人事担当者も従業員の1人であるわけですから、改定が従業員に与える変化の度合いについては人事・従業員の両側面から推察し、変化度を調整していくことが問われます。
昔勤めていた会社の上司に、『従業員の給与について考えるときは会社視点51%・従業員視点49%で考えなさい』と言われたことがあります。「給与改定」はあくまでも企業の目的・合理性において行われるもの(比率の逆転はしない)ですが、その際には従業員への影響・配慮を決して欠かしてはならないよ(限りなく近しい比率で考える)とその上司は私に言いたかったのではないでしょうか。「給与改定」は、人事担当者の姿勢と力量を大いに試されるものだと思います。この難しいテーマにおいて、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
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編集後記
『組織ビジョンの実現』と『現場従業員の心情』。視座も性質もまったく違うこの2つの両立は、いかに経験豊富な人事担当者といえども容易ではないでしょう。ただ、こうしたシーンは「給与改定」だけでなくその他人事制度の変更時にも共通するもの。いろんな視点や立場に立って各施策を推進できるよう、人事として鍛錬を積んでいきたいものです。