戦略総務とは?能動的に生産性を上げるバックオフィスのあり方

スタートアップやベンチャー企業においては、管理部門全体の担当として、人事担当者が総務の業務までカバーする場面も少なくないでしょう。
「総務」といえば、社内のあらゆる面で支援を行う“守り”の部門をイメージする方も多いと思いますが、近年では「戦略総務」という“攻め”の部門として捉える考え方が広がりを見せています。
そこで今回は、ベンチャー企業数社で管理部門を経験し、前職のメルカリ社ではPeople Experience(組織における体験向上と企業文化醸成の推進)を実践してきたラクスル株式会社の大橋美沙季さんに、「戦略総務」の定義や実践する上のポイントなどをお聞きしました。
<プロフィール>
大橋 美沙季/ラクスル株式会社
大学卒業後、小学校の英語教諭の道に進んだのち、フリーランスで官公庁や大使館とのプロジェクトにおける企画及び英語サポートに携わる。その後、ITベンチャーである株式会社トップゲートでの管理本部マネージャーを経て、株式会社メルカリへ。海外就労者の労務、障がい者雇用、HRIS(人事管理システム)の導入などの領域で活躍。現在はラクスル株式会社にて人事労務を務める。▶このパラレルワーカーへのご相談はこちら
目次
戦略総務と一般的な総務の違い
──「戦略総務」の定義について、これまでの一般的な総務との違いを踏まえて教えてください。
戦略総務とは、「事業により近い立ち位置で影響を与える総務」のことを指します。
総務に限らず「戦略〇〇」と言われる何かは、「受動的である(と思われている)業務と対比して、一歩事業に近づいて事業に影響を与える存在」として定義される傾向があると個人的には考えています。
総務は売上創出から遠く、事業に影響を与える存在であるとは思えないかもしれません。
しかし、自身の専門領域において能動的に工夫を凝らすことによって、「生産性を向上し業務時間を短縮した」「社員が仕事がしやすくなったと感じ、もっと頑張ろうと思える環境を先回りして作った」などの取り組みも、十分に事業に影響を与えていると言えるでしょう。
とはいえ「戦略総務って何をすればいいのだろう」と考え始めてしまうと、どうしても敷居が高くなりがちです。個人的にも、「戦略」という言葉が堅苦しい印象があるので、もっとフランクに「イケてる総務」として考えるようにしています。
分かりやすい例を挙げると、リモートワーク導入後の通勤費精算です。これまで定期券代を支給していたところから、出勤した日数分の切符代支給に切り替え、月末にまとめて出勤日数を申請してもらう──これが一般的な対応だとは思いますが、「イケてるか」と言われればきっとNOです。みんなルールだから対応してくれるだけで、そもそも出勤日数を月末に数えて申請するなんて手間ですし、私だってできればやりたくありません(笑)
そんな一般的なフローも、ちょっと工夫すれば一気に「イケてる」フローに変わります。
例えば勤怠ソフトや、セキュリティカードがある事務所であればオフィス入室ログなどを使って、すでにあるデータから計算することはできないか。またそれができないのであれば、より申請が楽になるように自動化ツールなどは使えないかなどを検討していくことはできるはずです。そうやって社員がぶつかる“面倒くさい”を潰していくことも、立派な「戦略総務」と言えるはずです。
ただ、「戦略総務」という言葉の裏側には、「従来の総務部門が受動的でルーティンばかりこなしている」というイメージが見え隠れして、とても悔しい気持ちにもなります。
大前提、総務は社内のどの部署よりも社員のことを考えていて、社員とのつながりも多く、何か困った際の駆け込み寺のような場所として信頼感がある部署です。だからこそ、社員が困っていることに一番に気づくことができますし、考える余裕さえあればいろんな関与や工夫ができるまさに“無限の可能性”があるポジションなのです。
「戦略総務」というのはこれまでの総務と一線を画すものではなく、あくまで事業・社員視点の双方を持った上でより工夫がなされた「イケてる総務」のことだと考えています。
なぜ戦略総務が今注目されているのか

──「戦略総務」のキーワード検索数はトレンド的にも増えているようです。なぜ今「戦略総務」が企業に求められているのでしょうか。
これまでの一般的なイメージの総務では対応しきれない変化が今起こっているからだと考えています。具体的には大きく以下の3つです。

① ルーティンワークの価値低下(アウトソーシングの一般化など)
② 在宅勤務による既存施策の価値低下(オンライン環境では即物的な施策が取れないなど)
③ 在宅勤務による社内コミュニケーション機会の激減 (課題の変化)
まず①に関しては、コロナの影響を受ける前からオフィス清掃や電話対応、給与計算、社会保険の手続きなどあらゆるものの外注化が進んでいました。またシェアードサービスによって費用を抑えられ、SaaSツールなどの充実により諸々の書類や手続きなどが簡単にできるようになったこともあり、今までよりも「ルーティンをこなす」ことの価値が低くなってきています。
②と③はコロナの流行を受け加速した変化です。コロナが流行し始めたタイミングでは、社員の安全や健康を考慮し、まずは在宅勤務にシフトするための環境整備が何より優先されてきました。しかし、コロナ前の働き方に戻ることはないと分かった今では、より社員が働きやすく、成果を出せるリモートワーク・職場環境を考え直さなければいけないフェーズに入っています。そんな中で白羽の矢が真っ先に立つのが、総務というわけです。
事業へ影響を与える総務になるためのステップ
──「戦略総務」としてより事業に良い影響を与えられるようになるためには、どのようなステップで進めて行くのが良いでしょうか。その具体的な進め方とそれぞれのステップにおけるポイントや注意点などがあれば教えてください。
まずは総務部門全員で半日~1日のまとまった時間を確保して、各個人にとっての「つらくて心が暗くなる業務」「心がウキウキしない業務」「できるならやりたくない業務」などのネガティブな業務を挙げることから始めることをお薦めします。
その理由は、総務に限らずコーポレート系の部署にありがちなこととして、日々のルーティンに忙殺されてしまって考える余力がなくなっていることが多く、強制的に「考える」時間を作ることが重要なためです。特にコーポレート系の部署には、ルーティーンや細かい作業をこなす根気や責任感が強い人が多く、普段はとても良いことである反面、「なんでこの作業をやっているんだっけ?」などの疑問を持ちづらくなってしまっているように思います。また、日々同じ業務を行なっていると、段々と感覚が麻痺してきて、煩雑さや面倒臭さを感じなくなってきてしまいます。
だからこそ、まずはまとまった時間を確保し、頭の余力を確保した上で先ほど挙げたネガティブな業務についてできる限りリストアップしてもらうのです。
その後の流れは以下です。
【1】リストアップした業務を、まずは「捨てられるもの/捨てられないもの」に分ける
【2】「捨てられるもの」はそのまま捨てて、もうやらない
【3】「捨てられないもの」はさらに「つらいけど経験になるもの/ただつらいだけのもの」に分ける
【4】「つらいけど経験になるもの」は一旦優先順位を下げ、「ただつらいだけのもの」をピックアップする
【5】ピックアップした業務をイケてる方法に変えるための手段を検討する
「ただつらいだけ」の業務が楽になれば総務担当者もハッピーだし、さらにイケてる方法に変えられれば周りからの見え方も変わりチームのモチベーションアップにつながるという良い循環が生まれます。
イケてる方法に変えるためによくとる手段として、Google Apps ScriptやZapier、Slackなどのツールを活用した「自動化」があります。自動化するためにはまず「業務フローを洗い出すこと」が必要になるのですが、その過程においても「このステップは無駄だね」といった新たな発見があります。
<参考:自動化する方法・ツール>
■Google Apps Script(通称GAS)
Googleが提供しているプログラミング言語のこと。Webサービス開発によく使われるプログラミング言語(JavaScript)をベースにしているため、ネット上でも多くの情報があり使いやすい。Spreadsheetだけでなく、Gmail、Calendar、Docs、Formなどいろんなところで使える。
<特徴>
・記法さえ覚えればいろいろできる
・Slack等のGoogle以外のサービスとの連携も可能
・くり返し作業も可能
■Zapier(ザピアー)
アメリカのタスク自動化ツールのこと。これまでエンジニアでなければできなかったような自動化設定が、誰でも簡単に作成できるようになるもの。Google Apps・Twitter・Facebook・Dropbox・Slackなどを含む2,000種類以上のサービスと連携可能。
<特徴>
・XXX→Googleの向きの自動化作業がある場合に向いている
・いろいろなサービスをまたいで自動化が簡単にできるが、できることは限られている
■スプレッドシートの標準関数
<特徴>
・何より簡単
・他のスプレッドシートからデータを引っ張ってくることも可
・スプレッドシート内で完結する
・繰り返しでない作業に向いている
業務の自動化により、直接的に周りにインパクトがあることもあれば、ただ作業が楽になるだけで周りに影響がない場合も正直あります。しかし、周りに直接的な影響がなくとも、総務部門やその担当者の中で「考える余裕」が生まれることに大きな価値があるのです。
また、自動化によってフローがシンプルになったり、作業自体をボタン1つでできるようになったりすると、例えば障がい者の方にその業務をお任せできるようにもなり、障がい者雇用のポジションを創出することにも繋がります。
<今までGoogle Apps Scriptでやってみた自動化の例>
① 健康診断/雇入健診/インフルエンザ予防接種
– 予約リストの作成
– 予約のカレンダー登録
– 予約内容のメール配信
② 収入証明などの証明書作成
– 人事データの自動入力
– 本人への進捗状況通知
③ Slack
– 問い合わせ集計/分析
– 複数チャンネルに同一アナウンスを流すbot
– 進捗管理をしているSpreadsheetからリマインダを送るbot
戦略総務的なアクションの具体事例
──これまでに大橋さんが実践された「戦略総務」的なアクション事例について、具体的な取り組み内容を教えてください。
「在宅勤務移行に伴う、入社オリエンテーションのオンライン運用改善」の事例についてご紹介します。
当社でも在宅勤務が中心になったことを受け、入社オリエンテーションもオンラインに切り替えることにしました。ただそのためには、入社手続きに必要な書類すべてを入社前までにご自宅に郵送する必要があります。さらに、入社説明資料のコンテンツもそれに適したものに変更しなくてはなりません。
これまでなら、書類の書き方が分からない部分なども対面でフォローすることができましたが、オンライン環境ではそう簡単にはいきません。1つひとつを見ればささやかな問題かもしれませんが、全体のフローから見るとたくさんの課題にぶつかりました。さらに「イケてる総務ならどうする?」と考えれば、工夫する余地は無限に膨れ上がります。
・今までは社員本人に情報を記入してもらっていたものを、すべて印刷してから渡せば記入ミスが少なくなるのではないか
・わかりやすいように別に資料を追加してはどうか
・ご自宅でも入社Welcome感が伝わるように、お名前入りのメッセージを付けてはどうか
そうして色々とやりたいことを洗い出していくうちに、あらたな説明資料が必要になり、全員に郵送するステップが増えました。1人ひとり情報を書き換えて、印刷して、封入する──考えるだけでも気が遠くなる作業です。
そこで先ほど紹介したGoogle Apps Scriptを使い、新入社員全員分のデータを自動で作成できるようにしました。その後は印刷して封入し、宛名を書くだけ。とはいえ忙しい月末にその作業が追加になってしまうのは厳しいため、障がい者雇用の方のお力も借りて無理のない運用フローを確立することができました。
この一連の運用改善は、私だけでなくチームメンバーと一緒に行いました。それによりメンバー自身も「こんなことも自動化できるのではないか?」「この作業内容にすれば誰かにお願いできるのではないか?」と発想して工夫することができるようになってきました。
工夫が進まない理由の1つは、担当者自身が何をどう改善できるかのイメージがなく、業務の切り出しがうまくいかない点にあります。「(自動化ツールなどを使えば)こんなこともできるのね!」と成功体験を積むことさえできれば、どんどん発想できることは増えていきます。
ご紹介した事例以外でも、チーム内で自動化勉強会などを定期的に開催して、実際に自動化するところまでは実行しなくとも「どんな作業が自動化できるのか」を知ることで、チームメンバー全員が日常的に発想や工夫を促すことができるようになりました。
オススメ本(1冊)
──今回のテーマについて学びたいと思っているHRパーソンに向けて、オススメの書籍があれば教えてください。
「戦略総務」をテーマに扱った本もいくつかありますが、今回はあえて考え方やスタンスを醸成する上で役に立つ1冊をご紹介します。
イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」/安宅 和人 (著)

有名な本なのですでに読まれている方も多いかもしれません。どうしてもルーティンをこなすことに注力してしまいがちな方にとっては、業務に対する見方を変えるきっかけになってくれる1冊だと思います。
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編集後記
「戦略総務と聞くと、これまでの総務が否定されているようで悔しい」そう大橋さんがおっしゃる通り、戦略総務はまったく新しい概念ではなく、より事業や経営を意識した上で、そこにより良い影響を与えようとする積極的なスタンスであることを今回のお話を通じて理解することができました。
「ルーティンだからダメ」といった短絡的なものではなく、その業務が組織や自分にどんな影響を及ぼすかを常に認識しながら業務を進めること。それこそが戦略総務の基本スタンスであり、社員や組織、ひいては社会により良い価値提供をするための源泉とも言えるものではないでしょうか。